「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」と「途上国の子ども達の笑顔が輝いていた」と話す人たち
この話を読みながら思い出したのは、途上国の貧困地区に訪問し「僕らより笑顔が輝いて、豊かだと思った」というエピソードだ。
アイマスクで体験するかのように、途上国を体験した「豊かさ」の話に違和感を覚えるのは、大学時代にフィリピン支援NGOを訪れた時に現地駐在スタッフの方が話した言葉があるからだ。
「笑顔は貧困のモノサシにはならないんだよ。日本人とか外国人が来るというのは非日常なんだ。楽しいから笑う。
でも、ゴミ山のコミュニティの中で、ささいな傷や病気で死んだり、教育を受けさせたくても受けされられなかったりする。彼らもそれが辛いと分かっているんだよ。
それに、それは日々の当たり前だ。日常があるから笑うことはできる。
でも、だからといって貧困がないわけじゃないんだよ」
「俺は難民支援の仕事をずっとしてきて、難民の気持ちが分かったと思ってた。でもさ、自分が難民になった時に、何も分かってなかったって気づいたんだ」
と、スウェーデンで出逢ったシリア人が僕に教えてくれた。
シリアは元々、難民を受け入れていた国だった。
彼はシリアで難民支援の仕事をして、週末にヨルダンに旅行に行った。
当時は国内旅行に行くような感覚だ。
「危ないから、今は帰ってきたらダメよ」と母に言われて、彼は旅行バッグ一つで出掛けたヨルダンで「難民」になった。
「難民に労働ビザは出せない」と働けずに、エジプトから密航船でイタリアに行き、陸路でスウェーデンまで行ってから難民申請をした。
命の危険を冒してたどり着いたスウェーデンだ。だが、
「この国に感謝はしてる。けれど、シリアのシンプルな暮らしがなんて満たされていたか、って思うんだ。
毎朝起きるたびに『ひょっとしてただの悪夢だったのかも』と思うんだけど、家族のいるシリアの家のベッドではなく、狭い監獄のようなワンルームで目が覚める。
シリアに帰るか、シリアのパスポートでも行くことができるスーダンに行くか考えてる」
と心を吐露した。
トルコでシリア難民支援の活動する日本のNGO駐在員の方も「俺達はね、シリア人の気持ちにはなれないんだよ」と話していた。
感情移入をした気分になって凹んでる間に活動を止めてしまうのではなく、途切れなくより良い活動をすることが「現場にいる俺たちの仕事だ」と。
「どうあがいたって、シリアの人たちの気持ちになるなんて不可能なんだよ」
そう言えば、僕は「シリアの人たちの気持ちになって考えてください」と訴えたことはなかった。
そもそも「できない」ことでもあるのだけれど、「他の人の痛みを、代わりに報復しようとする」危険性を本能的に嗅ぎ取ったからかもしれない。テロ組織が、誰かの痛みに感情移入をさせることで、他国からテロリストとして中東に人を送り込んでいたのだから。
僕たちは「ほかのひとの気持ちになんかなれない」。
だから「ただ一緒にいて、笑って」いたいのだ。
「シリアをまた行きたい国にする」という団体のビジョンには、そんな想いを込もっているなぁ、と、「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」を読んでいるうちに感じました。
読んでいる方が「面白い!」と思ってもらえるような形で、私たち国際協力夫婦らしい形でサポートを使わせて頂きます。めぐりめぐって、きっと世界がHappyになるような形になるように!