森のバロック。アナロジーで創る「新しい民俗学」? 神話のジャンプや突然の後ずさり。「神話的思考」とは?
南方熊楠について書かれた「森のバロック」。
まだゆっくりと読み進めている。
この本が私にとって興味深いのは、南方熊楠のことを書きながらも、次のような「神話的思考」というものが、その時代、そこに生きた人たちの周囲や自分自身についての深い観察と、アナロジーによって生まれていたのだということを具体的な例で説明してくれているところだ。
今の人たちには、その文章だけでは意味がわからない神話や民話。
とりとめもなく別の領域に接続し、変形していくための変換の体系が、存在している。
ということを、初めて具体的に知ることが出来た。
大きく技術が進化している今、今起きていることをが見えにくいこともあり、アナロジーで「こうあって欲しい未来の姿」を、表現することは大切なのかも。
この本を読んで初めて「神話」や「伝承」の中に、どれほど多くの「この世界の有り様」が表現されているのかを具体的にイメージ出来ました。
現代の私たちの感覚とは違う鋭い観察力でこの世界の自然の繋がりを見て、アナロジーとして繋がりを表現し、生きていくための知恵として創られたのであろうことも。
最近私が東洋と西洋の違いのようなものを本などを読みながら考えていた中で、東洋的なものの基礎にあるのはこういうものなのかなと。
科学が進歩して、宇宙の起源や、私たち生命のことがかなり解明されてきた今でも、個々の人間はそれぞれ自分の理解できる範囲での世界を生きていて、「私の世界」と「あなたの思い描いている世界」は全く?、かなり違うようなのです。
「個々の神話のメッセージを固定して解釈する」というのは、例えば国や民族、宗教などによって異なる「世界」をそれぞれが解釈しているだけで、
個々の神話が、私たちの世界(社会)全てを説明している訳ではない・・・?
私には、そんな風に読み取れました。
全く違うように見えているそれぞれの世界。
でもそれは人間がそれらの共通性に気づけていないだけ。
その地域、人たちにとって大切な「神話」や「伝承」「文化」は、どれも全て等しく大切なこの世界を現わしたものであり、伝えたいこと。
「違い」はあっても、それらは全て「神話的思考」では繋がっているものでは?
違って見えているものでも、アナロジーを駆使すれば、全てこの世界を表現している共通の宇宙。
そんな気がしてきました。
技術が大きく進化して、社会が大きく変化するとき、その変化を理解した人は、可能な限りのアナロジーを駆使して、未来を表現して欲しい。
少し前から気になっていた「構造人類学」とは、どういうものなのか?
西洋哲学との違いのようなものを、ChatGPTに聞いてみました。
ChatGPTの出力は、合ってるのかな?
私には参考になりました。
2024/2/5
私の覚書。
「End to end」とは?
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