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第19夜 風を見ていた午後

 萩寺こと宝戒寺参道の萩は北条の無念を忘れさせじと柔らかにそよぐ。車のフロントガラス越しにそのしなやかな枝の揺らぎを見て秋の微風を知る。窓ガラスを開けることのない晩秋の運転では肌をなでる風の存在に気付くことなく日々を過ごしがちだ。小町大路に入ってから私は思い立ったように家への曲がり角を通過し車を先へと向かわせた。
 無性に葉山の里山へ行きたくなったのだ。子安の里と呼ばれるこの里山は、1980年代の開発から紆余曲折の末、現在の住宅地と研修所村とレストランが共存する南関東リゾート然としたエリアとなったが、ところどころに幸か不幸か開発がとん挫したまま放置され再度草木が繁茂した自然が残った。開発時の道路付けがいいので、難なくこのビューポイントまで運転していける。逗子側から坂道を上がると立ち並ぶ研修所を抜け行き止まりの折り返しロータリーになるが、脇に逸れる砂利道を入ると丘の頂上の広い空き地となる。小石が飛び跳ねないようゆっくり車を進める。空き地の端に着くとそこはお気に入りの定位置なのだ。もとから風光明媚な里山ゆえ、なだらかな丘陵を覆うように草が蔓延りその先に秋谷あたりの海原が輝いている。  
 今日は草たちがいつになく忙しなく風に靡いている。私はその靡きの仕掛け役である風を見に来たのだ。車外に出れば風を浴びることはできる。だが、今日は風を見たいのだ。風は単体では見ることはできない。それによって靡いたり飛ばされたりするものがあるからこそ、風は見える。私はエンジンを切るとシートを最後尾まで下げ足を伸ばせるようにし、景色は見れる程度に少しだけ背もたれを倒した。途中のコンビニエンスストアで買ったラージサイズのコーヒーのプルを起こしそのまま押し込みロックすると一口啜った。買ってからここへ来るのに時間はかからなかったので、まだ十分に熱い。風は海の波のようなローテーションではなく、常に草たちを同じ方向に靡かせ続けている。その靡きを見ているうちに無意識に二十歳の日がフラッシュバックしてきた。
 私は家の車を借りてゼミの佳代ちゃんと箱根にドライブに行った。大学では会うと話をする間柄ではあったが、丸一日二人だけで過ごすのは初めてだった。もちろん…、告白をするためだ。湯本から強羅への道は運転に慣れていない私には緊張の連続で、佳代ちゃんには話しかけるのもままならない。カーステレオからはこの日のために作った山下達郎セレクトカセットテープを流していたが、佳代ちゃんは助手席側の窓ガラスを向きがちだった。きっと下手な運転に酔わないようなるべく遠くの景色を見ているようにしてたんだと思う。大涌谷では黒卵を剥いてあげたら喜んで食べてくれたが、私は緊張が続いていたため向いた卵になかなか齧りつく気になれず、黒い殻に反してあまりにも白い卵が佳代ちゃんの白い肌にそっくりだななんて思いながら意を決してエイっと頬張ると…、無残にも喉に詰まらせ慌てて佳代ちゃんがウーロン茶を買いに行ってくれた。そんなカッコ悪い時間が経過し続け、仙石原に着いた頃は日も傾いてススキが原は冷たい風が吹き始めていた。佳代ちゃんは両手を口に寄せて息をかけ温めながら私の前を歩いていた。肩までの細くしなやかな髪の毛が風に靡いている。寒いに違いない。私が着ているパーカーをあの肩に掛けてあげたい。さらに両腕で包んであげたい。悶々とふん切れない時間が過ぎるうちに風は容赦なく強さを増し、ススキたちは深くお辞儀するくらいに靡いている。私たちはススキの真中の小道をずっと同じ間隔のまま歩いていた。1時間くらいは歩いただろうか、佳代ちゃんは90度体をこちらに振り向いて白い鼻を少し赤くして言った。「帰ろ」。
 ぼんやり見ていた車窓の景色に風に乗った大きなトンビが近くまで迫ってきたことで我に還った。トンビは何事もなかったかのようにあっという間に遠くへ飛び去って行った。何の音もなく、私の髪を靡かせることもなく。未だ外の風の音すら車内には届かない。果たしてフロントガラス越しのこの景色は現実のものなのだろうか? ひょっとしてこのガラスはモニターで、そこに映っている映像なのではないか? じゃあ二十歳のあの日をリセットすることはできないのか? 遠景の陽が傾いてきた。私は静かに車を進ませ、そして家路に着いた。


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