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街の灯

“人生はクローズアップで見れば悲劇ですが、ロングショットで見れば喜劇です。”

今年の第96回アカデミー賞では、ロバート・ダウニーJr.さんが『オッペンハイマー』の演技でいよいよ助演男優賞を受賞しそうな予感がしますが、元々、演技派の人ですから…かなり遅過ぎではないかと感じています。

そもそも、1992年に『チャーリー』でチャールズ・チャップリンさんを演じた時に主演男優賞を受賞していてもおかしくなかったわけです。

当時27歳で才能豊かな若手の演技派として注目されていました。

その年は『セント・オブ・ウーマン』のアル・パチーノさんがそれまで何故か無冠だったこともあり、そろそろ…という流れで受賞した経緯があります。

このアル・パチーノさんもまた遅過ぎたんです。

『ゴッドファーザー』3部作で主役を務めた人ですよ…不思議で仕方がない。

ロバート・ダウニーJr.さんはその後、薬物問題などから目立たなくなったな…と思ってたら(『ゾディアック』など名演は数多く残してたのですが…)、2008年に『アイアンマン』で急に“時の人”になった時は驚きました。

その時には、もう43歳になっていました。

人生はいつどうなるかわからないと希望を与えてくれたものです。

そして、それから16年…いよいよ遂に2024年…『オッペンハイマー』でどうなるでしょうか?

ここから『チャーリー』繋がりで、本題のチャップリンさんの話です。

私が幼少期にキン肉マンやウルトラマンに出会う前に好きなイメージキャラクターだったのが、チャップリンさんとヒッチコックさん(ヒッチコックさんは作品の中に一瞬しか出てこないけど探すのが好き)でした。

チャップリンさんとヒッチコックさんはシルエット見ただけでワクワクするので、赤子の私を夢中にさせたのだと考えられます。

おそらく、赤ちゃんの時から自然と継続して父親が私に観せていたのが影響しているのだと思います。

私が3歳か4歳でゴジラと出会う前の話です。

とにかく、おもしろい映像作品はカラーじゃなくモノクロだという印象を高校生ぐらいの頃まで持っていました。

そこでチャールズ・チャップリンさんです。

1890年代から始まった映画の歴史ですが、音や色がついていなかったサイレント映画の時代の1920年代までにもたくさんのスターが誕生しました。

その中でも、チャールズ・チャップリンさん、バスター・キートンさん、そしてハロルド・ロイドさんは三大喜劇王と呼ばれています。

言葉を超えたアクションとギャグに時代なんて関係ありません。

とにかく、おもしろいわけです。

私の場合は大人になって、キートンさんとロイドさんの作品のどれもがおもしろいと思うようになりましたが、子どもの時はただ存在してるだけで笑えるチャップリンさんが良かったということです。

