メンタルの調整期間の重要性【日記】

せっかく旅行に行けたかと思ったら、ネットが繋がらなくなったり、取引先からいろいろクレームが来たりで、今月はなんかバタバタし始めた。

私の中でも、この生活を長く続けていても仕方ないだろうなという実感が湧き始めた。そして本気で仕事を変えることを考えるようになった。

仕事を変えると言っても、そんな大げさなものではなく、もともと働いていたのかどうかも怪しいくらいで、命からがらここまで生きてきた感じではある。

そんなことよくやるわ。と自分でも思うのだが、重要なのは生きるための金ではなく経験なので、結果としていろいろ勉強して本業を副業にするというシステムが成り立つようになった。

もちろん今までのようなペースではできないかもしれないが、今までの経験を活かして転職をし、フリーランスのように副業をしていくスタイルが精神的にも自分は合っているような気になってきた。

というのも、フリーランス自体は別に悪くないと思う。ただ、働き方として、自分は悠々自適に旅行したり、浪人のようにふらふらできるのかと思いきや、ほぼ一日中家にいては、日が暮れてから買い物をして、大半を家で過ごすというコロナスタイルを数年続けてきた。

結果として椅子に座りすぎてガリガリに痩せて、足は細く、色は真っ白のアンガールズのようになり、人と会話するのにも頭の回転が追いつかないくらい老化が進んでしまった。

改めて思うが、人間というのはコミュニケーションをとる社会的な生き物であって、一人で生きていくものでもない。

在宅で仕事をするのは、子育てで家にいる必要があったり、家族や彼女がいたり、必ず夜に遊べる友達がいたら最高なのだが、結果として私はただもくもくと引きこもっていただけだった。

そうなると面接をするにも、言葉が出てこなかったり、本当に老人のような頭の回転スピードになっていき、しまいにはあと数年したら痴呆になるんじゃないか。という危機感さえ出てきた。

そうならないために、ここはいったん社会に出て、人と触れ合おうと決心したわけである。

日本の仕事についてはいろいろ文句を書いているが、結果として日本は未経験者を雇うという文化が根づいているお陰で、仕事を選ばなければ得られる。それが良いか悪いかは別として、まぁフリーランスとカッコつけて語れば何だか書類くらいはたまに通ったりする。

おそらく来年にはまた新たな人生になっているかもしれない。まだわからないが、なっていたら良いなと思う。

コロナ禍でずっと家にいたせいで、私の感覚としてはコロナで人生が激変したという感じではない。おそらくコロナまで前の職場で続けて働いていたら変わっていたのだと思う。

というのも、私は空港で働いていて、同僚に聞くにキャリアの長い人以外ほぼ全員クビになったとのことなので、そのうちの一人になっていたのだと思う。

私はその少し前にフリーランスになる決心をして、ふらふらと農業体験をしたり、いろいろ好き勝手やっていた。

そんなこんなで私も決断をしなければならない。このままじゃ駄目だと思うなら何かを変えないといけないし、満足の行く形にまで持っていく手段が必要になる。

なんというか、今までの人生が無駄と言ってしまえばそれまでだが、無駄じゃなく活かそうとするのも自分次第ではある。

金銭的にも精神的にもフリーランスを続けるのはしんどいと思い始めたのをキッカケに新しいことを始めるのもいいと思う。

もちろん自分としては残念ではあるのだが、別に副業でやればいい話だし、フリーランスを経験したことで、前までは応募できなかった職種に応募できるようになったのも良い。

そもそもコロナを経験して日本の会社はわりと変わり始めた。私がフリーランスになった理由というのは、毎日毎日会社へ満員電車に乗りたくないというものである。

そのバリアをコロナが破壊してくれたこともあり、前ほど満員電車は無くなり、リモートワークも珍しいものじゃなくなった。私が応募した企業のうち数社は完全リモートで正社員という最高の職場感あふれるものだった。

私としては人と会って話したいという願望もあるので、完全リモートも前ほど嬉しいものじゃないが、以前の日本ではあまり考えられないことではあった。

ついこの前に、取引先からクレームを受けて、何かがプッツリ切れてしまった。自分の実力の無さもそうなのだが、好きなことで生きているつもりだったのに、洗脳されているように好きなことだと思い込もうとしていた節があった事に気づいたのかもしれない。

