岩手から世界へ。障害福祉の常識を変えるヘラルボニーが、組織と事業を牽引していくCHOを募集
ヘラルボニーは「障害福祉の常識を変えるリーディングカンパニー」を目指し、歩みを続けている。2022年春からは「異採用」というコンセプトを打ち出し、初の大規模採用にも力を入れてきた。
私たちが次のステージへ進むためには、持続可能な事業・組織づくりを牽引していく、新たな仲間が必要だ。そこでこのたび、採用特設サイト公開とともに、岩手県盛岡市にある本社でオンラインイベントを開催。
岩手本社にかける想いや、今回募集するCHO(チーフ・ヘッドクォーター・オフィサー)への期待、今後のヘラルボニーが目指すものを、両代表と各部門メンバーが語る。
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◾️ヘラルボニーの現在地をとらえる3つのピッチ
まず始まったのは、ヘラルボニーの現在地や岩手へのまなざし、リアルな働き方を伝えていくピッチ。代表を務める双子の兄弟・松田崇弥と松田文登、リテール部門シニアマネージャーの小森樹子が登壇した。
ピッチ1. 2022年、ヘラルボニーの今
松田崇弥はまず「ヘラルボニー」という社名が、4歳上の兄が繰り返し書いてた謎の言葉から来ていると話す。重度の知的障害を伴う自閉症の兄は、ヘラルボニーの意味を「わからない」と言うが、心の中ではどこか面白いと感じていたのではないだろうか? そうした面白さを可視化していくなかで、障害者への視線を変えていけたらと、起業した。
それ以降、一貫して“作家ファースト”を掲げ、知的障害のある作家たちのアートデータをさまざまなモノ・コト・バショに展開。そうした事例を振り返りつつ、いまのヘラルボニーに求められるものを語る。
松田崇弥(以下、崇弥):いま私たちは、少しずつ日常に溶け込みはじめた「異彩」の世界観をいっそう促進するために、ライセンサーから企画会社に変わっていこうとしています。いままでのようにアートデータを展開するだけでなく、これからは根幹の“企画”もポイントになる。なぜこの事業で、なぜこの形で異彩をアウトプットしていくかを考え、実現していかなければなりません。いままでの「がむしゃらさ」にくわえて「丁寧さ」も身につけ、仕事の質も量も大切にしていきたいと感じています。
「異彩の日常」が生まれはじめた例として、ライフスタイルホテル「ハイアットセントリック 銀座 東京」のスイートルームやレストランを紹介。空間を彩るファブリックなどに、ヘラルボニーのアートが活用された。初期のころから続いている建設現場の仮囲いアートも、すっかり日常となった異彩のひとつだ。いまも、全国80ヶ所以上で展開されている。
崇弥:ヘラルボニーは、スタートアップと呼ばれる領域の会社です。一般的には、スタートアップ事業が広まることで、世の中は便利になっていくもの。でも、ヘラルボニーの事業が広まることは、ある種その流れに逆行するかもしれません。知的障害のある作家と伴走し、そのアートを広めても、かかる手間や時間は減らないからです。だけど、ヘラルボニーの思想が浸透し、アートではなく作家そのものが売れていくことで、一人ひとりの考え方が変わる。その先で、かならず世界が変わります。そんなことに本気で取り組める会社は、なかなかないのではないでしょうか。
2022年7月からはじまった第5期のコンセプトは「異彩を届けるまで、やりきる」。昨年まで「異彩を、放て。」を掲げ、とにかくいろんな放ち方に挑戦してきましたが……今後は、本当に届くのかというところまで責任を持ち、やりきっていきたいと考えています。
ピッチ2. ヘラルボニーが、岩手本社を強化する理由
次は、ヘラルボニーがどうして岩手に重心を置くのか。マイクを握った松田文登は、まず自身のすぐ後ろにあるアートにふれた。「私が初めて見た異彩は、いまこの会場に飾られている作家さんのものでした。だから、今日はこれらの作品前でお話できることがうれしい」と言う。
