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私の「インフラ・ジャーナリスト?」

これが何か解る人は……。

私の読書歴で、「よしりん」 は外せない。
退職したのは、もう20年以上前。図書館に、地元の人が「ゴーマニズム宣言」の初期のものを寄贈されてあるのを見て初めて知った。

ファンになった理由は、TVや新聞報道を含め、私が触れたことのない情報(社会問題)を、知識の無い私でもわかるように表現してあるということ。

奥さんと秘書みなぼんを連れてのフランスへの取材旅行。
いつもの「よしりん節」で楽しい道中の美食の話など
その中で「民主制」が「主義」となっていること自体……?
「民主制」というものが生まれた歴史を一次資料を基に、
楽しく解りやすく辿ってみたい人にはおすすめです。

漫画を表現の手法としているが、彼らのチームによる取材や、「一次資料」を大切にするという姿勢。まだ若かった小林よしのり氏が、自分の感じた違和感を、ちゃんと人に会って取材し、丁寧に考えた末の表現だったからだと思う。

石戸諭氏の下記の本で、小林よしのり氏への「新しい歴史教科書をつくる会」の活動当時の取材内容を読み、改めて私が彼の創作物を読み込んだことは、間違っていなかったと思わせてもらった。

彼のその後の社会問題への様々な意見表明である「ゴーマニズム宣言」や彼が全ての記事の編集責任者となる「わしズム」という雑誌は、私が社会のシステムや、人々の行動、歴史などを考える基盤になっている。

そして、石戸諭氏のこのルポは、「このメンバーに取材したんだ!」と私をびっくりさせた。

この取材で、当時の小林氏の気持ちを知り、また彼が、本当に自分の書いているものが社会に影響力があるための苦悩や、だからこそ、丁寧に取材し、一次資料に当たるという態度を続けてきているからこそ、私は長くファンなのだと。

「調査報道」、「インフラとしてのジャーナリズム」、こういうものを私に提供してくたれ一人だ。

一つの立場を取ってしまったまま、その後も長く自分の過去の発言なり、今の立場などに縛られているのではと感じる人がいる一方で、小林よしのり氏の長い言論活動は、過去の自分の発言も否定することがある。

これは当然で、その時の取材が全てではないし、社会は変化する。氏の言説の変化もそれを丁寧に説明しようとしている。だからこそ、彼の作品を参考にして、自分もまた「考える」ということができる。

石戸諭氏のルポから、久しぶりによしりんの作品を検索してみつけたのが「民主主義という病い」だ。あとがきの日付は、2018年4月。
あとがきに氏は、

小林よしのりが勝手に論じている「持論」と解釈されるのが困るから、作品中に紹介できない文献に関しては、最後に参考文献として載せている。

「民主主義という病い」より

近年の「ネトウヨ」という現象の大元を小林よしのり氏だと勘違いしている人も、氏の作品を読んでいない人の中には多いと思う。しかし石戸諭氏のルポ「百田尚樹現象」を読むと、現在のネット上での、とんでもない言論が生まれてきた社会背景がわかる。

そしてこの「民主主義という病い」は、小林氏の言説ということではなく、人間の歴史をたどって、今に至る「民主主義」と言われるものの解説をしてくれている。

民主を主義として信じ込んでいるその様子は、わしには不気味に思える。

という意味を、ちゃんと理解しようとすると、なかなか大変なのだが、氏が「不気味に思える」という現状を、未来のweb3の技術革新で生まれる世界で、生まれ変わらせる可能性はあるのか。

よしりんは、自分の能力を最大限発揮して仕事をし、とにかく自由を謳歌したいという人。
それは、web3で多くの人が実現できたらいいなと思う世界。

「ごーまんかましてよかですか!」のフレーズを氏は、いつも覚悟して言い切っていた。最近の大きな変化をどう感じているのだろうか。

私の趣味のひとつ……。








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