見出し画像

特に何も有益ではない就活記


「就活やってよかった」とはよく聞くけど、結果論にすぎない

確かに内定もらえたのは嬉しかったし、途中で色々学ぶこともありました。でも、わたしは終わりよければ全てよし!タイプではないので(ネチネチ引きずるともいう)、辛かったことを書き記しておくことにします。自分のためにもね。

正直、これから就活を始める人を不安にさせるようなことは書くのはどうかと一時は思いました。でもまあワクワクさせる話はきっと某大学OB会とか某就活支援団体のキラキラメンターたちが話してくれますので、そこで相殺してください。


結論から言うと、こだわりが強すぎたわたしはいわゆる「総合職」に向いていなかった、かつ締め切りにまみれたことでストレス耐性のなさが露わになり病院通いをするハメになりました(今は元気です)

まずはやってきたことを時系列で書きます。

2020年5-6月(3年春)

スタートは多分周りと比べたらだいぶ早かったかもしれません。3年の5月にはなんとなくマイナビとリクナビに登録して、金融系とインドネシアに支社のあるメーカー、そしてIT企業のインターンにぽちぽちとエントリーしました。(が、ゴミほど落ちました)

このころはまだ夏からの留学に行けるかも!という淡い期待を抱いていたので、在外公館派遣員のことなんかも調べていましたね。TUFSコミュニティで捕まえた大人の人と、そのツテを辿って7-8人くらいの人とzoomOB訪問をしてました。やりたいことに関してはホント何でもできるな私。

このへんでまず心が一度折れます。色々落ちたことで折れたというよりかは、コロナで留学も消えかかり、ESで「社会に貢献したい!」みたいなタテマエの志望動機をひとりで書いている自分に嫌気がさしたからです、多分。そして毎晩号泣からの過呼吸で眠れなくなる日が続く(自分でも早すぎだろと思いました)。

ちなみに、この私の状態を見かねた母の友人が、現役人事のメンターさんを紹介してくれました。以後このお姉さんと就活をすることになります(後述しますがこの人なしでは内定取れなかった)。

2020年7-9月(3年夏)

超短期インターンに10社ほど応募して3社参加しました。(メーカー2・IT1)。

思い出としては、某証券会社の集団面接を受けてみたら、私以外留学経験あり×体育会系のコンボで泣きそうになったことがありました。なぜここに私を呼んだ?(もちろん落ちた)

そしてなぜかSQLでデータベースをこねくり回す1dayインターンに潜り込んでしまいました。すいすい飲み込んでいく情報系の人々とはじめてのLinuxにまごまごする私。結果はお察しの通りです。このことがあってIT系から少し離れます(メンタル弱すぎ)。

そして就活と並行しながら接客バイト(初めて)を始めつつ、免許を取りつつ(一度卒検落ちた)、Unityで遊びつつ、本を読みつつ(14冊くらい)過ごしていました。

やはり何か責任が付きまとう予定を強制的に詰め込むと、とりあえず体は動くもんなんだなと実感。泣きながら運転したけど。

2020年10-11月(3年秋)

ゆるりとインターンに参加したり、説明会に出たり。今考えると全部IT系でした。

新しく弦楽オーケストラにも乗っちゃったり、奈良の小学校へ演奏しに行ったりして、ほんとに余裕ぶっこいてましたね。(乗せてくれたオケの皆さん、セッティングしてくれた理事長とコアスタッフの皆さん、紹介してくれた先輩、一緒に乗ってくれた親友、ありがとう)

2020年12月(3年冬)

ここで初めての本選考×2(コンサル)を受けるも、面接で見事爆死。もうどうにでもなれ、と思って逆質問でフィードバックを頂いたんですが、「面接慣れてない感じですかね?(笑)」と一笑される。\そりゃそうじゃ!/

この反省を活かして面接練習をたくさんしよう!と決心すればよかったんですが、プライド爆高マンの私は完全に意気消沈します。アホすぎ。

ちなみに全く就活とは関係ないのですが、この時期に大学のオケに復帰しました。ただ、本番間近のオケと掛け持ちしながら新しくマーラーとラヴェルをさらうのは不可能でした。迷惑かけてごめんなさい(ここで謝っておく)。

2021年1月(3年冬)

学期末ということもあってかこの時期からまた胃痛がひどくなり、メンタル耐久値も低下してきて、無遅刻無欠席が取り柄の私が最後のゼミを休んでしまいました。悔しかった...