松田文登(以下、文登):私は岩手県花巻市のるんびにい美術館で、初めて異彩に出会いました。そのときに感じた「なんだこの美しさは!」という衝撃を忘れたくないという思いがあって、ヘラルボニーの「はじまりの一歩」は岩手から踏み出すことを大切にしています。たとえば、盛岡の百貨店「カワトク」や花巻駅の駅舎などをはじめ、岩手の企業やブランド、公共施設とは多くのコラボレーションをしてきました。近年では、盛岡再開発事業の一環である「ホテル マザリウム」の空間や、プロバスケチーム「岩手ビッグブルズ」のユニフォームなども、ヘラルボニーが彩っています。また、岩手日報と初めて実施した選挙アクションである「#CAREVOTE」では、知的障害のある人の選挙における投票行動をサポートするための取り組みを発信しました。私たちの事業で岩手が盛り上がり、障害のある人が生きやすくなれば、それはどんな方々にとっても生きやすい場になるはず。日常と障害の“境目”を、岩手からなくしていけたらと思っています。
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ヘラルボニーの契約作家のひとり、小林覚。彼は文字と文字をつなげて書くという強烈なこだわりがあったが、それを個性として伸ばす周囲に恵まれ、作品をどんどん磨き上げていった。ヘラルボニーとの出会いを通じ、地元・岩手でサイン会を開催したときには、多くのファンが押し寄せている。
文登:「障害者」という人間は、一人もいないんです。小林覚という存在がいて、その後ろに「重度の知的障害を伴う自閉症」がある。障害者の「できない」を「できる」にするのではなく、彼らの「できる」にお金の文脈をつける。そんな未来を当たり前にしていくのが私たちの役割だと思っています。地元の企業をはじめ、この思いに共鳴してくださる皆さんのおかげで、少しずつ岩手は盛り上がってきました。
ピッチ3. ヘラルボニーでのワークスタイル
6歳と5歳の子どもを育てる小森樹子は、2022年5月に入社したばかり。リテール部門でブランドの想いを乗せたものづくりを推進し、さまざまなプロダクトを世の中に届けている。スタートアップで働くことや、自身が暮らす東京と岩手の連携について語った。
小森:ヘラルボニーではコアタイムなしのフレックス制度を採用しているので、一日の勤務量や出退勤時間は自由。月の総労働時間を確保していれば、出社日や日数の指定もありません。自分の業務内容に応じて、パフォーマンスを最大化できる場所や時間を選んで働けるのがうれしいところです。私の場合は、プロダクトのサンプルを確認するときなどは出社しますね。いまはどんどん新メンバーがジョインしてきているので、オフラインで人が集まるタイミングには、チームの交流を深める会なども実施しています。
リテール部門は、東京と岩手に6名ずつ。離れていても、Slackを使ってスピード感あるやりとりができているという。誰かが投稿するとすぐさまスタンプがつき、称賛や励ましがカジュアルに飛び交うのは、ヘラルボニー全体のカルチャーだ。
小森:ただし、誰かに働き方を決めてもらうことがないぶん、セルフマネジメントは必要です。子どもがいて急にスケジュールに穴を開けてしまう可能性もあるため、自分の仕事に透明性を持たせつつ、チームで取り組むことや状況に応じたコミュニケーションは心がけています。マンパワーで乗り切るフェーズは終わって、これからは属人化しない仕組みづくりが必要。一人ではなく、チームで勝つことを推進できる方に入社していただきたいです。
◾️パネルトーク
ここからは、ヘラルボニーの外部メンバーであるブランドエディター・西丸亮が参加。パネルトークを進行し、両代表や部門メンバーの考えを聞いていく。
テーマ1. ヘラルボニーの岩手“聖地”化計画
岩手“聖地”化のはじまりや現状
西丸:ヘラルボニーが掲げる「岩手“聖地”化」という計画について、まずはその背景や現状を聞かせてください。
