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7. 散歩について

僕は、よく歩くようにしている。
運動不足による生活習慣病になるのがどうしてもいやだったのだ。
特に糖尿病とやらが怖い。
僕のおじいちゃんは、糖尿病を罹っていたのだ。甘い砂糖菓子が大好きで、BOSSのブラックコーヒーとともにそれをいつも食べていた。
そして、年の割には、ご飯を食べるのだ。特にお米を。
そんなおじいちゃんの遺伝子を引き継いでいる僕もかなりの甘党で、LOTTEのチョコパイを高校生の頃は、週に3日は食べていた。
おかげでバイト代がチョコパイに消えていった。
食べ物もそうなのだが何かにはまると、そればかりやってしまう癖があるのだ。
こんなわけで、普段の生活の中で、取り入れられるごく簡単なエクササイズはないだろうかと大学の講義中教授の目を盗んでGoogle検索で、『日常 運動』みたいなように調べていた。
そこで、散歩するだけでも得られるメリットが多いことが判明した。
散歩することで、脳が活性化し、頭の働きがよくなり、ついでに生活習慣病ともおさらばできるらしいのだ。 
十分だ。十分すぎるくらいだ。頭が良くなり、健康でいるに越したことはないのだ。
かの有名な『KUMON式』ですら僕の『ボノボ』と同程度と思われる知能を真人間の段階へ引き上げることはできなかったのである。少し暗算が速くなったのと、『坊ちゃん』という文学を嗜むことができ、英語では名台詞『sure』を覚えたくらいである。
これは、あくまで『KUMON式』が悪かったのではなく、僕自身の怠惰さと理解力の乏しさが問題だったのだ。普通にやれば、誰でも『KUMON式』の極意を会得することはむろんできると思う。『進研ゼミ』や『KUMON式』といったものは、後になってやっといて良かったと気づくのが常なのだ。これもあくまで、僕がそう思うだけの話である。
それにしても歩くだけで、僕のIQを真人間の段階へ引き上げることができるとは、なんと素晴らしいことか。
こうして僕の散歩習慣が始まったのである。
バイトの行き帰りを歩き、学校の行き帰りを歩くと、合計の徒歩時間は、おおよそ1時間くらいになる。
バイトは週5日もしていたので、ほぼ毎日歩くようになったのだ。
学校が休みの期間に入ると、朝起きて、すぐに30分ほど歩き、昼になってまた歩き、夜になってまた歩くのだ。
最初のうちは、30分歩くだけでもぜえぜえと喘いでしまっていた。
それが、1ヶ月も経つ頃になると、1時間かなりのペースであるいても全く苦しくならなくなっていたのだ。
それから、2ヶ月が経った。顔の贅肉や少し出ていた下腹の脂肪がすっかり無くなっていた。
脚のふくらはぎにオムレツでも詰まっているのかと思わせるほどの筋肉がついていた。
そして、もう一つ身体の変化があった。
その変化に気づいたのは、バイトで接客をしていたときのことだった。
僕がしているバイトというのは、コンビニでの接客で、大学に入ってからもう3年近くそこでバイトをしていた。高校生の頃も含めると6年近くになる。
僕の接客手順は、まず、ぎこちない笑顔を浮かべ、威勢のいい声で「いらっしゃいませ!!」と
お客さんに浴びせ掛け、ポイントカードの有無を確認し、商品のバーコードを読み取り、袋詰めをし、ほとんど肉眼では捉えられない速度でレジを打ち、おつりをそっと包み込むように渡し、最後に、死んだ目と作り笑いの顔で、「ありがとうございました!!また、お越しくださいませ!!」と言い放つのだ。
この手順のうち、袋詰めフェーズに移行したさいに、とある変化に気づいたのだ。
身体の芯が全くブレないのだ。身体の中心に鉄心を埋め込まれているかのごとくブレないのだ。おかげで、商品を詰める速度がほんの少し速くなっているのだ。
しかもだ、レジを打つ速度も僅かにあがっているのだ。
僕は、驚愕した。
ただ、歩いただけなのだ。それだけなのだ。たったそれだけで、小中高と図体のわりに運動音痴だったはずのこの僕の身体は進化を遂げていたのだ。
今シャトルランや反復横跳びをやれば何回いくだろうか。高校生の頃の僕は、僅かに60回程度で窒息しかけていたのだが。
おそらく今の僕なら、150回は軽々とやってのけてしまうだろう。
ああ、なんであの頃、こんな簡単なことをやらなかったのだ。
歩くだけで、シャトルランで大活躍でき、サッカー部や野球部バスケ部の記録をも上回り、
女の子からは、黄色い声援が飛び交い、バラ色の青春を手に入れることができたかもしれないのに。
ただ、もう後悔しても遅いのである。今、僕は、この進化を遂げた身体を手
に入れた。この事実だけでも、あの頃の自分が報われる。
僕は歩き続けたことによって、生物が到達しうる限界を超越してしまった。と思った。
「もう少し、この身体を試してみよう。」
僕は、レジの隣にある揚げ物売り場から、チキンを取り出すとき、いつもなら慎重に丁寧に取っているのだが、進化を遂げた今、あえて素早くとってみたのだ。
そうするとどうだろう、面白いことにチキンはあっという間に紙袋に収まったのだ。
「す、すごい!」
身体がしかっりと床に固定されて腕から手先にかけてのブレが無く、チキンを正確無比につまみ上げ、身体の鉄芯を軸にして時計回りに約20°ほどだろうか回転運動を与えれば、恐ろしい速度で腕が引かれ、瞬時に紙袋に収まるのである。
バイト中であったので、顔には、出せなかったのだが、胸の内では笑いが止まらなかった。
そんなこんなでバイトが終わり、家へ歩いて帰宅した。
そして、次の日、大学の講義が終わり、また歩いてバイトへ向かった。
背をまっすぐに伸ばし、生き生きと歩いていた。
もう、運動音痴とは言わせない。
僕はもうあの頃の僕ではないのだ。
コンビニへ着き、事務所へ入り、速く接客がしたいと高ぶる気持ちを抑えながら、着替えていると、いつものようにIQOSを吸っていた店長が口を開いた。
「昨日さあお客さんからクレームの電話があったぞ。」
「え?」
「なんか商品を入れ忘れたとかですか?」
「いや、違う違う、お前の接客態度が急かしてるみたいで、あまり気分が良くなかったって。」
「…すみません。」

そうだ、たしかに僕の身体は進化を遂げていたのだ。
しかし、どうやら頭は相変わらずだったようだ。
お客さんが僕の接客態度をどう見ているのかを考える頭が足りなかった。
「ああ、『KUMON式』を真面目にやれば良かったな。」
心の中でつぶやいた。


すまない、嘘だ。
注意を受けてテンションが下がってしまい、心の中で、「はやくバイト終わらないかな。」とつぶやいたのだ。

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