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庶民の宗教(ただし仏教寄り)

  見出し写真は南海高野線の紀伊神谷駅。
  ここ数日頭に浮かんでいた主に宗教的な疑問を記録。


(文字数:約2000文字)


  先月書いた記事に、
  「人は鏡」という文言に対する恨み言を述べたのだが、
  ここしばらくふと目にしたあちこちの記事等で、
  かえってその文言がチラつくようになったので、

  そもそも出典は何であるか調べてみた。
  とはいえネットで軽く検索した限りだが。

「書経」であると人は言う

  すると「書経」が元であると紹介するページが多くヒットした。
  しかしながら挙げられた文言をざっくり口語訳すると、

  「(為政者たるもの)鏡じゃなくて、
   民の言葉によって自らを推し測りなさいよ」
  という戒めであった。

  それは為政者とまではいかないまでも、
  指導的立場にある人や、商店主にプロジェクトリーダー等、
  他人を動かしたい、あるいは他人に動いてもらいたい人にとっては、
  自らを省みるために重んじておいて良い一言だとは思うが、

  庶民に対して同じ文句を投げつけて、
  庶民たち自らが言動を省みるよう促す使い方は、
  どこか間違ってはいないだろうか?

釈迦の説法から学ぶこと

  儒教や仏教に限らず、
  ある程度世界に広まった諸宗教は、

  広まる過程で利用した、
  時の権力者や貴族たちの、
  好みや価値観に合わせた言説に、
  表面上は彩られている事が多い。

  故に現代人の特に低階層庶民には響かず、
  少なくとも私の心からは遠ざかって行く感じがするのだ。

  例えば釈迦は、おそらくイエスも、
  生前自分を訪ねて来る人には、
  老若男女問わず説法を授ける事で評判だった。

  その説法を弟子たちが聞き覚え書き留めて、
  「こうした悩みにはこう考えなさい」
  と教え諭す感じに、
  現在なってしまっているようだが、

  釈迦は目の前に現れた、
  その時のその人に合わせて、
  オーダーメイドの説法を構成していたに違い無く、
  広く全ての人に適応して良いものとは、
  少なくとも私、偏光には思えないのだ。

  我々が釈迦の説法から学ぶべき事は、

  ただ目の前に現れた、
  その時その場での状況に、人物に、真摯に対応する事、
  それだけではないだろうか。

軽度の統合失調症ゆえに

  私は軽度だが深刻な統合失調症を自認しており、
  ざっくり言うと脳内に三人分の自我が存在する状態だが、
  (※正式には「非定型精神病」と診断されている。
   明らかに正常範囲にはいないため治療が必要だが、
   正式な病名とは認められず障害者手帳等の対象にもならず、
   存在自体を否定・疑問視する専門家もいて厄介。)

  そのおかげで発症当時10歳未満の頃から、
  「人は常に同じ状況・状態にはいない」事や、
  「人は常に同じ面を見せるとは限らない」事は、
  私にとって当たり前にも程があるくらいに自明の事だったのだが、

  両親は生まれた時点で失敗作だと、
  私は常に何をやらせても不出来だと思い込んだため、
  私が何を言ったとてしたとてその評価は変わらなかったし
  (その結果症状が表に出るほど悪化したとも言える)、

  それ以前に両親が生まれ育った環境自体が、
  「女とはかくあるべし」「こうでなければ男じゃない」
  「男児を産まなければ長男の嫁失格」等々、
  正解、とされる行動様式の振れ幅があまりにも狭かった。

  住む土地が変わったとて社会に出たとて、
  文言が異なる程度でその傾向は変わらない。
  「この世代なら」「女性なら」「プログラマーなら」、
  「ボランティアなら」「お金もらってるなら」と、
  正解、とされる振れ幅はますます狭くなる。

  しかしながらそもそも人は、
  「常に同じ性質・品質では生きられない存在」だ。
  同一品質を維持できればそれは効率は上がるだろうから、
  社会において求められ強く推奨されもするだろうが、
  断言したい。

  血肉を有する生命体に対して、
  土台無理かつ無礼な話だ。

  「そんな事は無い。自分は同じクオリティーを維持している」
  と自らを誇れる方は、

  クオリティーを維持できるだけの余裕を、
  周囲の方々が与えて下さっているという
  大変恵まれた状況に幸いにして、
  身を置けている事実に気付けていない。

  「ああ。私は恵まれているなぁ。有難い」
  とまずは自分の幸運に感じ入った上で、

  現在悪い状況にいる方々や、
  周囲よりも、または普段よりもクオリティーが劣って見える方々に対して、
  目を向けてお声掛け頂けないだろうか。

  「こいつは常にダメだ」
  「どこに行っても誰に対しても迷惑をかける」
  「いつもより手を抜いてサボっている」
  と思いながら見るから、
  説教の一つも述べたくなってしまうわけだ。

  繰り返すが、
  クオリティーが維持できている、
  と自認できる時点で貴方は相当に恵まれている。

  貴方の目に劣って映る方々には
  到底真似など出来ないほどだ。
  わざわざ人を下に見て、
  その運気を自ら下げないようお願いしたい。

以上。
ここまでを読んで下さり、ありがとうございます。

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