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人脈という言葉への後ろめたさ 七緒栞菜

 人脈があると言われると、どこか後ろめたさがある。

 そもそも私に人脈はないし、利害関係が透けて見えるような関係性はどちらかというと苦手だ。でも、ここ数年、私は人脈を広げようと努力してきたような気もして、なんだか少し気持ちが悪くなる。

 興味のある分野の活動を調べたり、実際に飛び込んだりしているのは確かなので、他者を知っていることは多いかもしれないが、それは人脈ではなく一方的に知っているだけだと私は思っている。相手は私を知らないことのほうがずっと多い。だから、私の顔が広いのではなく、私が知っている他者の顔が多いだけなのだ。

 作ろうとして作る人脈ではなくて、自然と結ばれていく関係性を大切にすべきなのだと思う。背伸びして作ろうと努力する人脈は、たぶん自分自身とお相手が釣り合わないし、そのお相手に対して私が憧れの念を抱いていればいるほど、私はそわそわするし、少しの居心地の悪さを感じてしまう。たぶん、居心地の悪さに関しては、きっとお互いに。というか、そもそもお相手は、私に対してそれほど興味がないはずだ。

 最近出店活動をしていて思うのは、目の前のお客様を大切にすることの大切さだ。当たり前だけれど、これ以上に大切なことはないのだと思う。目の前にある仕事を、丁寧にやる。すると、丁寧に終えた仕事に対して良いと思ってくれた人が、また仕事を頼んでくれたり、誰かに広めてくれたりする。これは出店活動だけではなくて、あらゆる場面でそうで、そういう風に信頼は積み重なっていくのだと思う。過去の自分を信じてくれた人が、未来の自分とまたかかわりをもってくれるのだ。

 だから、人間関係は成り行きに身を任せたい。もちろん良い方向に転んでいくように努力はするけれど。等身大(かつ全力の!)の自分を好きになってくれる人と良い関係を築いていくことが、良好な交友関係や仕事の関係を育むのに一番重要な気がしている。今は。

「人脈はそれほどなくても、知っている顔に関してはその表情の隅々まで知っている」というのが、今の私の目指す他者とのかかわり方、他者へのあり方、かもしれない。


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