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砂漠、薔薇、硝子、楽園、 (10)

feat.松尾友雪 》》》詳細 序文

》》》9.
「ニキ。胸と、舌と、どっちでいきたい?」

>10.スグル_

仁綺は下着も着ないで、Tシャツだけを被ってうろうろしていることがあって、スグルは仁綺がTシャツ姿だと、まず裾から手を入れてみて、下着を着ていなければ、リネン室から仁綺の下着を出してきて、仁綺に渡した。

仁綺のお気に入りは、頭の異様に大きい宇宙人がぽつりと膝を抱えて座っている、コミカルな線画の入った白いTシャツだった。宇宙人の目は大きく、虚ろで、小さな口を大きく開けて、何かを嘆いていた。元はイヅルのだから男物で、仁綺の薄い体には、ぶかぶかだ。生地が柔らかいせいで、体勢によっては仁綺の胸が、宇宙人の見上げる白い空中に、星のように透けて見えた。

スグルが「喫茶パノラマ」へ出かける時間まで、まだ少しあった。支度を終えてリビングを覗いたスグルは、イヅルから締め出されたらしく熱心に切り絵をしている仁綺を、しばらく眺めてから、横から差し入れた手でTシャツの前裾をめくって、いったんリネン室に戻った。

仁綺はそのあいだに、自分とスグルのコーヒーを作り、席について、スグルを待っていた。

「ニキが服にこだわらない人なのは助かってるけど、衛生的観点からいって下着は身につけるべきだ。僕は、譲らないよ」
スグルが四角に畳まれた下着を手渡すと、仁綺は不思議そうに瞬いた。
「お洒落は、嫌いじゃない。いちおうTシャツも、柄は選んでるつもり」
「…念のため確認すると、いまのは柄に主題を置いた発言じゃなかった。君の美的感覚についてではなくて、君の、衛生観念についての発言だった」
「女の子の下着って可愛くて、好きだな。スグルが選んだの?」
「…。イヅルが、ひとの日用品を? 選ぶと思う? そうじゃなくても、そんなTシャツをわざわざ買うような人に、女の子の下着を選ばせられないよ」
仁綺は答えずに、下着を嗅いで、頭に被ってみせかけて、スグルの顔色を見てやめ、つまらなさそうに、下着に足を通し始めた。
「だいたい、よくもまあそんな間抜けな柄の服を着ていられるよね。着るほうはともかく、見るほうは気持ちが削がれるよ。真面目に生きてるのが馬鹿馬鹿しくなる」
立ち上がり、下着を上げてTシャツを整えた仁綺は、首を傾げた。
「どうして? とても可愛くて、元気が出る」
スグルはやるせない様子で首を振って見せた。鷹揚に椅子に腰掛けてテーブルに腕を乗せ、切り屑を指でつまみながら、スグルはため息をついた。
「こんなに綺麗な切り絵を作るのに。なんでそんな趣味なんだか」
「『そんな』…?」

座ったあと、スグルのほうへ、マグカップを押しやってから仁綺は、思案顔で顎を指差して天井を見て、やがて、スグルに目を流した。
「うん。もう…3か月だからね。私なりに、ホームシックなんだろうな。これを着ていると、父の話を思い出すんだよね。自分は宇宙人だという話。明るい気持ちになる」

スグルはカップを持ちかけた手を止めた。
「待って。…僕の調べでは、君は、孤児だと…」
「うん。自由になってみるとなんだか、ふわふわしちゃってね。帰るとしたら、父がいたあの頃になるけど、もう父にも会えないし。だから、これを着てみてる」
「そう。…剽軽な、お父さんだったんだね」
「いま思えばね。当時、私は恐ろしかったな。信憑性があったよ。父が宇宙人ではないと論破することは、なかなか難しかった。言い合いになると、地球はなんてくだらない場所なんだろう、やっぱり成田空港に隠してある宇宙船で星に帰ろうかなって、言うんだよ。まだ3つとか4つとかの頃かな」
「つくばや種子島じゃなくて、成田ってところが痺れるね」
「宇宙よりはとんかつの揚げかたに興味のある人だった」
「とんかつ?」
「とんかつ屋だった」
「お父さんが?」
「私が『庶民』出なのはおかしい?」
「おかしくはないけど…」

仁綺が不審に思わないか懸念しながらも、スグルは言葉の継ぎかたを選びかねた。スグルの調べでは仁綺の父親は、「インタステラー・ウァマステカー」の一般研究職員で、仁綺はその関係から7歳で遺児向けの奨学金を受け始め、すぐに、非公開の「特別支援学校」に転校、14で医学疫学博士号を取得し、15以降、公的には消息を断ち、戸籍には「行先不明人」として登録されていた。

黒塗りされた教科書のような経歴だ。

とんかつ屋…?

