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フレージングの基礎理論 その1 スラーとフレージング

始めに

フレーズとは音楽のグループと同じ意味だと考えておきましょう。英語の「フレーズ」という単語を動詞として使うと「フレーズに分ける」という意味になります。ですからフレージングという言葉の意味は「フレーズに分けること」あるいはそれによって分けられたフレーズのこととなります。グループも似たようなものですが、こちらは「グループにまとめる」という意味ですから、元の考え方としては逆です。しかしどちらにせよ同じ対象を扱うものなので、ほとんど同義語であると思ってください。

ここでお話することは、それぞれの曲のそれぞれの箇所についてどのようなフレージングをすべきかということではありません。

ここでお話したいのは、音楽のフレーズとはどのような存在なのか、それはどのような形となりうるのか、ということを理解しようということです。

音楽家はフレーズについてよく分かっていますが、フレーズの仕組みについてよく分かっているとは言えません。これは日本語を話すのはうまい人が、必ずしも日本語の文法をうまく説明することはできない、というのとよく似ています。

文法をよく分かっているからと言って名文家になれるというわけでもありませんが、きちんとした文章の基礎であることは間違いありません。

音楽を本能で理解し演奏できるような一握りの天才ではない普通の才能を持った我々は、まるで外国語を勉強する時のように文法を手がかりに学習を進める必要があります。


スラーについて

楽譜に書かれたスラーが何を意味しているのかについては、正確なことは何も分からないのが実情です。ある箇所で作曲家が何を意図してスラーを引いたのかを、作曲家自身が説明している例はごく稀だからです。作曲家が常に同一のやり方でスラーを用いたと保証するものはありません。

スラーが意味しうる事柄は多様です。連続する音のあいだを切らずに演奏する奏法を指定するレガート・スラーは、必ずしもフレーズの切れ目や繋がりに対応しません。

次のマズルカのスラーは全くフレーズに一致していません。よく見ると16分休符のところで切っているだけの、途切れ途切れのレガート・スラーであることが分かります。

ショパン マズルカ作品7-1 

仮にそれがフレージング・スラーであっても完全なものは存在しません。なぜならば、フレーズとは階層的な構造をもち、大きなフレーズの中に小さなフレーズが含まれるという関係を幾重にも示すものだからです。多くの場合フレージング・スラーは、これらの階層のうちの1つのレベルのフレーズだけを表示しています。

次の例ではフレージング・スラーの示す構造的なレベルがまちまちです。5小節に渡る長いスラーは大きなレベルのフレーズを表現していますが、その直後にはなぜか小節線をまたがずに止まってしまう短いスラーがあります。

ベートーヴェン ピアノソナタ第1番 作品2-1 第1楽章


スラーはレガートを示すと考えておくのが無難である

スラーがある場合はレガートを示し、ある場合はフレーズを示しているとすれば、結局我々はスラーを頼りにフレーズを考えることはできないということになります。そのため多くの場合「スラーはレガートを示すと考えておくのが無難である」ということになるのです。そして演奏家たちは、実際にはフレーズについてスラーに頼らずに判断しているのです。

そして自分で判断したフレーズと、楽譜に書かれたスラーが一致する場合だけ、そのスラーをフレージング・スラーだと主張することになります。


かつてフーゴー・リーマン(1849–1919)は、スラーの意味をフレージング・スラーに限定して用いようという企てを行いました。演奏はレガートを基本とし、レガート以外となる場合だけ何らかの記号で示せばいいわけですから、不可能な試みではありません。しかしフレーズ構造はスラーで表現するには複雑すぎますので次の譜例のようにスラーを重ねたり、スラーの他にフレーズの切れ目を示す補助記号(||と|)を用いたりしています。この試みは、彼のフレーズ解釈がかなり独創的なものであったことや、他の人が似たような試みによって楽譜を出版することを妨害したために、一般に普及することなく潰えたのでした。

リーマンの初期の試み(1885)


ここまでの結論

幸運な例を除けばフレージングは楽譜に書かれていないと考えるべきである。

演奏家は曲のフレージングを、教師に教えてもらうか、あるいは自分で判断できるようになる必要がある。


音楽のフレーズとは何か

ここでお話する理論は、「正しいフレージングがすぐ分かる」ようにするための理論ではありません。

正しいフレージングが判断できるようになるためには経験と教育が不可欠です。しかしフレーズがどのような仕組みで構成されているのかを分かっていないと、経験や教育をうまく分析に活かすことができません。

例えば外国語の会話を習う時、文法を知らない場合には、すべての会話例を丸暗記するしかありません。そのうちに文法が分かってくることもありますが、そのためには膨大な時間と集中力が必要となります。

また、初めて聴く/目にする文章でも、単語が違うだけで過去に知った文章と同じ構造をしているということがあります。この場合、少なくともその文法的な「形」についての知識はすでに持っていたことになり、新しい文章をその知識を用いて理解することができます。しかし個々の単語を知っていても、見覚えのない順番で並んでいるとその意味を断定することができません。

ですから「どのような形のフレーズがありうるのか」をある程度知っていないとフレーズを解釈することはできないのです。

しかしフレーズの形と言っても、それは膨大な種類になるでしょう。それを全部覚えるわけにはいきません。ですからその形は、何かの単純なシステムに基づいて様々な形として生み出されるようなものとして頭に入っているに違いありません。

フレーズの文法

そのようなシステムは「文法」と呼ばれます。フレーズの形をすべて覚えていなくても、我々はその文法を知っていさえすれば可能な形を全て導き出すことができるのですから、実質的には全ての形を覚えているのと同じことになります。

できれば人間が生み出しうるあらゆる音楽のフレーズを理解できるような文法を明らかにしたいところですがそれは手に負えない試みですので、ここでは一部の音楽のフレーズの文法を明らかにすれば十分だとしましょう。それは、はっきりとした規則的な拍子を持っている音楽のフレーズです。

理論的アプローチの選択

さて、この理論で採用する方法を選んで置きたいと思います。

理論を構築するためには、いくつかの採用しうるアプローチのうちの1つを選ばなければなりませんが、その選択した理由が最初から明らかとは限りません。そこで最初に「私はこのやり方が効率がいいと思うのでこれを採用する」と宣言しておきましょう。

この理論では、拍節構造は最も単純なフレーズであると考えます。小節や拍は、それぞれフレーズの部品やフレーズそのものです。

実際の音楽は小節に一致しないフレーズを含みます。これをどう考えるか。この理論ではそれを小節の変形であると考えます。そしてそのようにして得られたフレーズは、小節をその基本構造として持つと考えるのです。

そのように考えると、音楽のフレーズは、小節や、複数の小節からなる高次小節の連続に還元して捉えることができることになります。

そして理論的な課題となるのは、小節などの拍節構造をどのように変形させれば、実際の音楽で出くわすようなフレーズを全て得られるようになるのか、という問題を解くことです。

その方法については次の記事で紹介しましょう。

カテゴリー:音楽理論

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