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【小説】『姦淫の罪、その罰と地獄』罰ノニ(5/5)

 明治時代の新米密偵、楠原と田添の一年間。

(文字数:約2300文字)


 まぶたを開くより前から、やばい、という感じはしていた。明るすぎる。
 押し寄せる色味が強すぎて、多すぎてさばくのがめんどくせぇ。自分の芯が、ブレる感じがする、って言ったって、俺以外の誰にも伝わりやしねぇんだが、
 自分がぴったり二重に重なっていて、どっちに寄せて良いんだか、分からなくなる感じ、
 ってムリだな尚更。多分。ったくこうした店ではもっと朝の光が入り込まないように部屋作ってくれよ。
「楠原さん」
 顔を両手でこすり付けるみたいに覆いながら、身を起こしたところに静葉の声が近寄って来た。
「先輩、達は?」
「もう起きて皆さんお待ちかねよ。ああでも急がなくて良いの。店の女の子達とお話、しているみたいだから」
 わざと遅めに起こして、自分だけ綺麗に化粧も造って、先輩達の顔をチラつかせて焦らせようとしている。早く帰れ、とまでは言わないが、落ち着きを少しばかり削いでやるつもりだな、ってそうした色合いまではっきりと見えちまうから朝日って奴は興醒めだってんだ。一つ大きなあくびをして伸びもして、分かっているから余計にのんびりと、身繕いしてやる。
 用意してもらった桶に、鏡の前で、顔を洗いヒゲを剃る間も頭の奥から、コツコツコツコツのみでも刻むみたいに、小突かれている。痛い、って思わず口に出そうなわずらわしさだが、痛いわけじゃない。いやもしかすると痛いのかもしれない。胸が痛み出す寸前の、脳の痛み。
 何を、イラついてやがんださっきから。叔父さんと、やってる事が一緒だってか。前はグダグダ適当な話して、手は出さないでおいたのに。あんなに真っ黒に見えるほど、(嫌)に包まれてかわいそうだったから。ってうるせえなてめえの「かわいそう」ごとき、役に立っちゃいねぇんだよ。コイツらは、なんだ要するには商売で、あと仕方ねぇだろうこんだけ良い女に育っちまったもんを。据え膳食わぬは男の恥ってヤツで、な。
 軽く撫で下ろそうと胸にやった平手が、いつの間にか拳に変わっていて、勢い良く肺に響くほどに食い込んで来た。
 ゲホッ、と急に咳き込んだところを静葉が、寄り添ってくれるが、
「楠原さん? どうしたの?」
 どうしたかって、口で言うのがまず難しいし、言って分かってもらえるとも思えねぇ。
「大丈夫?」
「だい、うん、だいじょう、ぶ。俺は」
 大丈夫だ、ってケロリとした顔を作って見せると、静葉の方では(なんだ)とシラケた様子になった。まったくこの「大丈夫」って言葉に、俺はどんだけ支えられてきたか、ついでに縛り付けられてきたかだ。
「ねぇ楠原さん」
 と「ねぇ」に取り分け魂を込めながら、しなだれ掛かってくる。残念ながら良い心持ちに浸り切ろうとするには、部屋が明るすぎる。
「また来週も、来てくれない?」
「ら、来週って。そんなに金が続くわきゃねぇだろ。ってか今回だって、借金だしよ」
「玉代、私が持っても良いから。昨夜の、分」
 恥じらう仕草で微笑んでも見せるが、なるほど。目の光も強くなるわけだ。
「ねぇ楠原さん。私、貴方の事が本当に気に入ったの。もうこれきりだなんて、嫌。また来週も、いらして。ね」
 勝手に楠原の手を取って、見せ付けるように小指と小指とを、絡ませようとしてくる。
「約束」
 言い出す前に手を引いて、上げてきた顔を覗き込む。
「無理すんなよ静葉。『玉割り』だろ」
 綺麗に整えてあった顔に、さっと一面赤味が差した。
「貴方……、御存知だったの……?」
「御存知ねぇとでも思ってたのかよ。田嶋屋の玉割り知らねぇ奴はド素人だぞ」
 両肩を落としてあからさまに、ガッカリしてくるが仕方無い。ド素人にも見えたんだろう。
 玉割り、という言葉は本来「娼妓に支払う玉代中の、店側の取り分」を指すのだが、田嶋屋の場合は「特売期間」を意味する。
 特売、と言ったところで商品は、「人」である以上、安値で売り出す事は憚られる。なので田嶋屋は普段より二倍も三倍も、花魁によっては十倍にも値を釣り上げて、「本来であればこれほどの価値がある娘さんを、日頃はお安く提供しているのです」という逆宣伝に出た。
 そんな節にわざわざやって来る客は、余程のお大尽か見栄坊か、花魁にそそのかされた間抜け野郎くらいだ。今回は誰がいくら注ぎ込むか、どんな阿呆が騙されるかと、町のちょっとした見世物扱いにまでなっている。
 で、俺はその間抜け野郎と目されたわけで……。
「無茶だよ静葉。そんな嘘ぁすぐバレる。あんたが俺みたいなのにそんな、気持ちなんざ寄せるわけねぇじゃねぇか」
「あら……」
 項垂れていた身を少しばかり引いて、背筋を伸ばして座り直した静葉は、すっかり顔色を整えていた。
「そんなふうに言われちゃうと、ちょっと、心外だわ。私だって何とも思っていない方に、昨夜みたいな便宜、図ったりしなくてよ」
「カモが釣れるなら上等だろ」
「ふふ。釣れるものなら、ね」
 悪びれろよ。可愛らしく笑われたってこっちには、正直気分悪い。
「でもそれだって、やっぱり嫌な人は、嫌よ。私達だってほんのちょっとくらいは、本当も言うわ」
 よくよく聞いていればなめ切っていた事を、ちっとも否定していないんだが、まぁ良いか。ほだされてやろう。良い女になってくれたのは嬉しいし、人をだまくらかす仕事に就いているのはお互い様だ。
「じゃあ何だ。また会いに来ても良いのかな? 何も、玉割りでなくても」
「ええどうぞ。お待ちしています」
 しとやかに、伏せがちにした顔周りにはふわりと、色味が浮かび上がった。
(そんなお金が貴方に、稼げたらだけど)
 言いやがったな(いや言ってねぇけど)てめえ。覚えてろよ。


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