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初めて聞いたぜ御逮夜

 御逮夜(おたいや)、とは本来、
 命日の前夜、を意味する言葉だが、

 お大師様は今も生きていらっしゃるので、
 御入定日(ごにゅうじょうび)の前夜、
 という言い方をする。


 入定された日は旧暦の3月21日、
 という事で毎月20日は「お逮夜ウォーク」という、
 夜間に奥の院を歩くイベントが行われており、
 そちらもなかなかの人気振りで宿坊の予約が難しいのだが、

 旧暦の3月21日、という事で、
 現在の暦に換算した月日は毎年変わる。
 今年は5月10日なので、御逮夜は9日。

 高野山の大伽藍中に建つ御影堂(みえいどう)にて、
 年に一度の大法会が執り行われる。


 あちこちのお寺にも建つ御影堂とは、
 尊敬する方の姿形を祀ったお堂、の事であり、
 高野山の大伽藍の場合はもちろん、
 空海の絵姿になる。

 法会自体は非公開、なのだが、
 法会終了後に、
 年に一度だけ、
 御影堂内部の拝観が許される、というわけで、


 16時半からの整理券配布には、
 16時に私が向かった時点で行列が出来ている。


 一番先頭にいる方は、
 私が宿坊のチェックイン前に御社を参拝していた時点から、
 すでに並んでいた様子だった。

 そう。個々人の信仰心によっては、
 そうまでしても何としても、
 拝観したくてたまらない内部なのだ。

 私は、実を言うと、
 運良く10日の高野山イベントが当たっちゃったから、
 じゃあついでに9日行ってみようかな、ってくらいの、
 比較的軽い心持ちであって、

 行列の隣に並び合わせたおっちゃんに至っては、
 ホンマに何にも知らんと偶然、
 この日に高野山を訪れたらしい。

 「何や年の一度のイベントや言うからな。
  ほなせっかくやし中見たろと思うて。
  ほしたら何や整理券こないに並ぶんかい」

 陽気で私に限らず周囲に声を掛けまくっておしゃべりして、
 おかげで並んでいた間物悲しさを感じる事は無かった。

 私が149番で、おっちゃんは150番。
 御逮夜限定の御朱印も頂けたので、
 宿坊に戻って夕ご飯を食べた後で、

 どうして18時にこだわったかと言えば、
 大伽藍に備えられた梵鐘、
 日本で4番目に大きいという意味で、
 「高野四郎」の音色を間近で聴き、
 鳴らされる様子を見たかったからでもあるが、


 18時から御詠歌の奉詠と、
 それに合わせた舞踊が披露されるためである。


 御逮夜に伴う法会そのものは実は18時半からだ。
 しかしながら、

 以前に御詠歌をテーマにした小説を書き、
 あまつさえそれをデータ販売しようと目論んでいる
分際では、
 なるべく初めからを観聴きしておかなくてはならんだろう。
 一応は輪袈裟に数珠も身につけた上でな。

 過去3年間(コロナ禍があったので実質2年)、
 御詠歌を習ってきた私ではあるが、
 未だ全容の二十分の一も把握できていない。

 そもそも私は御詠歌に心打たれた、とか、
 この素晴らしい文化を是非とも後世に伝えたい、
 といった志を胸に抱いているわけでもなく、


 (元は筆で書かれた)縦書きの楽譜読んでみてぇ。


 
という純粋な好奇心に、
 配偶者の菩提寺の御住職がちょうど教室を開いていた、
 というご縁が重なってしまったもので、

 信仰心は中途半端だがそれもよかろう。
 きっかけは何であろうと構わんだろう。

 「自分に読めない文字らしきもの」がすでに、
 私の好奇心を駆り立てるのだ。
 ハングルにキリル文字にアラビア語にヒエログリフも、
 基本の音節程度までは一度くらい挑戦はした。

 ああもちろんマヤ文字に梵語も手を付けかけた。

 点字翻訳のボランティアを、
 10年以上続けているのもそのためだ。
 「読めないけど何かを伝えているらしい」状態が、
 物によっては数千年も以前からである状況が、
 私には気になって興味が惹かれてたまらんのだ。

 結果「今時の若者はなっとらん!」
 (ポンペイの町に残されていた落書き)
 であったとしても面白い!



 ちなみに御詠歌をお唱えしているみなさんは、
 観光客には金剛峯寺の近くにあって立派な割に、
 何があるのか近寄って良いのかも分からん謎の施設、
 大師教会で日々の練習とかしています。
 (受戒を受けて檀徒になったら割とここに通う。)

 今ここで思い出してスッキリした方もいるでしょう。
 正直ホンマに謎だったでしょあの建物。


高野山の旅まとめ


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