今から逃れる 七緒栞菜
保育所の頃どう思っていたのかは覚えていないが、小学生の頃は「早く中学に行きたい」、中学生の頃は「早く高校に行きたい」、高校生の頃は「早く大学に行きたい」、大学生の頃は「…何になりたい?でも、何か早く違うものになりたい」と思い続けてきた。
とにかくいつでも、「今」から逃れたかった。そして過去の私は「今」から逃れる手段として、「未来に進むこと」しか知らなかった。
その頃は、未来に対する期待感はかろうじてあって、きっといつか楽しく思える時が来るという静かな祈りのようなものを胸に潜めて過ごしてきた。遠くの未来は早く来てほしいけれど、近くの明日は来てほしいと思えない。そんな矛盾を抱えながら何度夜を明かしたかわからない。
時を早回しすることはできないのに、そればかりを望んできた。
転機は大学時代の休学だ。おそらく、そこから本当に少しずつではあるが私が変わってきたことを感じる。
「今」から逃れるために「立ち止まる」という手段があることを知ったのだ。
それからの日々は、目を瞑って駆け抜けるような毎日から、目を見開いて都度立ち止まる日々へと変わっていった。また、私が立ち止まることによって私以外の身の回りの時間だけが流れる。そして、私にこれまでと違う時間軸が生じる。私の中に時間軸が2つあるような感覚は、安心感を生んだ。こちらがだめでもあちらがあって、あちらがだめでもこちらがある。そんな風に。
これからは、「今」から逃れるために、今しかない今を蔑ろにしたくはない。
目を瞑ったまま早く走れる靴を履いて駆け抜けるような毎日にはしない。勇気をもって目を見開いて裸足で立ち止まる。しっかり見ながら、しっかり触れながら、ゆっくりと地面の感触を確かめたい。まだ私は勇気をもたないと立ち止まることができないから、なんとか「進まない勇気」を胸に抱いていたい。立ち止まって生じる新たな時間軸、新たな時間軸に現れる人。時間と人と、さまざまな関係性を携えて、行ったり来たりしたい。(確実に今日拝聴したトークセッションに影響を受けている。笑)
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