チャップリンさんは浮浪者ですが、スタイルは紳士の“放浪紳士”です。

チャップリンさんの服装は、貧乏な人が上流の紳士に憧れる姿であり、紳士たちの実態を痛烈に皮肉ったものでもあります。

子どもの時は視覚的にだけでしたが、大人になってもその意味も含めて、おもしろいと思っています。

特に子どもの頃は1920年代の完全なサイレント作品が好きでした。

サイレント時代がチャップリンさんの全盛期だったかと言えば、そういうこともなく、トーキーの時代になっても名作を残します。

1931年の『City Lights(街の灯)』は、映画史上最高の作品です。

トーキーが主流になりつつあったこの時期にもチャップリンさんはサイレントに拘りました。

冒頭でタイトルと一緒に“コメディ・ロマンス・イン・パントマイム”という文字が出てきます。

『街の灯』は、基本的にサイレントですが伴奏音楽と音響が入ったサウンド版として製作した初めての作品です。

チャップリンさんはパンクです。

パンクはルール破りのことではありません。

ルールを理解しているけど無視しているのがパンクです。

『街の灯』でも、製作、監督、脚本、編集はこれまで通り、チャップリンさんが担っていて作曲もしています。

トーキーの時代に突入したことで、チャップリンさんの音楽の才能も開花しました。

ある浮浪者の男が盲目の花売り娘の目を治す為にあれこれ奮闘する物語です。

無名の浮浪者の男は、ある日、街角で盲目の花売り娘から花を買いました。

その夜、男は泥酔して自殺しようとしていた富豪を助けます。

富豪は男を命の恩人として家に呼び酒を酌み交わしました。

2人は街へ繰り出して、朝まで店で飲み明かします。

朝になって富豪の家に戻ると、その家の近くの街角で盲目の娘が花を売っていることに気付きます。

男は富豪からもらったお金で娘の花をすべて買い、富豪の高級車に娘を乗せて家まで送り、手を握ってお別れします。

娘は男を親切なお金持ちと思い込んで慕うようになりました。

一方、酔いが醒めた富豪は昨夜のことをすっかり忘れていて男を追い出してしまいます。

その夜、また酒に酔った富豪と街で偶然再会すると彼は男を覚えていて歓待するが、その翌日はまた男のことを忘れていて追い出します。

娘は体の弱い老婆と一緒に狭い部屋で暮らしていました。

彼女が家賃を滞納して立ち退きを迫られていることを知った男は、そのお金を工面しようとしてボクシングの試合に出場します。

しかし、あえなく敗れてしまいました。

男が途方に暮れていると、街で偶然酒に酔った富豪とまた再会します。

酔った時だけ男を覚えている富豪は喜んで男を自宅に招き、娘の事情を聴くと気前よく1000ドルもの大金を手渡してくれました。

しかし、室内には2人組の強盗たちも居合わせており、富豪は強盗たちに頭を強打されて気を失ってしまいます。

男は大慌てで警察を呼びますが、警官が到着した時には強盗たちは逃げてしまい、男が犯人と勘違いされてしまいました。

意識を取り戻した富豪も男のことをすっかり忘れており、弁護してくれません。

なんとか富豪の家から逃げ出した男は娘の家に行き、1000ドルを手渡して立ち去りますが、その直後、街で刑事に見つかって逮捕されてしまいます。

時は流れて、娘は手術で視力を取り戻し、花屋のお店を開いて幸せに暮らしていました。

花を買いに来るお金持ちの男性を見ては、あの人ではないかと考えてしまう日々を送っていました。

一方、刑務所から出てますますみすぼらしい姿になった男はあてもなく街を歩いていました。

偶然その花屋の前を通りかかり、ショーウィンドー越しに娘の姿を見かけて立ちすくみます。

みすぼらしい恰好の男を見て最初は笑っていた娘ですが、自分をじっと見つめる男に対して哀れみの気持ちから、男を呼び止めて一輪の花と小銭を手渡そうとします。

しかし、小銭を握らせる為に男の手を取ったその感触から、娘はこの浮浪者こそが自分の恩人であることに気づきました…。

放浪者の男をチャールズ・チャップリンさん、盲目の花売り娘をヴァージニア・チェリルさん、花売り娘の祖母をフローレンス・リーさん、富豪をハリー・マイヤーズさんが演じています。

完璧主義者のチャップリンさんは、ヴァージニアさんが演じる花売り娘との出会いの3分程度のシーンに342回のNGを出して1年以上かけて撮り直したそうです。

1931年1月30日にロサンゼルスの劇場でプレミア公開された際には、チャップリンさんの隣にはアルベルト・アインシュタインさんが座っていました。

『街の灯』が完成した時のチャップリンさんのお言葉…、

“私はトーキーが嫌いです。
世界最古の芸術、パントマイムを損ないました。
視覚による造形的な美しさはスクリーンにとって最も大切です。”

チャップリンさんは次の作品『モダン・タイムス(1936年)』でも、ほぼセリフなしのサイレント作品にしました。

最初に喋り出したのは、当時のドイツの独裁者に喧嘩を売った1940年の『独裁者』からです。

チャップリンさんの映画は、喜劇であっても悲劇的な要素を持っています。

逆に、悲劇であっても喜劇的な部分が必ずあります。

“人生はクローズアップで見れば悲劇ですが、ロングショットで見れば喜劇です。”

これは、チャップリンさんのお言葉です。

盲目の花売り娘と男が出会う場面と最後に2人が再会して複雑な笑みを浮かべるシーンはかなり印象的です。

人によって捉え方は違うと思いますが、私はハッピーエンドではないと思っています。

最後の部分的には切ないですが、全体的には心温まる作品です。

この観終わった後の余韻までが、映画の作品の一部です。

『街の灯』が公開された時、世界は大恐慌の時代であり、戦争の機運が高まっていた時期です。

日本が満州事変を起こした年なので、その後の1945年までの動きを振り返ってみると…、やはり、現在の世界もその時期の様相に近い付いているのかな…と考えてしまいます。

そんな時代背景とか、いろんなことを考えながら観ると映画はまたおもしろくなります。

あぁ~ステキ♪

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