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これからを生き抜く「働き手改革」

今、社会全体として働き方改革が進められています。

労働の生産性を高めて残業を抑制し、可処分時間を増やしてゆとりある生活をしましょうという取り組みですね。

多くサラリーマン、特に若い人はこの流れについて「単なる労働時間の減少」と肯定的に捉えています。

しかし、本当に「働き方改革」は私たちの「ゆとり」を生み出すのでしょうか?

労働人口の減少と矛盾する時代の流れ

日本は少子高齢化社会です。年々人口は減少し、私たち若い世代の負担は常に増え続けています。

そんな中での「労働時間の削減」は、社会の流れと矛盾していると思いませんか?

もちろんBIツールの発展、IT化による物理的な手間の削減、AIの台頭による単純労働の代替などにより、昔よりはるかに効率的に仕事ができる時代になりました。

しかし、それ以上に「最小の労力で最大の結果を出す要領の良さ」や「外国人労働者との競争」などが求めれられるのではないでしょうか?

勤務時間内で最大の結果を出す、AIが浸透するに連れてさらに高度でクリエイティブな実績を生み出さなければなりません。

翻訳ツールが高度に発達すれば、人材市場の統一化、すなわち日本国内においても外国人労働者と同じ土俵で戦わなければいけない日が来るかもしれません。

さて、私たちの未来は本当に「ゆとり」ある生活なのでしょうか?

「働き手改革」という自覚

今、時代はかつてないほどのスピードで変化しています。先のことなんてわかりませんし、将来どんな仕事が生み出されて、どんな仕事が淘汰されているか、自分のアタマで考えて判断していく必要があります。

非常に酷な話ではありますが、働き方改革で手に入れた可処分時間は余暇活動に精を出す「怠惰な時間」であってはならないのです。

むしろ、単純労働が淘汰されていく中で「これから身につけるべきスキルは何か?」「どうやってこの激動する社会にしがみついていくのか?」

答えのない問題に、誰も正解を知らない未来の姿に、自分のアタマで考えて先読みをして人生を構築していかなければならない。

こんなこと学校では教わりません、だから自ら学ぶのです。

増えた時間は自由な時間ではありません、過酷な現代サバイバルを生き抜く術を磨く時間なのです。

労働者はどんどん楽になっていくのではない、これから更に高度でクリエイティブな知能労働を行わなければならない。

時代についていけなくなったとき、「市場価値のない人材」となっているでしょう。

今まさに、「働き手改革」が必要な時代なのです。

歪みは必ず現れる

自助の必要性を唱えましたが、随分と悲観的な記事になってしまったと思います。

そもそも時代についていけるような能力のある人は、現時点で時間の使い方を適切にコントロールして常に成長している人間でしょう。

「これからは増えた自由時間で自己研鑽をしないといけないんだよ!」と言われるまで気づけない、私のような凡人は時代についていくことは難しいと思います。

よってこの先、私を含めて時代に取り残される「何もない人」が大量出現すると思います。

特別クリエイティブなことができなければ、AIを高度に管理、監督する専門的知識や技術もない。体力自慢や繰り返しの単純労働が向いている人、そもそも勉強が苦手な人、創作行為や情報通信技術に興味が持てない人はどうなるのでしょうか。

過度な効率化、行きすぎた資本主義は多くの「何もない人」を生み出します。
既に社会に取り残された人は一定数いて、彼らの一部は「無敵の人」に変貌しては社会に深い傷跡を残しています。

もしそんな未来が訪れたら、私たちの生活は「ゆとり」ある幸せなものと言えるでしょうか?

本当の「働き手改革」

暗い話題が続いたので、明るい話に切り替えます。

そもそも機械が人間の労働を代替するならば、人間が労働から解放されて生み出された余剰の価値を再分配する=ベーシックインカムの導入も検討されています。「何もない人」も生活が保障される時代になれば、社会を驚かせるような悲しい事件を防ぐことができるかもしれません。

端的に言ってしまえば「価値を生み出す人」と「直接価値を生み出さない人」に分かれる社会になるかもしれません。

また、科学技術がどれだけ進化しようと「人間という生物の種としての進化が全く追いついていない」事実は無視できません。たがだか数百年では人間が進化することは不可能ですから、身体を使った仕事は形を変えながら残ると思います。

文系が重宝される可能性もあるでしょう。
人間は本来論理的な生き物ではありませんから、感性や情緒を動かす価値はなくなることはないと思います。

よって、本当の意味での「働き手改革」というのは、不安を煽る情報(副業や手に職を謳う資格、プログラミングなど)に安易に飛びつくのではなく、「自分は何ができるのか?」「自分は社会にどう役立ちたいのか?」、先を見据えてしっかりと自分のアタマで考え続けることです。

先ほど、私は自分のことを「何もない人」と表現しましたが厳密には「何もないと思っていた人」でした。

私には特別深い専門知識はありませんが、好奇心旺盛にかき集めた様々な分野の知識を組み合わせて新たな着想を生み出すことができます。昔から独特な発想を生み出す少年で、その企画力をいかんなく発揮しては新しい遊びを流行らせていました。

多くの恋愛経験、女性と接する中で若い女性の共感力や傾聴力、非論理的な情緒の動かし方などが身につきました。女性の話をじっくり聴く力は様々な場面でのコミュニケーションに応用できています。

詐欺や悪徳商法から身を守るために勉強を始めたマーケティングでは、実際に自分で考えた商品を売ってみるなど一定の成果を残すこともできています。

今こうして文章を書いていることも1つのスキルと言えるでしょう、「文を書くのが苦手」という人も大勢います。

要は自分という人間をしっかり分析して、リバースエンジニアリング(分解)すれば良いのです。そこで細分化された要素を組み合わせて、誰かの役に立つように提供できればそれが仕事になるかもしれません。そこで足りないものが見えてきたら、新たに「できること」を増やしていけば良いのです。

まとめ

長くなりましたが、言いたいことはこれだけです。

働き方改革で増えた自由な時間は未来の自分のために使うこと。安易に情報に振り回されるのではなく、自分という人間を理解して、持っている能力を組み合わせたり付け足していくことがこの先の時代を生きるヒントになる。

この先はより個人の努力が求められる時代です。幸か不幸か、生活が便利になっていくほど精神的な負担が増えていってる気がします。

私も先の見えない未来に恐怖を感じつつ、自分のオリジナリティを発揮できる現代に感謝もしています。

教科書を読んで問題が唯一の正解を導ければ評価される時代は終わりました。
見えない未来を読んで答えの出ない問題を見つけ出し、様々なアプローチを試みて結果を出すことが必要です。

いま私にできることは、これからも今を生きる人間としてこの先の時代をどうやって戦い抜いて行くのか、有益な記事を発信していくことです。

こんな辛い時代ですが、情けなくそしてたくましく生きていきましょう。


今後の活動資金にさせていただきます!どうぞよろしくお願いします。