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自分の人生をライブ配信したい 山中りんたそ

 cotenラジオの「樋口聖典とは何か」という番外編回で、当人である樋口さんが「僕の関係者が許すのであれば、自分の人生をずっとライブ配信していたい。」という風に発言していた。樋口さん曰く、「自分の人生は、誰かの人生に必ず影響しているはずで、自身の人生の役割がそこにある。」というようなことである。

 「何をお前がえらそうに。」と思われることを承知で申し上げるが、私自身も同じように考えている節が多々ある。

 現在の山中は教職に就いており、日々子どもたちを相手に無駄な知識ばかりを教えている。教師としての自分がどのように在るべきかについて、通勤の車の中で妄想にふけることが四半世紀に一度ほどのペースであるが、自分が楽しく生活することを目標とする”たい教師”と、社会の中の役割としての”べき教師”の2種類の像を想像する。2種類の像の中で”べき教師”としての自分について考えたときに、例えば「エッセイを毎週書いている変な先生」という役割が私には課せられていると思っている。他にも「野球部のくせに急にトランペットを買った奴」「ジャージでいいのにネクタイ締めている奴」「給食のデカめのオレンジを一口で食べる奴」とかの役割が私に課せられている。

 よくわからん奴が教師をやっている事実に価値があり、そういう奴が”ただいるだけ”でいい。僭越ながら、そんな存在になりたいのだ。

 もちろん、利己的な理由で振る舞うことも多々あるし、普段の山中なんてそんなものだが、そういう一面があることはここでお知らせしておきたい。

 なので、”ただいるだけ”をライブ配信することで誰かの人生に影響を与えられればと思う次第であるのだ。

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