年収380万円とDie with zero

人の生活水準というのはそれぞれ違うので、どれくらいの収入があれば生活できるのか決められるものではない。

私の生活の質は最低品質で全て収めており、気が向いたときに高い買い物(スニーカー、何かの医療費や歯医者、パソコン、家電)などを買ったりする。

380万の生活はボーナスの質にもよるが、だいたい額面23~25万くらいで、ボーナス3~4ヶ月くらい付いてくる感じになる。一人で生活するにはお金が少なすぎて生活できないというものでもない。ただ、少し油断して遊びすぎるとすぐに金がなくなる水準ではある。

家賃が6~7万であれば、1日1000円の出費なら月10万前後貯金できるし、1日に3000円くらい使ってしまうと、結婚式のご祝儀などで急な出費が出たときにボーナスが来るまで赤字を補填する形になるかもしれない。

世の中には大卒も高卒もいるので、380万という数字がどういう水準なのか測りかねる感覚はある。一般的には大卒地方公務員の1~2年目くらいだと思う。

そもそも、求人に大卒以上という表記が少なくなっている昨今、学歴よりも経験ということはどの会社も考えているし、大卒であれば大企業に新卒で入って数年勤めている人を欲しがる会社が多い。

30代前半で中途で正社員フルタイム380万という水準は、平均から見ると少ない。30代であれば500万は欲しい。だが、当然ながら500万を稼ぐと税金はさらに取られる。

400万円だったら100万くらいが税金で取られる。500万だとそれ以上ということになる。そもそも、社会保険料が上がりすぎて、安心できる生活を担保するものの費用が生活を脅かすというわけのわからない構造になっている。

年金は必ずもらえるとはいえ、満額で収めた人でさえ今の65歳は年金だけではとても生活できないと言っている。私達の時代でも貰えるだろうけど、それで生活が安定するとは考えられない。年金は貰えたらラッキーくらいに思っておくべきだろうか。

わたしたちの年代が今から満額で収めたところでおそらく年収380万では額面で厚生年金なら全く20万いかない可能性もある。

自分の将来の不安や将来への期待を天秤にかけても、おそらく現時点で年収380万ということは、今後上がったとしても50代くらいで500万いくかいかないかくらいかもしれない。じゃあ芸能人のように50歳で子供を持つなんていう選択肢は会社員には現実的でない。

結婚して子供を持つ事を想定しているなら、おそらく380万円だと相当しんどい。パートナーが380万以上稼いでいるとかなら別かもしれないが、女性の場合、なぜか旦那のほうが多く稼いでいて欲しいという願望があるらしい。

年収が低いとかそういうことより、週5日、8時間働いていて、休みの日にどこかへ出掛けたり、遊んだりする余裕もなくなる。そういうことを考えていると、自分が何のために生きているのかわからなくなってくる。

人と比べれば、もっと給料低くても頑張ってる人がいるとか、残業ありで380万だとか、そういうことになってくる。だからこれは私の個人的な感覚の話だと思って欲しい。

そもそも人と比べることはできない。その人は私とは別の人生を歩んでいる人だし、違う仕事で同じ金額の給料だったとしても、人によってストレスの感じ方やライフスタイルは全く違う。

1000万円あっても足りない人は世の中にいるし、300万あれば余裕の人もいる。どっちが良いとかそういうことでもなく、自分の理想とする人生に到達できているかがいちばん重要なことだと思う。

ハイパーインフレ状態になっているベネズエラでは、1ヶ月働いてもビックマックを食べるのに苦労するらしい。経済というのは比較によってそれほどの大きな歪みを生むことになる。かつてベネズエラは資源が豊富にあって、GDP世界ランクで上位を占めるほどの国だったというのだから、政治や教育によって大きく国の情勢が変化してしまうのは珍しいことではないらしい。

結局、人間は何を指針に生きていけばいいのか。そういうことを考え始めて人は変な宗教にハマるのかもしれないが、そこはいろいろな人の価値観によって違う。

日本人によって意見が割れるかもしれないが、やはり私の中の価値観で大きく占めるのはDie With Zeroかもしれない。

簡単に言えば、将来のための貯蓄とか、そういうことに不安になってないで、今やりたいことを今やれよ!という考え方を推奨している本である。

こういうことは大体の日本人には否定的であったり、口では「すごいねー」と言っておきながら、絶対に自分では実践しない人が9割以上である。そもそも世の中というのは、そういうものなので、あまり気にしなくてもいい。

確率100パーセントで明日から株価が10倍になる銘柄を教えてあげるから、全財産ぶっこめ。と言われても、それを実践する人などいない。そうやって目の前のチャンスを逃す人が普通に何の変哲もない人生を生きている。それで10倍になったあとで、せめて100万円でも買っとけばなーとか言う。

何よりも怖いのは、時間は絶対に巻き戻せないということだろうし、やりたいことを先延ばしして、後悔先に絶たずが体現されることだと思う。結局何もない人生というか、やりたいことができなくなってから時間に余裕が出ても悔しさしか残らない。

親孝行したいときに親はなし。という感じで、人生がそもそも上手く流れていくものでもない。自分で切り開いていくというか、仕事だからとかお金がないからとか、そういうことを言っていると永遠に出来ない。

自分はやりたいことをやってきたつもりだった。それでも全然できていない。単純にお金がないからバイトしてもうまいこと貯まらずに、結局また別の問題が起こったりして、それに対処したりタイミングを逸してしまったりで、モチベーションが下がったりということの繰り返し。

思い出したように、またやってみたいと思っても、若い頃の体力もなければ自分の置かれた環境からまたチャレンジするのはもっと厳しい状況になっていたりする。

よく芸能人の一発屋やYouTuberで若くして稼いだ人に、「老後までどうやって生きていくの?」みたいな感じのことを言うのがテンプレ化しているが、逆に多くの人は一発も当てられずに人生を終えるわけである。

確かに稼ぎまくった翌年の税金は地獄だろうが、それでも手元に残るお金があれば、それを元手にまた新しいチャレンジができるはずである。年収380万で一人暮らしというのは、確かに余裕ではあるけども、結局のところ生きながらえて何も出来なければ意味がない。

年収が低くフルタイムで働かされている、そしてやりがいも生きがいもないというのは、無期懲役みたいなもので、それが嫌ならものすごい稼いで自由経済的な自立を手に入れるか、あるいは人に命令されて指示される労働から解放されるように、自分で何かやるしかない。

Diw with zeroを読んで、「俺の夢は死ぬまでに世界一周することだった!!」と思い立って、仕事を辞めた人はいるだろうか。

人生は思い出づくりということは、とても共感できる。なぜなら私のこれまでの人生の記憶では、1年のうち200日以上占めていた仕事の記憶よりも、休みを取って行った海外旅行のほうが明らかに鮮明に憶えているからである。

不思議なもんで、ものすごいストレスがかかっていた仕事なはずなのに、そういった類の記憶も消えている。おそらく脳がストレスや不安をかき消すために、記憶もろとも消去したんだろうか。

海外旅行というか、海外に行きたい。自分の目で世界がどのように動いているのかすべて見てみたい。夢と言うと大げさだが、自分が唯一やりたいことかもしれない。

自分がこれからどうなるのか誰にもわからない。だからこそ備えるという考え方もあるし、だからこそ備えても仕方ないという考え方もある。

地震も疫病も誰も予想できないし、横断歩道でいつ車が突っ込んでくるかもわからない。

自分の体だけは自分がコントロールできる。それなら、自分が今確実にやりたいという気持ちを大切にして実行することは、悪いことではないし、当然のことにも思える。


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