そしてどういうわけか、エンタメ系企業の本選考に応募しだします。今まで自分を偽って就活していた実感があったのでしょうか、先輩から紹介された某有名エンタメ企業の説明会に出て、「本当にやりたいのはこれだ!」と思い込んでいたようです。ちなみに当たり前ですが受けたところは一次面接より先に行けず全落ちしました。\そりゃそうじゃ!/

2021年2月(3年冬)

正直自分でもなんでこんなことをしたのかわかりませんが、インドネシアの某大学でオンライン留学を始めました。といっても授業は二コマしかとっていなかったので皆さんが想像されていたものとはだいぶ違いますが、ぼっちのオンライン留学はだいぶきつかったです。それだけ言っておきます。

夏からちょこちょこ就活をやっておいたのにも関わらず、なんと2月は全く何もしていませんでした。でもとにかくこの時期も常に泣いていたような記憶があります。

2021年3月(3年冬)

説明会に10数社出るも、なかなかピンとこない日々が続く(少なすぎるんじゃ!)。この辺になるといろいろ企業を見る気力も薄れ、ただただ授業を受けて練習に出る、そんな日々でした。今までの頑張りはどうしたんだ!

2021年4月(4年春)

ここで3年夏からずっとあっためていた第一志望群(某楽器メーカー)を含む、日系メーカーの選考がぞくぞくと始まります。なんと運のよいことに2つ最終面接までこぎつけたのですが、なんとどちらも撃沈。しかも判明したのが大学オケ引退×100回記念の超大事な演奏会の1週間前だったので、呆然としながらチャイ5を弾いていました。最高学年なのに気を抜きまくっててごめんなさい。

あとエージェント経由で3社まとめて説明会と簡単な集団面接ができるイベントに申込み、吹っ切れた私はウソをつきつつ2社本選考へ進めてもらったのですが、ふと我に返り「こんなのは私のやりたいことじゃねえ!!」と全部ブッチしました。最悪ですね。もうしません。

2021年5月(4年春)

みんな内定が出始めるころですかね。そんな中意気消沈してひたすらベッドに横になり、あれだけ出席命の私が講義を休み、ただでさえ食べないのにあまり食べない生活が続いていた私は、友人にも背中を押され、ついに病院に行くことにしました。

画像1

ちなみに流れで心理検査を4種類ほどやることになったのですが、ワーキングメモリ(作業や動作に必要な情報を一時的に記憶し処理する能力)がほかの能力と比べてかなり低かったらしい。どうりで情報の整理と行動の切り替えがなんだかうまくいかなかったわけだ。あとADHDのケがあるねとも言われた。ここで知る新事実。

まあなんやかんやで話を聞いてもらいつつ薬をもらいに病院に行く生活が始まりました(※面接解禁1か月前)。

2021年6月-7月(終焉)

いよいよ解禁。というか商社志望の友達以外はもうすでに内定をもらっていて、語科22卒組で内定をもらってないのは私だけになりました。ウケる。

某独立行政法人もES、試験、小論文を乗り越えたが一次面接(結構好感触だったのに)で撃沈。後から知ったことですが、留学帰りの語科のガチプロ先輩も受けていたらしい。そりゃわたし落ちるわ。\そりゃそうじゃ/

死んだ顔をしてオーケストラにも乗ってたと思います。ただでさえ年下なのにぜんぜんさらってなくてごめんなさい。

少しだけ危機感を覚え、東京キャリアフォーラムなどでぽちぽち惰性でエントリーを増やすも、完全にやる気が薄れてたのでたくさんWEBテストブッチ、面接予約ブッチをしてしまいました。もうしない言うたやんけ。

と散々な生活を送っていたが、ここで急に風向きが変わりました。

いつもメンターのお姉さんにいくつかおススメ企業を紹介してもらっていたのですが(そしてこだわりの強い私はいつもエントリーしてなかった)、ふとこだわりを捨ててそのうちのとあるIT企業にエントリーしてみることにしました。

