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森のバロック。アナロジーで創る「新しい民俗学」? 神話のジャンプや突然の後ずさり。「神話的思考」とは?

南方熊楠について書かれた「森のバロック」。
まだゆっくりと読み進めている。

この本が私にとって興味深いのは、南方熊楠のことを書きながらも、次のような「神話的思考」というものが、その時代、そこに生きた人たちの周囲や自分自身についての深い観察と、アナロジーによって生まれていたのだということを具体的な例で説明してくれているところだ。

それは、人間の内なるアナロジー思考への情熱に、火をつける。小さな、実在するのかどうかもよくわからない「魔法の石」のまわりには、さまざまな経験の領域からひろい集められた、おびただしい数の事物や意味の破片が、付着するようになる。そして、神話的思考は、アナロジーによって、それらの間に一貫性のあるつながりをみいだし、ついには巨大な宇宙を生み出すようになる。いや、宇宙という言い方はあまり正確ではない。そこには、はっきりとした対立や同一性の構造があり、またそれらをとりとめもなく別の領域に接続し、変形していくための変換の体系が、存在している。新しい民俗学を、そこにつくりだしていくことは、可能だろうか。九十年も前に南方熊楠が構想していたのは、そういう民俗学だったのだ。

『森のバロック (講談社学術文庫)』(中沢新一 著)


今の人たちには、その文章だけでは意味がわからない神話や民話。

とりとめもなく別の領域に接続し、変形していくための変換の体系が、存在している。

ということを、初めて具体的に知ることが出来た。

大きく技術が進化している今、今起きていることをが見えにくいこともあり、アナロジーで「こうあって欲しい未来の姿」を、表現することは大切なのかも。

しかし、熊楠は自分が体験で知っている、神話的思考の巨大な世界に分け入っていくためには、そんな道具では、たいして遠くまで行けないということを、すぐに理解した。彼は、なにごとも、独力でつくりださなければならなかったのである。  

その場合、熊楠の導きになったのは、真言密教のマンダラの論理だった。神話的思考の、複雑で重層的な宇宙のつくり方と、マンダラの体系とが、多くの点で共通するものをもっていることに、彼は早くから気がついていた。彼はマンダラの論理からヒントを得て、新しい神話学の方法を、つくりあげようとしたのだ。

『森のバロック (講談社学術文庫)』(中沢新一 著)


この本を読んで初めて「神話」や「伝承」の中に、どれほど多くの「この世界の有り様」が表現されているのかを具体的にイメージ出来ました。
現代の私たちの感覚とは違う鋭い観察力でこの世界の自然の繋がりを見て、アナロジーとして繋がりを表現し、生きていくための知恵として創られたのであろうことも。


熊楠はまず伝説や神話は、複数の論理軸を、さまざまなやり方で組み合わせてつくられており、それが伝えようとしているメッセージも、重層的な豊かさをもっている。だから、どんな小さなものでも、神話的思考のつくりだすものにたいして、この神話の意味はこうであるとか、この神話はこれこれの起源をもっているなどといった断定を下すことは、神話的思考のつくられ方から言って、あまり意味をもたないのだ、ということをあきらかにしている。

「孤立した事実や空想」をもとにして、神話のメッセージを固定することはできないし、その「唯一の起原」などというものを、うんぬんすることもできない。真に科学的な神話学は、神話自体をつくりあげている、その複数の原因、複数の論理軸の豊かさを、知的な還元によってそこねることなく、生かすことができなくてはならないはずだ。

『森のバロック (講談社学術文庫)』(中沢新一 著)

最近私が東洋と西洋の違いのようなものを本などを読みながら考えていた中で、東洋的なものの基礎にあるのはこういうものなのかなと。

科学が進歩して、宇宙の起源や、私たち生命のことがかなり解明されてきた今でも、個々の人間はそれぞれ自分の理解できる範囲での世界を生きていて、「私の世界」と「あなたの思い描いている世界」は全く?、かなり違うようなのです。

「個々の神話のメッセージを固定して解釈する」というのは、例えば国や民族、宗教などによって異なる「世界」をそれぞれが解釈しているだけで、
個々の神話が、私たちの世界(社会)全てを説明している訳ではない・・・?

私には、そんな風に読み取れました。

ところが、神話はジャンプや突然の後ずさりをする。話の筋が「神隠し」にあっても、平気なのだ。それは、連続性にたいする関心をもっていない。神話がしめすこういう態度は、あきらかに近代的ではない。なぜなら、近代思想では「連続性、可変性、相対性、因果性が手をつなぐ(25)」からだ。」

『森のバロック (講談社学術文庫)』中沢新一 著


全く違うように見えているそれぞれの世界。
でもそれは人間がそれらの共通性に気づけていないだけ。

その地域、人たちにとって大切な「神話」や「伝承」「文化」は、どれも全て等しく大切なこの世界を現わしたものであり、伝えたいこと。

「違い」はあっても、それらは全て「神話的思考」では繋がっているものでは?
違って見えているものでも、アナロジーを駆使すれば、全てこの世界を表現している共通の宇宙
そんな気がしてきました。


技術が大きく進化して、社会が大きく変化するとき、その変化を理解した人は、可能な限りのアナロジーを駆使して、未来を表現して欲しい。



少し前から気になっていた「構造人類学」とは、どういうものなのか?

西洋哲学との違いのようなものを、ChatGPTに聞いてみました。
ChatGPTの出力は、合ってるのかな?
私には参考になりました。



2024/2/5
私の覚書。
「End to end」とは?


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