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顔見知り以上しがらみ未満

今日は、前々回の続きを書こうと思う。
こちらの続き。

今日はおばちゃんがうちに来た。
うちの近所に住む、私のおばあちゃんの親友。
雨の次の日だから庭の草むしりをしてくれるというのだ。確かに、最近の暑さと雨のせいか、雑草たちはみるみる伸び、花々が咲くきれいな庭の邪魔者になっていた。近くに来る用があったから寄ってくれたのだという。毎度のことながら本当にありがたい。

おばちゃんは家の西と裏の草むしりを、私は先週見ごろを迎えたけれど昨日の雨で落ちてしまった大量のバラの花びらを片づけていた。そこに知らないおばちゃんがやってきた。キキーっと門を開け、「なーに草むしってんかい?今日はこんなあちぃんに。」と入ってきた。おばちゃんの友達とはいえ知らない方が入ってきたから少しばかり戸惑う。

おばちゃんが2人出てきてなんだかややこしいので、近所のおばちゃんを「おばちゃん①」見知らぬおばちゃんを「おばちゃん②」としよう。

おばちゃん②は私がいることに気づいていなかったようで、家の敷地に入ってから私の姿を見て一度立ち止まり、でも、そのまますたすたとこちらへ来た。

「こんにちは!」(私)
「こんにちはー」(おばちゃん②)

特に名乗るでもなく、

「今日は暑いですねー」
(私、花びらを掃きながら)
「ほんとあちーんね。帽子かぶってないんだから気つけなよ。」
(おばちゃん②、うろうろしながら)
「ほんとだいね。あたしゃ帽子と湯冷ましがあるから大丈夫だけどさ。」(おばちゃん①、手拭いで汗を拭きながら)

10分かそこら3人で話して、おばちゃん②は帰っていった。名前を知らない、でも、顔見知り以上の関係のおばちゃんがもう一人できた。ちょっと嬉しい。

「今の社会は、誰かを大切にするということが、距離を置くことや放っておくことと一緒になっているような気がする。」

と前々回のnoteに書いたが、そうなってしまっている理由は「しがらみに嫌気がさしているから」だと思う。確かに、みんながみんな誰が何をしているかを知っていて、それに関してやんややんやと口うるさく言われてしまうような環境が、もしあるのだとしたら、それは私も嫌に決まっている。でも、「顔見知り以上しがらみ未満」の関係だったらどうだろうか。近所のおばちゃんと世間話をするのは楽しいし、それが楽しいと思えるくらいの心の余裕は持ち合わせていたいところだ。嫌なのはしがらみで、かかわりではない。

今度またおばちゃん②に会ったら、話しかけよう。お名前、聞いてみようかな。


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