「とんかつ屋は正直、意外だな。僕は…君のことしか、調べなかったから」
仁綺はスグルの様子を別段、気にかける様子もなく、話を続けた。
「父には、迷惑をかけた。聞いた話だと、私の関係で何かの組織の人質になったときに、視力を失ってる。保護プログラムで別人になって、どこかに住んでいるはず。私は探してない」
「…。それなら、探せなくはないかも。探そうか?」
「私は探してない」
「僕が探すのは、自由?」
仁綺は肩を竦めた。
「いなかったら、面白いな。きっと星に帰ったんだね」
「いなかったら? …寂しい?」
仁綺はスグルの問いに、考えてみる仕草をしてから、口を開いた。
「寂しいよ。私が、宇宙船があるなら逃げるべきだと言ったとき、父は首を振った。私がいるうちは地球にいるつもりだとか…本当のところ、星は爆発してしまったから、帰るところなんてないのだとか…なんだったかな…」

仁綺の様子に合わせて、スグルはそれらしい受け答えを心がけた。
「ふうん。剽軽なだけでなく、感傷的な人だったんだな」
「私は5才くらいから、父と離れて寮に入ったんだよね。父は、私が宇宙人の娘だとバレると色々とよくないから、絶対に黙っておくようにと真剣に言った。私は真剣に、父の出自について黙った。自白剤を打たれても黙った」
「穏やかじゃないね」
「父は私に、隠し事があったみたいだね。恨んでない。私はそれ以上は追及されなかったから」
スグルは話の続きを待った。

続きは、なかった。

仁綺は、飲み終えたマグカップを手に、キッチンへ立ち上がりかけて、やめた。
「飲んだら、置いていっていいよ。これはスグルのと、一緒に洗う」
「ありがとう」
礼を言い、黙ってコーヒーを啜るスグルを、仁綺は頬杖をついて、見つめ返した。
「スグルは…ときどき、私が宇宙人で、宇宙人だということを隠してるみたいに、観察するよね」
「うん」
スグルはマグカップから口を離し、見つめ返す仁綺から目を逸らさずに、続けた。「…君は、嘘をつくとき、唇を舐める。そんな馬鹿みたいな話が、君にとって嘘じゃないのはどうしてか、僕はいま、考えてるよ」

「掘り」損ねた焦りが、出た…普段なら、胸のうちにしまって相手の出方を見るに留めるような、指摘だった。

仁綺の顔を見るのが急に躊躇われて、スグルはやり場のない視線を腕時計の盤面に漂わせた。

そろそろ、時間だ。

「嘘というのは、…ちょっと、言葉が強かったかもしれない。僕は、考えてるよ…君には、やっぱり、秘密がある」
仁綺は、答えなかった。スグルはテーブルへ手を突いて、立ち上がりながら、続けた。
「でも、いいんだ。僕は、それでいい」
「…。スグルの言いかたは、いつも曖昧で、私には意味を掴むのが難しい。秘密は、誰にでもあるものだよ。伝えきれないほどたくさんの思い出や、言えないほどつらいことや、言葉にできないほど嬉しいことだって、定義からすれば、立派に秘密だもの」
テーブルの淵から手を離しきらない姿勢で、スグルはやんわりと、返した。
「詭弁だね…?」
「スグルには、詭弁に聞こえるのかもしれない。スグルは視点が低いときがある。私には、スグルの秘密は、楽しいよ」
スグルの腕時計にちらりと目をやって、話は終わったというふうに、仁綺は立ち上がった。

ふたりのマグカップをキッチンへ持って行こうとする仁綺を追って、スグルは後ろから、抱きしめた。

「スグル?」

「…ううん。今日は《バイト》の日なんだ。少し遅くなるかも」
「そう。気をつけて、いってらっしゃい」
スグルは、離さなかった。仁綺は困惑しながらも苦笑して、スグルを背負うようにキッチンへ移ってシンクにマグカップを置き、玄関までスグルを、半ば引きずって出た。
「大きい。重いよ。するときは心地いいけど、いまは、してない」
「……」
「スグル」

スグルは仁綺を離して、仁綺にこちらを向かせ、両手を取った。
「帰ると、君は寝てる」
仁綺は微笑んだ。
「起きてるよりは寝てるほうが楽だもの」
「眠るために君が何をしたか、僕は考える」
仁綺は瞬いた。スグルから右手を解いて、屈託なげな手つきで、スグルの耳周りの髪を整えた。
「…坂道をね、…自転車で…めちゃくちゃに、漕いで登るんだよ。必死にね。太腿が千切れそうで、息も絶え絶え。もう足が動かなくて、進めなくて、倒れる直前まで頑張って、絶対につかないはずだった足をつく。私は、気持ちがそんな風に、くたくたになるようなことをする。私の眠りは、心の全力の一歩先にしかない」
「君が眠れないよりは、君が眠れたほうがいい」
「んー…。告白すると、スグルは気難しくて、時々、相手をするのが疲れる」
困惑顔をしてみせた仁綺の、手を取り直して、スグルは首を振った。
「困らせたいわけじゃない。ニキ…君はもう沢山、沢山働いた。君が救った人たちが生きて起きているぶん、休んだり、眠ったりしていいはずなのに。彼らから引き離されても、君の頭はひと時たりとも、休めないんだな…」
「私は、…救った何倍もの人を、苦しめたよ。たぶんいまも、苦しめてる。エネルギーにはロスがある。私は与える以上のものを奪って、それで、生きのびてる。スグルの言い方は、私にはしっくりこない」
沈黙が走り、目が合った。

仁綺はスグルを見つめたままそっと、スグルの唇の端にくちづけて、踵を返した。スグルは仁綺が傷つかないように、扉を優しく閉めた。

隙間から覗く、ぶかぶかのTシャツを被っただけの、仁綺の柔らかな後ろ姿は、うなだれた肩甲骨をほんの少し、透けて見せていた。



>次回予告_11.イヅル

「イヅルは、流れ星に願い事をしたことは、ある?」

》》》op / ed

今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。