法法紙 943文字宣言 記憶喪失の国、記憶喪失の国民①
古く呆けたパッケージの包み紙を新しい包み紙に替えた事で、その中に閉じ込められた過去がクリーンに変わるものではない。
時代に己の存在と生存権を否定された多数の者たちの苦渋の想いを包み紙を定期的に取り替えることで、30年もの間は見た目が、クリーンな平成を装い続け今度はクリーンな令和を装おうつもりだと。
日本と日本人は、自身のあらゆる事柄に於て他者から何をやられてきたかを忘れ、併せて他者に何をやってきたかも忘れてしまった。
大空襲を受けた記憶をはじめ、凌辱を犯した当の大国(アメリカ)から直後に優しくされ始める事で大急ぎで心の傷を忘れ、加害者(アメリカ)との同一化を図る中で「立ち直った」と思いこむ事にした。
それは、急性ショックによる積極的的な記憶の喪失と言えた。
近現代に限らす、そもそも日本人は古来よりほどよく忘れる事が民族的知恵として織り込まれているふしがある。
ある意味で日本は震災や戦災やとにかく大災難の度に面目一新し、大きく前進してきたのだった。
すくなくても今までは。
だが、近現代人に至り、一国の問題が、決して一国の問題では済まなくなってしまった世界で、以前のように、記憶を喪いつつそれにより前進するという仕組みでは、もはや対応しきれなくなっていたのだとしたら・・・!?
民主主義国家の崩壊は、実は目に見えてそれと分かるよりも遥か以前から始まっている。
民が主役である重責を面倒に感じ、放棄した時からそれは始まっているのだ。
日本という国家の場合、それは、いつからだったのだろう?
誰か鮮明な記憶を持つ者が残ってはいないだろうか?
権力者の力を増長させてしまったいくつかの転機点はあった。
世界中が異なる他者へのヒステリーを起こした2001年9月11日以来
いやそれ以前、宗教団体を名乗る集まりが東京で化学テロを起こしたあのうす気味悪い
1995年以来、相互監視社会の成立の劣兵の一翼を担ってしまった者逹を、
哀れみことすれ、責める事は不可能である。
なぜなら民主国家に於いてそれを選んだのは民なのだから・・・
前述の例に限らず、近現代の日本はその事を何度も忘れ、
繰り返してきてしまったのだが・・・
21世紀に於て、再びそこには、忘れさせようとしてきた者逹、
忘れようとしてきた者逹、
そして、忘れまいと意志し続ける民の姿があるのだろう。
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