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週末の遊び場さがしが辛かったけど・・・

息子を連れて公園に行くこと、買い物に出かけること、ちょっとだけ外に出かけることすら億劫になり憂鬱になっていた時期があった。今日はその中でも週末の遊び場について書こうと思う。今でも疲れている時は、憂鬱になる。だけど、以前よりも「心のゆとり」ができたおかげで、見方が変わったことを実感している。


公園探しは本当に苦労する。条件がたくさんあるから。
娘1人だけを連れていくならどこの公園でも大丈夫。行きたいところに行きたい時に行けるのだけど。。娘となら、たとえ人がいっぱいいたとしても、手が出るかもしれない、迷惑をかけるかもしれない、大騒ぎで泣くことはあったとしてもパニックになることはない、、そういう心配事をまず考えない。

一方、息子となると、そこにたくさんの壁を感じてしまう。私1人で公園に連れて行くことが多いのだが、その時はいつも先ほど書いた心配事を想定して行っても大丈夫そうな行き先を決める。そして、公園では息子につきっきりになるため、娘を構ってあげられず、寂しい思いをさせてしまう罪悪感と共に、息子のことで大変だから娘は我慢してと理不尽なことを言ってしまう。

そういうこともあって、公園に連れていくことに毎週覚悟を決めて挑んでいる私である。


息子のことに対して、私はあらゆる想定をしすぎているのだろうか?それは息子を信頼していないからなのか?と考え込んでしまうことも続いた。

娘に対して、また寂しい思いをさせてしまうかもしれない。我慢をさせて寂しそうにしている姿を見て、歩み寄りたくても息子がいつ何をするかわからないから息子から離れられない。だから公園に連れてってもかわいそうだから連れて行きたくない。だけど娘は公園に行きたいと言う。

家にいてもストレスになる、だけど1人で2人を連れていくのはとても辛い。すごく大変。人混みをなるべく避けたいし、ちょっとした遊具があって(←娘が好き)走り回れるところ、自然が多い場所、危なくないところ、人の目が気にならないところ・・・そういう好条件の場所をいつも探して探して探して、行ってみたらめっちゃ混んでいてげんなりするということもたくさんw


きっと私がそういう大変な世界を創り出していたのかもしれないが、公園ではトラブルになることがやっぱり多かった。
息子が知らない子に手を出そうとしてしまったり出すことがほとんどだ。少しでも人がたかっている中に息子が行こうものなら、誰かが息子の方に来ようものならヒヤヒヤだった。

そして案の定何かが起きてしまうと、注意されればパニックになって一眼も憚らず地面に頭を打ち付けて大暴れをする、それを見る周りの視線、担いで逃げる私。娘は娘でもっと遊びたいという。


車の中で大泣きの子どもに、私自身も大泣きしながら、
『もう公園なんて2度と連れて行かない!!』と叫んだのは何回あっただろう?

何度も心が挫け、息子にも娘にも悲しく当たり散らしてしまい、母親失格だと今にも消えたいと思ったことは何回あっただろう?

思い出すだけで胸が痛くなる。(ごめんね、娘と息子。許してください。愛しています。)


ただ、今言えるのはあの時ふさぎこんで引きこもりになっていたら、今すごく感じている「できるようになった」喜びには出会えなかった。いや、今からでも行動をすればいつかは出会えるのだけど。

あの時感じていた辛い気持ちが、今、喜びとして帰ってきていることをひしひしと毎日感じている。

それはきっと息子も娘も、だと思う。一緒にがんばってきたし乗り越えてきたからこそ、今できる遊び方が最高に楽しい。

週末の公園探しにはもちろん気を使っているし、息子へのあらゆる想定をしなくなったわけでもない。ただ大きく変わったのは、私自身の気持ちのあり方だ。

息子と娘を信頼して、リラックスするよう心がけている。

体が成長してできることが増えたからと言えばそう。心も一緒にもちろん成長していて、わかることできることがたくさん増えた。
気持ちの表現の方法を知って、そう言う一つ一つのよろこびに私も息子も娘もたくさんたくさんよろこんだ。

あの時、辛かったこと一つ一つに向き合って、息子と娘に話しかけ続けた。そうしていくうちに、きっと大丈夫と自然と信じるように委ねられたのかもしれない。

大変な週末の公園も小さなできたを見つけにいくと思えば楽しみになり、リラックスした気持ちで子どもを信じて見守るだけで大丈夫だと知った。

子どもは大人が思っている以上にしっかりした人間だ。本人のペースでゆっくり噛み砕きながら少しずつ前進しているのだから。

育児は育自という言葉がとても腑に落ちた。

娘、息子本当にありがとう。愛してる!

chari






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