文登:ヘラルボニーの事業が目指す先は、障害者を取り巻く価値観を変えていくことです。それを20年30年100年と続く“文化”をつくることだととらえたとき、ヘラルボニーが岩手という誕生の地に存在し続けることは、大きな価値につながると考えました。それを岩手の「聖地化」と呼んでいます。
古舘:お店には、岩手の方はもちろん、県外からもたくさんのお客様がいらっしゃいます。しかもヘラルボニーのアイテムを身に着けていたり、「いまからギャラリー、そのあとはるんびにい美術館を回るの」なんて、お客様自身がヘラルボニーゆかりのツアーを考えていてくださったりする。普通のブランドではなかなかない現象だと思いますが、作家さん個人のファンも非常に多いです。お客様のなかで、ヘラルボニーはただ買い物をするだけの場所ではないんだなということが、日々感じられます。だからこそ、皆さまとヘラルボニーがさまざまな形でつながれる場やイベントをつくっていけたら、もっと岩手を聖地として盛り上げられると思いますね。
文登:ヘラルボニーはも本社内にギャラリーをつくり、常設店を構えたことによって、岩手で周遊できるスポットが増えてきました。アートラッピングをした花巻駅や、みちのくコカ・コーラとコラボしている自動販売機などの事例も含めれば、回れる場所はさらに多い。徐々にヘラルボニーが、岩手の観光資源のひとつになってきていると感じます。
西丸:ファンの人たちと一緒に成長させていく雰囲気が、今後のヘラルボニーには活きてくるのかもしれませんね。ただ、仕事として聖地化にコミットするためには、岩手に何らかの思い入れやアイデンティティが求められてしまうようにも感じます。でも、大田さんは……。
大田:はい、岩手出身ではありません!(笑)ずっと東京で働いていて、名古屋を経由し、昨年秋から岩手にやってきたばかりです。
西丸:先ほどは登場するなり「おばんです」なんて、岩手の方言で挨拶もしていらっしゃいました。地域に少しずつ染まっている感覚はありますか?
大田:すごくあります。最近では街を歩いているときに、ヘラルボニーのグッズを持っている方をお見かけする機会も増えて……そういった経験を積み重ねるうちに、どんどん岩手に愛着がわいていきました。岩手を聖地化していきたいという思いも、強く感じています。
古舘:私は岩手出身なので、最初から「自分の地元で活躍したい、盛り上げていきたい」という思いが大きかったですね。ヘラルボニーと出会ったときは「こんなにすごい会社が岩手にあるんだ!」という衝撃を受けました。岩手の有名なものなんて食べ物しか思い浮かばなかったのに、この土地からこんなにすばらしい発信ができるなんて、ぜひ参加したいと思ったんです。
聖地化という挑戦に向けて、足りないもの
西丸:大きな挑戦でもあるこの計画に対して、いま足りないものは何ですか?
文登:この計画の実現には、圧倒的なアウトプットを岩手で出し続けることが重要だと思っています。そのためには、より魅力的なプロダクトをつくるためのクオリティコントロールや、持続可能な組織づくり、一人ひとりの高い視座が欠かせません。そして何より、障害のある作家から「障害者アート」という枕詞をはずし「現代アーティスト」として旅立たせていく気概が、聖地化につながっていくと考えています。
文登:それから、岩手の企業さんとの連携も大切ですね。この会場からも少し歩けばヘラルボニー柄の自動販売機があって、さらに200m歩けば川徳の常設店があり、そこから500mでアートを提供しているホテルマザリウムがある。こうしてヘラルボニーのアートを点在させることは、さまざまな企業との連携から生まれていくと実感しています。これからもアートとアートで地域を結び、より強いコミュニティをつくっていく仕掛けを考えていきたいです。
西丸:今回の採用の目玉となっているCHO(チーフ・ヘッドクォーター・オフィサー)も、これからのヘラルボニーに欠かせない役割なのだと思います。どんなスキルセットやマインドを求めていますか?
