毎日のジョギングが日課になっている。ジョギングはまさに、人生のようだ。走り出したら、キツくて止まりたくなったり、ランナーズハイになって気持ちよくなったり。でも足は止められない。だから、走り終わった後の感覚がなんとも言えなくて、また小さな人生を味わいにいくのだろう。
自分意外の人を理解する事は出来ない。理解できないからこそ、信じるんだろう。
夜の景福宮観覧。(秋の期間限定) この場所は私のパワースポット。来る度に、福を受け取れる場所。私の前世はここで 중전마마チュンジョンママ(王妃)だというと、水剌間(スラッカン‥料理を作るとこ)で働いてたでしょう。という私達夫婦のやりとりは、毎度のこと🤭
期間限定の日本生活を終えて、韓国に戻ってきた。ソウルの中心を流れる川、ハンガンで走るのが最近の日課。
人生大切な事は、何が起きたかより、起きた事実をどう捉えるかだろう。起きることは変えられないが、起きた何かをどう理解していくかは変えていける。ここが重要。
昔は行き詰まった時、共感してもらうことで前に進めた人生だった。今は誰とも分かち合うことなく、自分だけに秘めて温めて消化していくことがなんだか腑に落ちる。共感なんて言葉があるけれど、自分が感じている世界は所詮自分以外分からない。
久しぶりの京都。子どもの時行った京都。学生で行った京都。自分の子どもを連れていった京都。感じるもの、見え方がまるで違って驚いた。今の自分だから感じられた美しさ。いつ行っても見え方が変わる。これが京都の魅力なのかもしれない。
コロナ禍でオンライン授業継続していた韓国を抜けて、期間限定で始めた日本生活。 母と子だけの生活になり、当たり前にいた夫の存在の大切さに気づいたり、久しぶりの日本生活は、良い所、悪い所が顕著にみえたり。 都会生活から、田舎生活に切り替わっても、そこまで不便を感じず、その土地にいるメリットにフォーカスを当てなければならないと気づいた。 日本を外から見ると、『こうしなければ』が、とても多いことにも気づく。同じ所にいたら、そのままやり続けていたが、やらなくても大丈夫な他の世界を
コロナのため、ソウルという大都会では規制も多く、のびのびした環境に身を置きたいと、日本の地方に住み始めて1年が過ぎた。 私も日本の小学校を卒業しているが、長い海外生活から日本の学校に通わせてみてびっくりしたことを韓国との違いを交えながら書いてみる。 ①荷物が多い 月曜日になると、上履き、体操服、給食袋、歯ブラシ、パソコン、ランチョンマットetc.. とにかく荷物の量がすごい。 それに加えて、教科書も持ち帰ることを義務付けられていて、毎回持って帰らなければならない。なぜ教科
私とお義母さん(オモニ)の最初の出会いは仁川空港である。イタリアに住んでいた私は妊娠をし、初めての挨拶が大切な跡取りを妊っている時だった。元々、両親に紹介したいとのことで、彼の夏休みを利用して韓国行きのチケットを予約していた。その紹介が彼女としてではなく、まさかの嫁となってしまったのだから、さぁ、大変! 初対面は、長いフライトにつわり真っ最中の私は、化粧すら匂いに敏感で出来ず、顔には酷い吹き出物。どんな両親なんだろう、言葉は通じないけどどうしよう、なんて思う余裕もないくらい
私の次男はアトピー性皮膚炎で痒みに苦しんでいる。薬を塗ったり、保湿を頑張ったりしても、ちょっとした刺激でまたぶり返したりを繰り返している。 次男といつも一緒に寝ている三男は、横で掻きむしっている音が不快のようで、思いやるどころか、いい加減掻くのはやめて、僕が寝れない!!と、怒鳴り出すしまいである。 私はどちらかというと、人の気持ちを敏感に察知しやすく、相手の気持ちに寄り添うことが出来ることが長所であると思う。だから、三男がそんなことをいうものだから、『どれだけ痒いか自分が
最近、成田祐輔さんが対談している動画を見る機会があり、独特の世界観と、話し方になんとも魅力を感じる人だなぁと思っていた。 先日、教育関連の動画を見て、久々に私の心に響く表現を成田さんがされていたので、何かに残したくなりnoteに書いてみる。 今の若者にメッセージを求められた彼は、こんなことを語っていた。 素敵な人を見ると、どう近づくかどう吸収するかを考えがちだけど、所詮自分以外の存在にはなれない。お手本を見つけて、それにどう近づくかを考えるより、それと自分は違う存在なん
子育てをしていて、困ったことってたくさんある。ベビーカーはエレベーターしか手段が限られているのに満員で乗れず、身軽な人は降りてエスカレーターを使ってほしいとか。階段しかないとベビーカーを持ち上げて移動したりとか。 そんな時、さらっと助けてくれる人が韓国ではとても多かった。公共機関で席を譲ってくれたり、私の病院の受診中に子どもを待合室でみてくださったり、涙が出る程嬉しかったのを覚えている。 子どもたちはベビーカーも卒業し、大変な時期を過ぎた私は、ベビーカーをひいているお母さ
私は韓国に元々興味、関心があったわけではない。2002年の日韓ワールドカップの時、大学生だっだ私は、韓流ブームが始まりかけた頃で、友達にこの俳優さんがかっこいいと何度言われても、聞き慣れない韓国語の名前に興味すら示さなかった。 それがイギリスで今の旦那さんと知り合い、授かり婚で結婚した私は、韓国の文化も知らないまま、韓国の嫁になってしまったのである。 正直、最初は、韓国語も分からず、嫁として求められるものが大きすぎて、韓国に住み始めた頃は泣いてばかりいた。 妊娠中、つわ
先日、子どもの小学校で授業参観があった。 私はイタリア、韓国で子育てをしてきたので(コロナで一時帰国中)日本で子どもの授業参観に参加するのは初めての経験だった。日本の教育、子ども達がどのように日本の学校に適応しているかを見れる良い機会であったため、とても楽しみにしていた。 2年生の授業は道徳。あひる、白鳥、カメが泳いで向こう側の島に遊びに行こうとしているところに、泳げないリスがやってきて、一緒に行きたいという設定。でもリスは泳げないから一緒に行けないと言って、アヒル、白鳥
私のイギリスでの海外生活のスタートは、異文化を楽しみ、毎日キラキラな学びのスタートなどとは、程遠く、トラブルの連続であった。 ホームステイから住む家を探す時も、英語力の低さから部屋を見つけることが大変で時間もかかった。ようやく見つけたシェアルームでは大家さんに、アジア人が好きとの理由から会話中にキスをされ、必要な物だけを持って、友達のホームステイ先に逃げこんだりもした。もう、まさにサバイバル。 やっと見つけたシェアルームでは、謎の痒みに悩まされて、イライラしていた。南京