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ヘラルボニーに入った自分について語るときに僕の語ること

みなさま、はじめまして
タウン事業部の中山大地と申します

ヘラルボニーには今年の2月に入社し、あっという間に2ヶ月が経ちました

思い返せば幼い頃から自分の想いを言葉にすることが不得手な僕ですが
今の率直な気持ちを、なんとか書き留めたいと思います

少々お付きあいくださいませ!

まずは簡単に自己紹介、自分自身のルーツを辿る

兵庫県出身、1992年生まれの29歳

趣味は歌うこと、
キャンプで焚き火を眺めながらコーヒーやお酒を飲むことです
キャンプ道具はコツコツと集め、ようやくひと通り揃えられました

ファッションや雑貨が好きで、
特に気に入ったものはどうしても手に入れたくなります
ああ、好きなモノに囲まれて暮らしたい

なお、早起きとグリンピースは少し苦手です

家業はいわゆる町の不動産屋さん
三人兄弟の長男として生まれました

幼い頃は行儀の良い、かしこい子どもであったように思います
長男のステレオタイプのようなイメージでしょうか

同居していた祖父や周りの大人たちからの見られ方を気にして
冒険をしない真っ直ぐな道を何も考えずに歩んでいたようにも思います

小学校5年生の時に親に勧められるままに中学受験を決意
6年生の時には勉強しながら除夜の鐘を聞いていた記憶があります

とはいえどちらかというと何でもそつなくこなし
何をやっても平均よりも少しできてしまうタイプの僕
特に勉強を苦にも感じず、楽しみながら受験勉強をしており

結果、難なく第一志望の学校に合格

中高大一貫の私立校で、在学中もその「かしこい」自分を遺憾なく発揮(?)し大学卒業までエスカレーター式に進学しました

何不自由なく恵まれた環境の中で育ち、歩んできたことがわかります
両親に感謝です


しかし、恵まれているがゆえに何も深く考えず
争いを好まず、平和主義


ここでおそらく人生初めての壁にぶつかったのが就職活動でした


困難な状況から何かを成し遂げたこともなく
何かに心血を注いで取り組んだ経験もなく
何が得意かと問われたときに答えられることもなく

そもそも真っ直ぐな一本道を歩んできた僕にとって
社会へ出るためにどんな道を選べば良いかわかりませんでした

名前の聞いたことのある企業に何となくエントリーシートを提出し
何となくの志望動機が薄すぎたために、お祈りメールを頂戴し


それでも何とか、実家の仕事にも関係の深いハウスメーカー業界では
選考に進み、一番最初に内定をいただいた前職に就職しました


とはいえ一度入ってしまえばお手のもの

これまで「かしこい自分」を培ってきた僕は、
会社に求められる良い仕事が、
それなりにはできていたのではないかと思います

ちなみに大学を卒業するまでは実家暮らしでしたが
新卒で入社した前職では縁もゆかりもない仙台に配属され
気づけば 7年の月日を過ごしました
もちろん様々な出会いがあり、僕にとっては第二の故郷となりました


ただ、ここにきてようやく、ある種の疑問を感じ始めます


僕のこれまでの人生に、僕の意志はどこまで介在していたのだろうか
この仙台でひとり、何のために働いて、あるいは暮らしているのだろうか

ヘラルボニーとの出会い、それはかっこいいセットアップ

実は3年前
リアルタイムに仮囲いアート事業の第1弾をインスタグラムで発見していた
いつか自分の現場でもやってみたいと投稿を保存していました
(実現はしませんでしたが)

でもその時はまだ、これがヘラルボニーの事業だとは知りませんでした
ヘラルボニーという言葉も知りませんでした

なのでこの時点ではまだ、自分の中ではヘラルボニーと出会っていない


月日が流れて1年前
仙台のパルコ2にポップアップショップが出店されました
当時はまだフリーランスで活動されていた琢真さんに連れられ
泉さんの立つお店を訪れました

「めっちゃいい!」

そこに並ぶ商品と、特に泉さんが纏うセットアップを見て
単純に “かっこいい” と思いました

「そのジャケットめっちゃ欲しいです! 売ってないんですか?」
と、話したことのない泉さんに聞いたことを鮮明に覚えています


つまり、僕のヘラルボニーとの出会いは、
障害の文脈でもなく、福祉の文脈でもなく、
純粋にかっこいいプロダクトに対する、いちファンとしての出会いでした

(ちなみに当時、残念ながら既に完売しており入手できずでしたので
発売中のFABRIC TOKYOさんのコラボスーツは
なんとしても手に入れる所存です!)