文登:まずは、ヘラルボニーをもっと強い組織にしていくために、そこをちゃんと束ねてくれる方。かつ、岩手の聖地化に向けて何を実行するべきか、どんな選択をすべきかを一緒に考えていただきたいです。異彩をアート以外の文脈でも広げつつあるいま、岩手でどんな表現を生み出し、岩手の外までどう攻めていくかをしっかり練り上げていかなければいけません。その戦略を立て、数字に落とし込み、自走できる形をつくってくれる強い方に……。
西丸:求めるスキルセット、めちゃくちゃ高くないですか!?(笑)組織全体をブランドとしてとらえる客観的な視点と、社会の時流をつなぎあわせていく作業も必要になってくるだろうし……。
文登:そうなんですよね(笑)。
大田:いま設立4年目に入ったヘラルボニーは、スタートアップのステージでいうと、アーリー(創業前後)からミドル(事業が本格的に成長しはじめた時期)に差しかかっています。そのなかで、CHOが担う役割もはっきり決まりきっておらず、あえて言うなら伸びしろややりがいがたくさん残っている状況です。想いのある方との出会いを、楽しみにしています!
イベント全体の進行を務めていた広報PRの玉木穂香も、CHOという役割について「岩手にゆかりがあるなしに関わらず、新しい価値を地域から広げていくことは、すごく挑戦的で楽しい仕事。心から共感してもらえる人と働きたい」と結んだ。
テーマ2. 岩手から世界へ
世界のなか、日本のなかでのヘラルボニー
西丸:岩手聖地化を進めるかたわらで、世界を意識したブランドづくりにも取り組んでいると聞いています。そもそも、世界を意識したのはいつですか?
崇弥:創業当時は、世界なんてまったく意識していませんでした。でも、多くの起業家や銀行、NPO、資金調達スタートアップの方々などとお話するなかで、少しずつ「私たちの事業には世界を変えられる可能性があるのかもしれない」と思えてきた、というのが正直なところです。
文登:ヘラルボニーに関わってくれる作家やその親御さんに会うと、こちらがびっくりするくらい喜んでくださることがあるんですよ。たとえば、2年前に花巻駅舎を地元の作家・八重樫季良さんのアートが彩ったあとには、作家さんのご家族から「いただいたお金で焼肉を食べました。人生で一番おいしい焼肉でした」とお手紙をいただいたんです。それって、作家さんが自分で稼いだお金で食べたからこそ、そんなにもおいしかったわけですよね。僕らの取り組んでいる活動は、作家だけでなく保護者や福祉施設の職員など、本人を取り巻くたくさんの人の自己肯定感をも上げていく。そして、障害のある方が社会に出ていく新たなきっかけをつくっているんです。そう感じる場面が増えるたびに、この活動をもっともっと広げていきたいという思いが強まって……世界中の作家さんや周りの方々に、こうした体験を届けたいと思いました。
西丸:ヘラルボニーのような企業は日本だと先駆けの存在ですが、世界ではどうなんでしょうか。
崇弥:じつは、世界的に見てもないんです。NPOや社会福祉法人で障害のある人とアートにまつわる活動をしている団体はありますが、株式会社という形態で、こうしたアートのライセンス事業に取り組んでいる会社はありません。
西丸:障害福祉の観点で、日本という国にはなにか特異性があるんですか?