頑張っても頑張らなくてもお金にそれほど差がなく、取引先の言う通りに動いていたら、それはもう会社員やん。福利厚生や社会保険のない会社員やん。フリーランスちゃうやん。コロナのお陰で会社員でもリモートできるやん。似たような仕事を会社員でやったら、全然お金貰えるやん。

そういうことをいろいろ考えて、合理的に生きていこうとシフトした。

フリーランスになったとき、俺の人生終わるかもなと思いながら、案件獲得へ向けていろいろ頑張った。その結果なんとかなったわけだが、今度は逆になんとかなった分の成果を捨てられなくなってしまって、中途半端に苦しい状況が続いていた。

個人投資家らしからぬ、人生の損切りが出来ていなかった。投資家なら100万稼ぐために目先の50万は捨てなければいけない。もしかしたら予想が外れて100万を稼げないかもしれない。だが、50万を捨てないと100万は稼げない。そこをビビってはいけない。

人間の時間は有限であり、ある程度の仕事の回転や単価を高くできるのなら良いと思う。マグロ漁船のように、半年休み無く働いて、半年ぶっ続けで休むようなライフスタイルもありだろう。

一週間でいくら頑張っても1日24時間が増えることはないし、自分の仕事をどれだけ早くしても8時間かかるものを10分にはできない。7時間や6時間にはできる可能性がある。ただ、それで劇的に大金持ちになれるのかというと、そういうわけでもない。

楽しいことというのは、一日何時間でもできる。結果的に私が好きだと思っていたものは、好きじゃなかったということになる。

結婚して離婚する人がいるように、なんだか夢を見て結果的に駄目なパターンも有る。もちろん、それが失敗というわけではない。また新しく始めればいいだけで、無駄なことはない。

人生は一筆書きであって、時間を飛ぶことは出来ない。

私は楽しいことができるなら、満足に金が貰えなくてもいいと思っている。ただ、今の現状は楽しくないし、人より少し得意なことで、楽してサボれるような仕事だっただけで、そこまで好きではなかったのかもしれない。

むしろ仕事にしないほうが好き勝手できて好きな可能性もある。

まだ自分が好きなものが見つからない悲しさはある。こんなことなら、売れないお笑い芸人をやっていたほうが楽しいのかもしれない。

好きかどうか、楽しいかどうかは自分がやってみるまでわからないし、仕事になると、やるまでに一定のハードルや時間を消費するのが人生を難しくしている。

一つ悲しいのは円安で海外に行くのが難しくなったことかもしれない。

飛行機の値段もコロナ後にかなり上がってしまった。旅行しているYoutuberを見ると、なんでこんなに人生を謳歌しているんだろうと羨ましく思う一方で、こんな生活が何年続けられるんだろうかと思ってしまう。

オンライン面接前に電動シェーバーがぶっ壊れたり、ぶっ壊れてもギリギリ保証期間の1年以内でなんとかなったり、保証期間で修理に出してしまったせいで、新しく買うより余計に時間がかかってしまったり、人生は何が良くて何が悪いのかわからない。

新しい服を買った直後にレトルトカレーを盛大にこぼしたことで、その瞬間は、「なんで世界中の誰より真面目で誠実に生きている自分がこんな目に合うのか」と思ってしまうのだが、よくよく考えると、ジーンズ履いてるときじゃなくてよかったな。とか、なんか神がそのタイミングを選んだ理由があるはずである。

世の中には自分と同い年でも事故や病気で亡くなってしまう人がいる。なんで自分なんだと思っただろう。

果たして自分は恵まれているのかどうかと考えれば、日本に生まれた時点で恵まれている部類に入るだろうし、別に金持ちの家でもないが、大学へ当たり前に行ける家に生まれて恵まれているに違いない。

結局は私が勝手に落ち込んで嫌になっていると、その時にあるチャンスを逃してしまうことになる。変に周りの人に当たり散らしたりすれば、それだけ人望を失うことになる。

多くの人と関わることで、自分の考えや視野の狭さが際立つ。だからこそ、孤独でいてはいけない。嫌な方向に向かいやすくなり、それを止めてくれる人もいない。

フリーランスは自由。だが、孤独のリスクも孕んでいる。

家の中に引きこもりすぎて、人に会いたいという願望が出てきた。これはメンタルがやられているのか、回復しているのかわからないが、こういうときには保守的にならずに、新しいステップへ進むべきだろう。

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