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白樺派に世界は救えない。長野の大地で痛感した自分の甘さとリアルコミュニティに必要な、超強力なグラウンディング=各自の自立の大切さ

ともえ@ファスティング中です。
(→よかったら自己紹介を読んでね)

今日は辛口な話だから読みたい人だけ読んでください。
多分不愉快になる人多いと思う~。

昨今コミュニティビジネスってはやりですよね。

今のところは気楽なオンラインサロンがメインですが、徐々にリアルコミュニティ化し始めているところも多い。

この流れを私は結構慎重に見ています。

何故かというと私、10年前にシェア畑のコミュニティをノリで作って失敗しているからです。

それはちょうど3.11の直後。twitterでつぶやいていたらあっという間にフォロワーが増えて、2000人くらいのフォロワーがいた(当時としては結構多い方)ことがあります。

その当時の私はちょうど、自分が生まれた町が原発事故でめちゃくちゃになり、その義憤からいろいろ活動を始めていた時期でした。

そして、そこで「この指とまれ―」って言って集まった人たちと、ノリでシェア畑を運営するコミュニティをはじめたんですよね。

ほんと、ノリです。

全くの事業性もなく、計画性もなく、ただ理念だけはぶっちぎりな状態でね(笑)

若かったからさ・・・遠い目(なんとまだ20代でしたね)

どういうわけか、運よく長野に住んでいる人たちとつながって、一緒に畑を動かすことになった。

当時の私は東京から田舎への移住をしたばかりで、しかも仕事で年に4回くらいドイツに行くというすさまじい生活でしたが、その合間を縫って通いましたよ。

でもね。

大地を動かす、畑をやる、というのは、正直、しんどいし、チートもないし、はやわざなんてものはない。

インスタ映えしない世界ですよ(笑)炎天下で草むしりしたり、ほんとにきついことこの上ない。

そしてお金結構かかります(笑)労働力もかかるけど。

それでいて、収穫できるかどうかも分からなかったりするわけ。

そして、畑や庭ってやり方や人格がもろに現れる場所なので、どう運営するかでいつも揉めていました。

やがて、現地組とそれ以外の人たちの間での温度差も生じ始めたり、メンバの私生活の変化もあったので(結婚、離婚、移住等)、コミュニティを閉じてもよかったのですが、私はある禁じ手をやってしまった。

それがね。

ずっと専業主婦をしていたあるメンバーが離婚した時に、およそ半年~の間、家賃を援助するといってしまったのですよ。

これはね。

コミュニティを運営するときには禁じ手だった。

なぜかというと、コミュニティという性質上、少なくともコアメンバーとしてやりたいなら、経済的にも精神的にも自立していなければ、お互いの関係性に対等さは生まれないし、生産的にもなれないし、発展性もないからです。

その当時の私はあまあまの大甘ちゃんで甘かったので、その子が自立して仕事を探してこれるまでの間のつなぎに、思っていたのですが、専業主婦しかやったことのない彼女にしてみたら、次の旦那(ATM)の代わりになってくれる存在が私だと誤認してしまったの。

会社員ではない限り、集客して自分でお客さんを集めることができなければ仕事にはなりませんよ、それができないならまずはお勤めしましょう、と言っても、まずそもそも会社員もしたことがなかった彼女にはお金が回る仕組みが分からなかったのでしょうね。

我慢して言いなりになっていれば、旦那さんからもらっていたように私からお金が降ってくると思いこませてしまった私が本当にダメでしたね。

さすがにこれはダメと思って、コミュニティ解散宣言をしました。

この時のことがあるので、私はコミュニティ運営って色々懐疑的に見ているところがあるし、あまり簡単に人の面倒を見ないようにしている(笑)

今やってるダーチャ女子プロジェクトは、各自の庭をしっかり耕していくことを主眼に置いているので、皆さんばらばらに活動している。

結構ドライかもしれないけど、自分の持ち場もない・作れない人間が、他人と何かをしようにもそこにはネガティブな意味での依存しか生まれないから、もうここは心を鬼にするしかないです。

(あるいは、もう1つの禁じ手として宗教化するっていうのもあるけど、私はそれは望まないから・・・)

自分で人を集められないのなら、お勤めとか方がずっと大きな価値提供ができるよなと思う。私は会社ってすごい良い仕組みだと思っています。社会的な貢献性も高い企業も多いですしね。自分のスキルによっては個人事業主より企業勤めの方が生かせる人も多いので、全員がフリーランスになる必要ないと思っていますし、大きな仕事はやはり会社に入った方が得意。

結局、ただ自分が癒されたくて(おこぼれが欲しくて)コミュニティに在籍していたいだけなのか、それとも、厳しい意見や社会の荒波にぼっこぼこにされても何かを人に届けたいと思ってコミュニティにいるのか、というのは全然違う心の方向性なのです。

そういう心根(提供したいという発想)にある人達がいるかどうかが、本当の意味でのコミュニティのグラウンディングだと思っていて、そのステージにないフワフワコミュニティと関わるのは気を付けて静観するしかないと思っている。

水瓶座の時代はネットワークの時代、と皆言うけど、何も提供できるものがない状態ではなかなかネットワークもできあがらないと思ってる。

水瓶座の時代のネットワークは、だれか声の大きな権力者(太陽)の周りをくるくる回る惑星や衛星になることではなく、自分も恒星になって、恒星同士が結びつくことなのだから。

※水瓶座の時代の話についてはこちらに綴っています。


運命共同体的な一族のような状況を作りたいならもう、むしろ会社にした方がいい。それが向いていることもあるので一概に独立軍同士が手を結ぶのがいいわけではないと思っている。

私も、親族とこの地縁があるから畑や庭を自由にいくらでもさせてもらっているのだし、切っても切れない深い意識を共有している。


それにしても、あの時のコミュニティで私についてきてくれた人たちはありがたかったなあと思う。それぞれ今は、各自の庭と畑を耕しているので、あのコミュニティ畑が一種のプロトタイプになってくれていたら、良いなと思う(そういってくれたメンバーもいるしね)。


ちなみに、日本の歴史でも白樺派っていう知識人たちがいて、山村で共同生活を送る実験をしているんだけど失敗しているのね。これ、自分たちのことじゃん・・・!って泣けたけど、仕方ない(笑)


自分の持ち場を守ったうえで連携するのが、本当のグラウンディングなので、それがないところには花も咲かないんだなって、痛い目をして学んだ20代後半~30代前半の出来事でした。

※私のダーチャ日記はこちらから読めます。



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