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【第1回】あおによし奈良の都

執筆:桂田 菊嗣
   大阪急性期・総合医療センター名誉院長
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外科・救急医療の第一人者である医師がスケッチブックを手にして描く奈良の天平文化。「本当の自分の、裸足の足跡」

 京都もいいのだが私は奈良のほうをよく散策する。子供のころを過ごしたので郷愁を誘われるし、何よりも大阪から近い。歩くだけでは物足りないので、大抵はスケッチブックを携える。
 奈良(旧奈良市域)は京都とくらべると地味でなんとなくやぼったい狭い町である。これといった産業もなく県としてのGDPは日本でも恥ずかしいほど少ない。同じ古都でも京都は千年の都と呼ばれ、長く都のあったところで、優美で洗練された事物にあふれる宮廷文化が今に引き継がれているのと対照的である。
 その奈良の8世紀に日本最初の本格的な都―平城京が置かれた。よく知られた「あをによし奈良の都は咲く花の薫ふがごとくいまさかりなり」は筑紫の太宰府に赴任していた官人が詠んだうたである。平城京のあった奈良はさぞ咲く花の匂うような華やかさであったであろう。「淡雪のほどろほどろに降りしけば奈良の都し思ほゆるかも」も太宰府で詠まれた。のちの女性宮廷歌人も「いにしえの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」とその昔の奈良に思いを寄せている。
 仏教の伝来後、奈良時代に至って日本的な仏教文化が成熟した。遣唐使による唐文化の輸入のほかインド、ペルシャ、新羅などの影響もありシルクロードの終着点とも言われる。文化史上は天平(てんぴょう)時代と呼ばれ国風文化の始まりである。聖武天皇による東大寺や藤原氏による興福寺などの大伽藍がその象徴である。
 残念で仕方ないのだが、平氏による南都焼き討ち事件によって、当時の建築物は殆ど消失した。(都が京に移ってからは奈良は南都と呼ばれている。)平氏も寺側も愚かな戦いをしてくださった。わずかに東大寺法華堂と新薬師寺などが難を逃れているのみである。しかし何世紀にわたって僧たちが命がけで守り抜いたのであろう、天平文化を飾る数々の仏像彫刻を今目に触れることができる。仏像は言うまでもなく元来は信仰の対象が具現化されたものであり、当初は例えば法隆寺の仏像に見る如く、中国や朝鮮渡来のものかその模倣であった。それがいま鑑賞の対照となるのは大和民族の美的意識がここに目覚めたからである。天平特有の塑像や乾漆造という特有の技法によって造形の幅が広げられた。
 いくつかおすすめの例をあげておこう。
 東大寺は法華堂の不空羂索観音、日光・月光菩薩、執金剛像、同じ戒壇院の四天王、興福寺は国宝館の八部衆、十大弟子、新薬師寺の十二神将等々である。

画①1:大極殿から市街を眺める

大極殿から市街を眺める

 長らく荒れ地であった跡地に平城宮の復元計画がはじまりこのほどやっと大極殿が完成した。市街地の向こうに大仏殿や二月堂らしき建物が見える。かっては東大寺の七堂伽藍が立ち並び、宮殿の周囲には貴族や高級僧侶の住宅が並んでいたことであろう。奥は若草山、さらに春日山である。

画①2若草山に登る

若草山に登る

 若草山は奈良の景観のひとつになっている。三つの笠に見えることから三笠山とも呼ばれる。一面に芝で覆われているが、ノシバと言う芝でこの地にしか見られないという。鹿が食べ、その糞がまた発芽を促し、サイクルを形成して鹿と芝が共存しているらしい。低い山であるが登ってみると視界を遮るものがなく、京都タワーが見えたという人がいた。眼下に大仏殿が見える。となりに御蓋山(みかさやま)があり、「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも(阿倍仲麻呂)」の三笠の山は、この山を指す。

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奈良公園に遊ぶ

 芝生が面積の多くを占める奈良公園は、柵がなくつまり境界がないので、どこまでが奈良公園なのかわからない。多くの部分は藤原氏の氏神春日神社の境内でもある。公園のいたるところに鹿がいる。鹿は春日大社の神使であり同神社の占有物として大切に保護されている。野生であるが人懐こく、全国に生息する野生のシカとは別物である。

①画5_198大仏殿

東大寺大仏殿

 ご存じ大仏さん(廬舎那仏)を納める大仏殿である。平城京のシンボルとも言える。世界一大きな木造建築物とされているが、それでも創建時にくらべるとやや小ぶりになっている。たびたびの戦火や災害で再建を繰り返し現在のは江戸時代のものである。本尊の大仏もつぎはぎで、奈良時代のものはほんのひとかけらである。それでも聖武天皇の国家鎮護への強い意志や人々の無事息災、平和への切なる願いに思いをいたす。裳腰のつく大屋根にしびが輝き、正面唐破風の下の観相窓からは元旦に大仏の顔がのぞく。

画①5春日釣燈篭

春日大社の釣り燈篭

 大仏殿が天平の象徴なら春日(かすが)大社もそうである。奈良時代に平城京の守護のために創建された春日大社は都で権勢を誇った藤原氏の氏神でもある。御蓋山のふもとの原始林に護られて鮮やかな朱塗りの神殿が鎮座している。帰途に西側の回廊付近で描いた絵である。

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【著者プロフィール】
救命救急医療の実践のかたわら、三次救急医療機関(のちの救命救急センター)の確立とわが国の救急医療体制(一次・二次・三次の機能分担)成立への模索、同時にプレホスピタルケア(いうならば病院前の救急体制)の拡充のための救急隊員教育の体系作り、その延長上での救急救命士教育へのかかわり
【経歴】
昭和35年  大阪大学医学部を卒業
昭和37年  インターンの後、大阪大学医学部附属病院第二外科にて研鑽を  積む
昭和42年  同病院特殊救急部創設に参加(救命救急医学の研究・診療に従事)
昭和49年  大阪府立病院部長に就任(全国初の救命救急センターを設立、重篤な救急患者の診療にあたるとともに、救急医療体制の整備、全国救急隊員教育の拡充等に貢献)
平成11年  同病院病院長に就任
平成14年  大阪府北大阪赤十字血液センター所長に就任
 現在は、大阪府北大阪赤十字血液センター検診業務、救急救命士養成教育、老人介護保健施設管理などに従事

2020年に発刊された『救急救命士標準テキスト第10版』の編集顧問を務める

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へるす出版 『改訂第10版 救急救命士標準テキスト』 

近著:救急救命士国家試験問題集ではなく、救急救命士という職業人のためにつくられた、今までにない”新しい”問題解説集

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へるす出版 『救急救命士実践力アップ119』

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