ES、WEBテストは難なく通り、いつもは落ちる一次面接に進むと、まあなんと話しやすいことか。なにかが吹っ切れたのかどうか、はたまた面接官との相性がたまたまよかったのかはわかりません。それでもなぜか高評価をもらって最終面接まで進み、手ごたえが微妙であったのにもかかわらず(最終面接を受けた日の晩大号泣した)、7月頭にはヌルっと通過連絡を頂いてしまいました。

正直なところ、あれだけ苦しんだのにこんな終わりでいいのか微妙なところではありますが、一刻も早くこの苦しみから解放されたい私は内々定を承諾しました。これが吉と出るかどうかはわかりませんが。

こんな感じで私の1年ちょっとにもわたる就職活動は終わりを迎えました。

なんでこんなにつらかった?

今までの就活を振り返ってみて、気分が落ち込んだ原因をよくよく考えてみると、選考に落ちたことが直接の原因では無かったように思います。とにかく自分の視野の狭さというか、自分自身への固執が全ての原因でした。

自分は全く興味のないことをスパッと切って生きてきたので、ただでさえつまらない仕事という概念に興味を見出すのが本当に難しくて難しくてしょうがなかったんです。しかも、私は自分に嘘をついて人に合わせることもとても苦手なので、建前の志望動機を語るなんてもってのほかでした。気になる企業はあったとしても、その企業が求める人材、求める将来像に自分を寄せていくのが苦痛で苦痛で仕方がなくて、ESを書いている途中で放棄した企業が何十社もあります。うーん、社不!

周りの人たちが心から仕事を通じて「社会を良くしたい」「人の役に立ちたい」と思えているのに、自分は自分の生活・キャリアのことしか考えられないことも嫌でしたし、タテマエですら言えない(というか言いたく無い)自分が嫌でした。就活くらい頑固やめなさいよ。

納得していないことでもなんとなく受け入れたり、相手の論理に乗っかって物事を考えられたりできる方達へ。それは本当に素晴らしい才能、というか誰もが持っているマインドではないです。私は昔から淡白だとか頑固だとは言われてきましたが、改めて相手に寄り添えない器の狭い自分に気づいたので。

最後に内定先から適性検査の結果を頂いたのですが、

・せっかち・問題を指摘しがち・自分の視点を大切にしすぎる・競争心が強い・理想が高い

これらが私の性格の特徴、とのことでした。\そりゃそうじゃ/

最後に

少しだけ言うと、何をやるにしても向き不向きというのはありますし人間との相性はあります(わたしはマルチタスクと柔軟な思考が苦手だし、生意気なガキんちょが嫌いな年上の方と相性が悪い)。それを間違って認識すると最悪人生を棒に振りかねないので気を付けましょう。あとコネは大事。積極的に使っていきましょう。

※今はメンタルは回復に向かっています。ご心配をおかけしました。

おまけ

就活のゴミカスだな~と思ったシステム

・ジャパニーズトラディショナルカンパニーにありがちな、「総合職採用」という内定もらえるまで職種が決められない概念
→やりたいことが明確に決まっているわたしだと、こだわりが強いとみなされたせいか総合職はことごとく落とされた(たぶん)

・パンプス半強制文化
→外反母趾のみんな、おつかれ 


就活中出会ったちょっといやだった人

・最終面接のガチプレゼンを頬杖をつきながら聞くおっさん

・「うまく日本語が出てこないのですが......」と言ったら「インドネシア語でいいですよ?笑」と揚げ足をとってきたおっさん

・GD中、専門用語を説明なしでバンバン使ってくるDAIGO系私大生

・とりあえず「地頭」と「人間力」をひたすら連呼するおっさん

・コロナの簡易検査キットをトイレで使用させる某企業の受付

・セミナーで喋りまくって終了時間を3時間オーバーするおっさん+止めない司会のお姉さん

・私服でって書いてあるのにスーツを着てくる人たち


ちょっとだけあった、ためになったこと

・大学オケ、学科、NPO団体、そして自分のインスタストーリーで開催した他己分析会
→自分ってどんなふうに見える?って堂々と聞けるのは今だけな気がする(Twitterの#いいねした人の〜みたいなのは別として)

・面接、GD、インターン後のFB
全く知らない人からの評価を見るのもなかなか面白い。というかシンプルに嬉しい。




この記事が参加している募集

就活体験記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?