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「もうすこし」の通信簿は、不幸のはじまりなんかじゃなかった。

みなさま、はじめまして。ヘラルボニーでインターンをしています、大学生の玉木(Tamaki)と申します。突然ですが、私はヘラルボニーでは希少種の「人見知り」です。

そんな私なので、初登場ながら畏れ多くもヘラルボニーのnoteラリーでトリを飾ることとなり、絶賛、人見知りモード発動中です。真っ白な下書きを前に頭を抱えて早1週間が経過しましたが、普段あまり喋らないがゆえに、あることに気がつきました。

もしかして私がヘラルボニーでインターンをしている理由、まだ誰にもちゃんと話したことないのでは?

ということで、色々思い切って、ヘラルボニーと出会う前の自分について書いてみようと思いました。

私をヘラルボニーに導いてくれたのは、
一冊の「もうすこし」の通信簿でした。

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「もうすこし」の通信簿、現わる。

夏の昼下がり。プールのにおいがする。いつもは子どもたちの元気な声でにぎわう校舎は閑散としている。それもそのはず、今日は学期末の個別面談。面談になるといつもそわそわするけれど、今期はちょっとだけ自信があった。図工で描いた花の絵が、コンクールで入賞したのだ。きっとお母さんも褒めてくれる。と、思っていた。

先生から通信簿を手渡されると、母はすぐさま、三つ折りの通信簿の一番右にある、ある項目を見る。

「身の回りの整理、整頓をすることができる」

○のハンコがつかれているのは「もうすこし」の欄。

意味するは最低評価。

「またか」と、ため息をつく母。

その隣で「やってしまった」と、青ざめるわたし。

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帰りの車のなか、後部座席でうなだれている私に、母は言いました。

「どうして片付けができないの。お母さん、恥ずかしいよ」

恥ずかしい―。その言葉が、私の心にズキンと突き刺さって、目の奥がじわっと熱くなりました。

小学生のとき、私は片付けが大の苦手でした。

机のお道具箱のなかは、くしゃくしゃのプリント、散乱したクーピー、いつぞやのハンカチ、いつぞやのティッシュ、エトセトラ、エトセトラ。—まさに、カオス空間(四次元ポケットもびっくり)。

「女の子なのに片付けができないなんて・・・」
「社会に出たときに苦労するよ」
「普通にできないことが恥ずかしくないの?」 

家に帰ってからも家族から集中砲火を浴び、持って帰ってきた力作の花の絵をぐっしゃぐしゃに丸め投げて反撃。急いで自分の部屋に避難。籠城。そして、(心のなかで)大声で叫んだ。

そんなこといったって、できないものは、できないんだよおおおお!

自分でも、なぜできないのかがわからなかった。学校の掃除は好き。なのに自分のものになると、片付け方がわからない。自分で決めたタイミングなら、なんとか一気に片付けられる。けれど、私のクラスでは抜き打ちのお道具箱チェックがあって、ある朝登校すると、全員のお道具箱が机の上に大公開されてしまう。

自分だけ異様なお道具箱。周りの視線が痛い。「私さ、超ガサツなんだよね!ほらみて!」人に叱られる前に、嗤われる前に、自虐ネタにして必死にごまかした。

内心は、消えたいくらい恥ずかしくてしょうがなかった。

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(写真の右がわたし。姉よ、晒して御免。)

通信簿で「もうすこし」をとるまで、私の世界は平和だったのになあ、とも思った。

幼稚園で一人もくもくと遊んでいても、男の子の遊びをしていても、先生も、家族も、友達だちも、何も言わなかった。すべてが自由だった。私の描いた絵を、謎の一人劇場を、へんてこな作曲を家族はいつも「面白い!天才だ!」と、めいっぱい褒めちぎってくれた。

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(もうすこしの通知簿と出会う前の私。その2)

けれど、「できないこと」が可視化されたのを境に、世界は一変。どんなに勉強をがんばっても、先生のお手本通りに絵を描いても、面白いことを言って家族や友だちを笑わせても、整理整頓の「もうすこし」を消すことはできない。