ヘラルボニーにやってきた経緯、軽やかなお誘い

いろいろ考えていたことやタイミングの重なりがありました
でもやはり、前職時代から尊敬するひとつ先輩の琢真さんからのLINE

「ウチ来ない?」

まるで夕食を誘うかのような軽やかさで誘っていただいたことが
いちばんのきっかけであり決め手でした

最初の連絡がきた2日後には早速Zoomで会社紹介のプレゼンをされ
そこで初めてヘラルボニーの想いに触れました

「なんて素敵な、そしておもしろい取り組みなんだろうか」

YouTubeでヘラルボニーを検索し、片っ端から観てみました
観れば観るほど、知れば知るほど、
ヘラルボニーのファンになっていきました


とはいえ、僕はこれまで「障害」とは深く関わりがありませんでした

というよりも「障害」を正しく理解せず
調べたり考えたり、深く関わりを持とうとしていませんでした

あるいは関わること、理解すること、考えることを
無意識に避けていたのかもしれません

ヘラルボニーと出会う以前の自分は恥ずかしながら
「障害」に対して無関心でいたということです

こんな自分が果たして仲間に加わっても良いのだろうか

改めてじっくりと考えました


自分には原体験はない

それどころか障害、福祉、それらを取り巻く社会……何もわかっていない
なんなら自分は、文登さんの小学生時代の作文に出てくる
「じろじろ見る人」だったかもしれない


でもヘラルボニーと出会い、障害のある方々を知った
障害のある方々といまの社会との関係性にある違和感を覚えるようになった

そんなことに気がつくまでに生まれて30年近い月日が経ったけど
でもそんなことにまだ気づいていない人が、
日本にもおそらく世界にもたくさんいる

むしろそれが多数派で、それが≒いまの社会であり世の中だ

ヘラルボニーとの出会いで変わった僕の意識のように
ヘラルボニーが変えていきたい世の中の「当たり前」

そんな世の中の多数派と同じ視界を持っていた自分だからこそ
社会に伝えられる想いがあるのではないか


……と、こんな高尚な、
そして解像度の高い具体的な言葉にはできていませんでしたが

考えて考えて、考えて
周りの人にも背中を押してもらって
そうして何とか自分がヘラルボニーで働くことについて
自分自身でも納得ができ

生まれて初めて(?)自分の明確な意志で、転職の決断に至りました

ちなみに同僚や先輩、上司、お客さま、本当に人に恵まれた前職でしたので転職の決断には人生でいちばんの労力が必要でした

また、そろそろ実家に戻ってくるだろうと思っていたはずの両親には
先送りになってしまって少し申し訳ないなという気持ちもあります
(少しだけど)

でもいま率直にヘラルボニーの仲間に加えていただいたこと
本当に幸せだと感じています

まだ2ヶ月なので、そんな気持ちは最初だけだろうと
思われる方もいるかも知れません

でもおそらく、これからもずっとそう言い続けられる気がしています

ヘラルボニーのメンバーは、本当に素敵な、
そして魅力的な人たちばかりですし
ご一緒するパートナーさまもお客さまも、
作家さんも施設の方々もみな素敵な方々ばかりだからかもしれません

想いを同じくする人が集まると、こんなにも素敵な組織になるんだなあと
ひしひしと感じる毎日です

改めましてぜひ今後とも、ご指導ご鞭撻のほど
よろしくお願い申し上げます!

最後に、ヘラルボニーにいる僕がこれからやっていくこと

僕が在籍するタウン事業部は、まちや空間を異彩で彩ることが仕事です

しかしそれはあくまで手段であって
決してそれ自体が目的なわけではありません

基本的にヘラルボニーの商品を購入してくださる方々は
ほとんどがヘラルボニーのことを知っている、あるいは関心のある方々です

一方、まちや空間を彩ると、自然に多くの人の目に映ります
つまり以前の僕のような障害に無関心な人にまで
ヘラルボニーを届けることができる可能性があります

そんな方々とのタッチポイントを作り出し
少しでも多くの人に知ってもらう機会を創出すること

それこそが、タウン事業の、あるいはヘラルボニーにいる
自分の役割だと考えています

そうして少しずつ機会が積み重なり、
認識が積み重なり、理解が積み重なることで
「じろじろと見る人」がいない社会へ変化を促すことができるのではないか

ぜひそんな想いを共有し、そんな社会を共創していただけるみなさま
リスペクトが生まれる空間づくり、まちづくりを
どこかでご一緒できれば大変嬉しく思います

中山 大地




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