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育休と言う名のアソビ

今週から育休を取得させていただき、暇すぎたのでしたためてみることにしました。


『育休』とは

育児休業の目的

子を養育する労働者が勤務を継続し復帰後も働きやすく、また組織全体の運営を円滑にすること

by 日本の人事部

記載内容には賛否が分かれそうで、
養育する労働者が育休を取得する前の時点で、家族との関係性に何かしらの課題感があり、かつ解決に前向きな場合には非常に有意義な時間になりそう

反対に、育休取得をした労働者が働きやすくなるかというと組織側の努力よりも個人の努力による影響が大きそう

育休のトレンド

欧米諸国(特に北欧で顕著)では仕事≦家庭という価値観が一定の市民権を持っており、育休を取得し易い環境なのだろうと想像しています。

一方で、日本では育休の取得が義務化(旧来の有給取得と同じテンションと私は解釈している)され変化を感じられる。
しかしながら、取得期間としては1ヶ月や2ヶ月というのが関の山で半年〜1年取得している人と出会うのは稀なケースのようです。

働きたい日本の会社員たち

権利として保障されるようになりましたが、この権利を行使するケースが少ないのはどうしてでしょうか?

  1. 育休取得することによるデメリットが存在している

  2. 育休取得することによるメリットが存在していない

  3. 育休取得する/しないに関わらず当該期間を勤務するインセンティブが存在している

3つほど挙げてみたものの、結局同じようなことを言っていることに気付きましたw
とはいえ、「子どもと自身と家族の関係性」といった測れない基準で考えているというよりかは、収入/所得という短期的な指標に照らして判断されていることの方が多いのではないでしょうか。

仕事と生きることは並列か

何のために働くのか

私は、新卒で就職活動をするときに「誰のために」を基準としていました。
自分が得られること(給与、時間、経験)の多寡も大切ですが、その結果として何を誰に届けるのか?
21歳の青年は考えたのでした。

「働く」ということは手段だ

生きるために「働く」のであって、働くために生きているんではない。
また、私は独りで生きているのではなく「家族」と「社会」の中で生きていると考えています。
そう考えた時に、果たして『育休』という制度はどんな位置づけとなるでしょうか。

機会としての育児休業

子どもとの時間による気付き

今の生活は、ほぼ全て子どもの生活リズムに合わせている状況です。
起床〜朝食〜登園、間では新生児の保育をこなし、またお迎え〜寝かしつけという日々。
いい意味でリズムがあり、そのリズムの中に子供特有のグズりやトラブルを垣間見ることで日々の成長を感じたり、自身の感受性の変化に気付くことが出来る。

スコラ哲学に倣う発見の日々

とはいえ下の子の育児に手間取ることはほぼなく。。。
日がなぼーっと過ごすこともできない私は、公園にピクニックに出かけては合間にpodcastやyoutubeで自身の知的好奇心を満たしています。
情報をインプットすれども、直近で活かす場がない私は、抽象度の高い「あんなことできたらいいな」「こんな風になったらいいな」という夢をふくらませる機会をいただけていることに気付きました。

私も前述の日本人の端くれですから、仕事のことをまるっきり忘れることは出来ず、子どもの成長を味わいながらもビジネスパーソンとしてのインプットや思索に寄与している時間だとも感じています。

まとめ

『育休』は、家族との関係を少なからず良好にできる時間として活用すると良い。
更に、新生児〜幼児の期間が一番可愛い盛りの子どもの時間を味わわないのは損しかないので休むべき。
仕事はあとでなんとかなるし、なんとかならない仕事ならやめちまえー

これは会社員でなくて経営者でも同じはず。
もっと世の中が、資本主義社会の価値観に囚われすぎず
個人としての善や社会善に目を向けて暮らせる世の中になりますように。

digりの先


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