崇弥:日本には「障害者文化芸術推進法」という法律があって、芸術的な表現を一切学んでいない障害のある人たちが作り出すアートを、国を挙げて大切にしています。2018年、超党派の活動によって可決されたばかりの法律です。それによって厚労省や文化省が旗振り役となり、芸術に取り組む方がどんどん増えてきた。国策としてそこに取り組んでいる国はほかにないので、世界を見ても、活動者の母数は非常に多いといえますね。
文登:ただ、それはどちらかというと、障害者支援の側面が強いアクションなんですよね。その結果、すばらしい作家の作品と、まだそこまでのクオリティではない作家の作品があったとき、どちらも福祉という枠に閉じ込められて、並列に扱われてしまう。だから、アールブリュット(※)の観点でヘラルボニーの作家が世に出ていくことには、怖さもあります。でも、作家さんが外とつながることを止めるわけにもいかなくて……そこのジレンマはありますね。現代アートのギャラリーでは、誰の目を通したかによって原画の価値が変わります。そんなふうに、ヘラルボニーのフィルターが入ることで作家さんの価値を高められたらいいな、とは思っているのですが。
崇弥:国や業界全体が盛り上がるのはいいことなんだけどね……。僕たち双子はヒップホップが好きなのでそれで例えると(笑)、KREVAさんは超実力派が集うアンダーグラウンドなフリースタイルバトルの大会で、3連覇を果たしているんです。そのあとにメジャーシーンを駆け上がり、マスの誰もが知るラッパーになった。ヘラルボニーも同じで、まずは現代アートの文脈でしっかりと評価を受けてから、マスを取っていけたらいいと思うんですね。だから、現代アートへの挑戦は大きな命題として受け止めているし、引き続き力を入れていきます。
文登:マスだけやっていても飽和していくから、両輪を回さなくちゃね。8:2のバランスで攻め続けないといけない、という話はずっとしています。
業界をいっそう盛り上げていくために
西丸:いまはD&IやSDGsといった社会の時流にも乗っているヘラルボニーですが、今後その波が途絶えても残り続けるには、揺るぎない企業価値をつくっていかなければいけません。そのために、いまどんなことを考えていますか?
崇弥:実際、SDGs貢献企業ということを謳っていけば、もっと案件が取れて売上が増すのはわかっています。でも、それをやってしまうと、その場でおいしいものに食いつくだけの人になってしまう。時流との付き合い方や社会とのリレーション作りは、マーケティング&コミュニケーション部門と一緒に、最新の注意を払いながらやっていますね。
文登:こないだ、草間彌生さんは展示が最強にかっこいいからライセンスできる、という話を聞いたんです。誰が見てもこの作家はいいという価値があれば、どこにライセンスを渡しても世界観が保てる。ヘラルボニーも、そういう意識を持ってアウトプットし続け、価値を強めていくことが大切なのかなと思いました。
崇弥:ビジネスモデルとしては、Marimekkoなどを参考にしていますね。あのブランドは150億円の売上があるなかで、アパレルが50億、インテリアが40億。そして残りの60億がすべてライセンスなんです。本国でライセンスを管理しながら、各国の企業に権利を付与して、世界中にプロダクトを展開しています。ヘラルボニーもまずは国内でしっかりとブランドを確立し、いずれはヨーロッパなどでも連携できる商社を見つけて、アートを広げていきたいです。
西丸:では最後に、世界に出ていくための土台づくりとして、いま必要なことを伺いたいです。
崇弥:これは自戒も込めてなんですが……やっぱり「こだわり抜くこと」がすごく重要かなと思っていて。「このくらいでいいだろう」って妥協してしまいそうなとき、自分自身でそれを許さない。それが社員の約束になり、チームの価値観になれば、本当にすばらしいものだけをアウトプットできる会社になるのではないでしょうか。
文登:前職で、よく「仕事ができるということは、成果を出すということだ」と言われていたんです。でも、これまでのヘラルボニーはカルチャーフィットなどに重きを置きすぎていて、本当の意味で数値的な成果が出しきれていなかった。さらに上を目指していくには、このままじゃだめなんだと思います。だからこそ、目の前の忙しさで後手後手にならず、周りをも先導していけるようなリーダーが、今まで以上に必要になるんでしょうね。
崇弥:投資家にも、目標達成していない部分は強く指摘されています。その感覚を全体に周知していかないといけないし、そこに本気でコミットできる組織風土をつくらなきゃいけない。プロの企画会社として事業を推進する、新たなフェーズに入っていこうと思っています。でも、引き続き楽しくはやっていきますので!(笑)大変なことはたくさんあるけれど、総じて見れば、夢に向かって走るのはすごく楽しいものですから。
――イベントのなかで副代表の松田文登は「私たちが成長していくことは、障害のある方たちの人生を変革していくことにつながっている。僕らの成長が、社会の前進に直結していると強く信じられる」と話した。そうした誇りを胸に、新しい価値を地域から世界へと届けていく仕事が、確かにここにある。
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