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そうしていつか私の言葉を。


 何度も何度も読みたくなり、愛おしくて本の表紙を惚れ惚れとと撫でてしまう本がある。私にとってそうした本の多くは、吉野朔実さん、江國香織さんによってかかれたもの。

 彼女らの描く世界はとてもふしぎ。それでいてきっとこの世界の片隅に主人公たちが生きているような、今ここのわたしと地続きのような感じがして好きなのだ。私は彼女らの描く女性も好き。作品のなかには、とても突飛でかつとても普通な女性が生きている。苦悩も喜びも普通で、生々しい。
そしてなにより、私は彼女らの言葉が好きでたまらない。どうしたってこんな風に表現できるのだろうと思うような豊かで瑞々しくたっぷりとした、時に荒野の厳しさをもつ言葉たち。

 今日も江國さんのエッセイを読んでいて、折り目をつけて何度も読み返した行がある。(ほんとうは他にも読み返しすぎてなかなか前に進まない。それは、とびきりおいしいケーキを目の前にしてちまちまとフォークですくい取る気分に似ている。)

 彼女の言葉は湧き水のよう。小さくて勢いのいい、天然の湧き水。やわらかな土の下深い場所のつめたさと、かぐわしくあたたかなお日さまのひかりを、どちらもくぐりぬけて身の内にたくわえ、跳ねたり零れたりしつつ、たのしそうに湧き流れる水。
                 江國香織『物語のなかとそと』p81-82

 これは、マーガレット・ワイズ・ブラウンという絵本作家について書かれた章の一節。なんてふくよかな言葉の並び、と思った。そして、感嘆した。作品を目の前にした感触を、こんなにたっぷりとした情報を保ったまま他者に伝えられることに。


 私たちの生きる現代は、情報化社会と呼ばれている。それは加速しているらしく、今や小学生はタブレットで授業を受け、プログラミングの勉強をする。世界は急ぎ体勢を変えていくけれど、養老先生は違うと言う。


「今みなさんがやっているのは『情報処理』なんですよ。すでに情報になったものをどう扱うか、ということをしている。」

「僕の言う「情報化」は、五感から入ってきたものを情報に変えて人に伝える、ということです。」

引用元:「今は世界が半分になっちゃった」養老孟司さんに聞く、もう半分の世界のこと

 確かにそうなのだ。私たちはボタンひとつで簡単に他人の言葉をシェアしてしまう。(今まさに私も)他人の言葉を借りたり、目の粗い言葉で語ったり。他人の分節した世界に自分の感性を押しこめてしまって生きている。誰しもがそれぞれに世界を受け取っているはずなのに。

 私たちは五感で受け取った世界のどれだけを適切に情報に変えることができているだろうか。「エモい」も「ヤバい」も「尊い」も文化であり言葉だ。含みをもって、なんとも言えないあの胸の高揚と締め付けられる苦しさなんかを共有するためにとても便利だし、私自身オタクのひとりとしてどうしても使ってしまう言葉でもある。でも、こういうとき私は自分自身が受け取った”感じ”を適切に表現しようとすることを諦めてしまっているように思う。


 冒頭で引用した江國さんの一節を読んだとき、様々な色を反射しながらゆるゆると形を変える水のたまが頭に浮かんだ。そして、マーガレット・ワイズ・ブラウンの言葉が内包するものの多様さ、深みとすっきりとした新鮮さを感じた。次に思ったのは、私の脳裏にある”あの感じ”を江國さんならどんな風に言葉にしてしまうんだろうかということだった。
 数日前、私はストリップを観に行った。中国地方唯一の劇場である広島第一劇場の閉館日。想いのこもった日。大雨にも関わらず満員の劇場で9人の踊り子の公演を観た。眼の裏に浮かぶ光景、あの日私が全身で感じ取ったもの。忘れないように、カプセルに閉じ込めるみたいに留めておきたいのにうまく言葉にできなかった。「美しい」以外になにと言っていいのか、「赤と青の光が照らし~」とかいうのも野暮ったくてなにか違う。もし、江國さんがあの場に居て、それを書き留めたなら?
 

 江國さんは、情報化-養老先生が言う意味での-がとてもお上手なのだと思う。五感で受け取ったものを人に伝わる情報に変える。言葉に変える。それはただの写実というのとは違う。江國香織という人間の五感を通して、彼女の前に世界がどんな風に現れているのかを写し取っているのだ。それも質感までも緻密に。ただ写実するのであれば、マーガレット・ワイズ・ブラウンの言葉をそのまま書けば良い。「彼女の言葉は世界のもつ多様性を内包している」とかいう眼の粗い言葉も使わない。読者の身体に質感を思い起こさせる言葉を江國さんは重ねていく。

 

 今の私には江國さんみたいな情報化はできない。けれど私は、どうにか自分の言葉を諦めないでいたいと思う。私が五感で受け取ったそれを、私が世界をどう経験しているのかを、質感もそのままに書き留めたい。劇場の下手の壁際でみたあの光景は、半日経つごとに薄いヴェールが張られたように遠くなってしまう。どうにか言葉を探し言葉を尽くし、私を通したあの光景を写し取りたいと思う。そうしていつか私の言葉を。
 


 

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