「できないこと」は欠落で、恥ずかしいことなんだ。 

「できない」と思われることは、こんなにも傷つくことなんだ。

そのとき私は、「とにかく普通になろう」と決心しました。                             

みんなを笑わせることが大好きなひょうきん者"だった”私。小学校を卒業する頃には、絵に描いたような大人しい優等生になっていた。

中学に入り、勉強して受験をし、高校に入り、勉強して受験をし、そして、大学生になったとき。周りが求める「普通」に向かって突き進んできたはず、なのに—

私は、生きることに疲れ果てていた。

できないこと、人と違うことをひたむきに隠して、嘘ついて、普通を装う。 

いまの私は、本当になりたかったわたしなのだろうか?                                                                                                                       

結局、私は普通になりたくて、必死に普通を演じているだけだった。

どうしようもないもやもやした気持ちを抱えて、これからどうすればいいんだろうと途方に暮れていた、そのとき。

偶然出会った、ヘラルボニーがもつ強烈な引力に惹きつけられました。                                           

「みんなと同じようにできること、生きることが普通なんだ」

という、私の頭の中でかちこちになってしまっていた価値観のフレームは、物凄いスピードで打ち砕かれていきました。長い間、ぽっかり空いてしまった隙間が埋まっていくような、昔なくした宝物がまた見つかったような、

そんな感覚でした。

もうすこしの通信簿と、再会。

ヘラルボニーでインターンをはじめるまでは、ほとんど忘れていた(というより記憶から消していた)「もうすこし」の通信簿の存在。なぜかここ最近になって、当時の思い出が強烈に蘇ってきました。いてもたってもいられなくなって、面談以来、一度も見返すことのなかった通信簿を探すことに。もう捨てられてしまっているのでは、と思ってたけど、「もうすこし」の通知簿は、ファイルに入れられて、大事にしまわれていた。

十何年ぶりのご対面。

昔のことを思い出して嫌な気持ちになるだろうか。恐る恐る開いて見ると—

○が、他の欄よりも右にずれているだけだった。

なんだかわからないけれど、ほっとして、涙が出た。

自分でも気づかぬうちに、私は自分自身に「できないことは恥ずかしいことだ」という、強烈なフィルターをかけてしまっていたのだとわかりました。

「もうすこし」の通信簿を抱えて、泣きながら帰った通学路。

期待に応えられないのが辛かった。                        

ただ、普通じゃなくていいよと、言って欲しかった。

自分は愛されていないと、感じることもありました。

22歳になったいまの私は、ヘラルボニーに出会って、それは違かったとわかります。あのとき私が辛かったのは、母のせいでも、家族のせいでもない。母は母で「もうすこし」の通知簿を突きつけられて葛藤を抱えていた。私を思ってくれているからこそ、我が子が社会から受け入れられなくなる未来を恐れていた。

「普通」を求めているのは、社会というかたちのないものでした。

私たちは、小さな頃から何かしらの評価軸を背負って生きている。数字を通して「できること」「できないこと」を否応なく知らされる。できないことは、「普通」に「できる」ようにしないといけない。だって、それが社会の「普通」だから。

あれ、でもまてよ、「普通」ってなんだ?

本当はみんな、必死に「普通」を演じているんじゃないだろうか。

「普通じゃないということ、それは同時に可能性だと思う」

ヘラルボニーのこの言葉と、強烈な異彩を放つアーティストとの出会いは、私の心のもやを晴らしてくれました。人見知りの私を、ヘラルボニーのメンバーは「できない」と笑ったりしない。包み込むような、フラットな優しさがある。だから私は、いまもここにいられるのだと思います。

最後に、小学生の私へ。

いまの私も、片付けはちょっと、いや、かなり苦手です。中学校、高校でも、辛いと思うことがあるかもしれません。いまは見えなくなってるかもしれないけれど、あなたにはあなたの良さがあるし、あなたはちゃんと愛されているよ。普通じゃなくても私は私だって笑っていられる未来を、どうか楽しみにしていてください。

あなたの未来は私がつくるよ。

22歳の私より。

ばくすいするわたし


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

玉木穂香

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