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第60夜 フィールドワークの幻光

 翡翠、水晶、砂金…、日本には数多の宝が自然に放置されている。しかしそれらを取り合うことに血眼になる者はいない。理由は埋蔵量の乏しさだ。全ての時間を捧げてもそれで食べていけるほどの採掘量にはならないのだ。が、佐々木翠は違った。翠にとっては鉱物そのものではなく、それらが眠る大地が魅力的だったのだ。鉱物が掘り出される前の、鉱物が地表や川にあるその姿が最高なのだ。ときにはその場所は山奥だったり海岸だったりする。そして何日かけたらその姿に出会えるかは全く不明だ。翠は初めは中古車に寝泊まりしていたが、いつしか夏の暑さにうんざりし(窓を開けると蚊やアブにうんざりする)、テントを張るようになりかなり快適になった。が、女子のひとりテント泊というのも心配で不眠気味になり、決断した。キャンピングカーだ。20年落ちの中古だが、つてで安くリストアしてもらったらかなり快適になった。クーラーだけは新品にしたので、もはやホテル並みだ。それでも翠はなるべくキャンプ場、それがなければ人里近いところに野営地をとった。長ければ2週間は滞在する。だから新鮮な食材は現地調達する。資金は乏しいから採取し捕獲する。野を歩き山菜を取り釣りをする。初年度は空振りが多かったが、2年目は結構確保できるようになった。例えば岩魚の塩焼きとウルイのおひたし、デザートはサルナシ。アクは強かったりするが野生味のある濃く深い味は野外食ならではで満足だ。
 鉱物を採集するのは控え、撮影を主に行う。日中は各所で撮影をしまくり、夜はそれを整理する。その瞬間に起きている現象をデータとして収める手段は加速度的に進化した。かつては撮影ごとに撮影地を別にノートに記したのだろうが、今はGPSで各カットのデータにタグづけされるから撮影に集中できる。常に頭に装着したGO PROで録画もしているので後の作品整理がかなり楽だ。しかも画期的な発見は録画され残っているから、それを編集すればエビデンスに利用できる。そのうちに五感で感じ脳に記憶するという最速な手段を凌ぐ日がやってくるだろう。
 栃木の山中は印象的だった。渓流にヤマメを追っているときだった。山肌を削るように流れるせせらぎが左にカーブするその角に、ちょっと見には気がつかない洞があった。私は閉所は苦手だがその洞は人を寄せ付けない空気は発しておらず、むしろおいでおいでと呼んでいるような気配すらあった。時間はまだ朝7時だ。しかもここからどんどん晴れていく予報なので心細さも薄い。翠は中へ入ってみることにした。案の定そこに踏み込んだのは自分が最初ではなく、タバコの吸い殻や食べ物の包み紙が散らかっていたりはしたが、入口から差し込んだ光は洞の先の鍾乳石をほのかに照らしていた。洞の天井は翠の背を遥か超え3mほどはあるので先に進んでいくのは容易だった。外からの光は徐々にその範囲が狭く低くなり、足元にもその光が届かなくなったところで翠は息を呑んだ。乳白色の鍾乳石が自然発光している。いや発光しているのではない。先ほどとは違うもっと狭い洞口があるのだろう、そこからの一筋の光がピンスポットライトのように鍾乳石を眩しいほど強烈に際立たせる。奇跡的にそこにはA3サイズほどの雲母の塊があり金鉱のように輝いている。鍾乳石の乳白色と対比をなし、かつてパリで見た王宮の装飾のように場違いな気高さを露わにしていた。おそらくこの状況は太陽の軌道が合致する瞬間にしか出会いないだろう。翠はこの邂逅にすべてを捧げ居続けた。次第にその光は短くなり惜しむように途絶えた。皆この幻想に身を置きたくてやってくるのだろう。その時翠は何も機器に納めていないことに気づいた。ヤマメが目的だったからだ。だがいいのだ、出会えたのだから。

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