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砂漠、薔薇、硝子、楽園、 (18)

feat.松尾友雪 》》》詳細 序文

》》》17.
繋いだ両の手に、力が込められた。スグルは、仁綺の耳裏に火照った舌を這わせながら、囁いた。
「…加減、できないかも」

>18.スグル_

最近になって急に、「シベリア・セキュリティ」の取引先が潰され始めた…結婚報告の夜、《マスター》は「本題」を、そう切り出した。
「どれもぱっとしない感じの、古くて小さい取引先なんだけど、なんだかねぇ…」

話が「本題」に入った途端、警戒心を露わにして静かに、しかし確実に、臨戦態勢になったリュカとスグルを一瞥し、《マスター》は軽く頷いたものの、すぐに目を伏せて、盃を舐め、ため息をついた。
「や、…それがさ、まだね、本気出すほどでもないんだよなぁ…ってのがまた、微妙なとこなんだ。潰されたってか、潰れたって感じのところが、大半だし…抗争で負けたところも、相手はてんでばらばら。私怨のある雑魚ばっかりで、何も出てきやしない。ここに来て長年の歪みが出たか、それとも…」
小競り合いや縄張り争いの絶えない社会だ。恣意性がなければ、ただの世代交代や、時流だが…。

《マスター》は、チェンをちらりと見た。チェンは聞かないふりをして、今度は桃饅頭を黙々と口に詰め込んでいた。ぱんぱんになったチェンの頬を突きながら、《マスター》は苦笑した。

「チェンは『とっておき』だろ。おおごとになってきたら必ず、声が掛かるさ。取っとけ取っとけ」

そして、リュカとスグルに向けては、ま、気をつけてよ、ね、と作り笑いをし、《マスター》は皆に無理矢理、盃を空けさせたのだった。

《マスター》は全員の盃に酒を注ぎ終えると、肩をぐるりと回してみせた。

「あー。肩の荷が、下りた。飲もうぜ」

それだけ、だった。「本題」が、それだけだった…ということは、それだけ、外に漏らしてはいけない情報なのであり、加えて、「留守番」組が自分の分野で何か見つけたとしても、「本社」案件だからできるだけ関わるな、しかし指示が来る準備はしておけ、という意味だった。

そのあと、「本題」には二度と触れないまま、「本題」を忘れそうなほど、飲みに飲んだ。夜というよりは朝というほうが正しい時間帯に差し掛かった頃、酔い潰れたチェンとリュカにブランケットを掛けてから、スグルに烏龍茶を手渡しながら、《マスター》は尋ねた。

「実はさ…取引先のことも気になるけど、それより気味が悪いのが、《有名人》の廃業でね。スグルは、ここのところたてつづけに有名どころが消えてるのは、知ってる?」
「…。さあ…《イン・ザ・プール》くらいかな。《ヴァチカン》の『金庫番』の…2週間失踪してて、今月初めに、物流倉庫の冷凍室で見つかったっていう…。…もしかして、もっと上のクラスの人たちの話?」

スグルは卓に肘をついていた。烏龍茶のグラスをこめかみにあてて答え、《マスター》の反応を待った。グラスの結滴が頬を伝うのを感じたが、スグルはそのまま、氷の打つ音が響くグラスで、頭を支えていた。
「《花屋》、《傘職人》、《橅木ネム》、《インドール》、《超人舎》…この辺は?」
「そりゃあ、…。待って。その人たち、みんな…? 『廃業』って…」

《マスター》は卓に伏せたチェンの背中に、そっと触れ、酒に飲まれて動かなくなっているチェンの袖を整えたその手で、頬杖をついた。

「そう。…死んだ」

「え…?」
「おかしいんだよ。『自宅』で見つかるとか、手術中に手違いがあるとか、転落するとか、火事とか…みんな、自殺か事故死なんだよね。みーんな。みんな、『仕事』以外でひっそりと、死んでる。もともと仕事を選べる連中だし、普段からぱたっと、音沙汰がなくなったりもするだろ。世間様のニュースにチラッと記事があって、数少ない顔見知りが気付いたところで、偽装かもしれないわけだから、真偽なんてわからない。いま、このことを知ってるのは『業界』でも『通』だけだ」

スグルは《マスター》を見つめたまま、烏龍茶を口に含んだ。挙げられたのは、揃いも揃って、長年親しまれ、恐れられてきた名前だ。確かに…そういう大物は、生死も分からないままいつのまにか『業界』から消えていくのが、本来の常ではあった。

「現役の『業界』人がさ、それも年季の入った《有名人》が『公式に』死亡するなんて、珍事もいいとこだろ?」
「……」
「で…こないだ、《マッドステーカー》が、水難事故で死んだ。完全なるプライベートで行ってた、キャンプ先でね。知り合いだなんて、なるべくなら言いたくないような、嫌ーぁな奴ではあったけど…まあ、ちょっとした仁義があってね…ぎょっとしたのはさ、まるで供養でもされたんじゃないかってくらいに、見事に《仕事》の痕跡が消されてたんだよ。綺麗な口座は遺産になって、裏口座は全部、金を抜かれて閉鎖。仕掛かりの『賭け』には、資金が投入されたまま。『プレイヤー』たちも『賭け』のあとの、秘密のはずの支払先が消えてるってんで、肝を掴まれた感がすごくてね。中には、自殺じゃないかっていう奴もいるけど…」

《マスター》は首を振った。

「…そんなわけが、ないんだ。『業界通』のあいだじゃあ、《ドラゴンスレイヤー》じゃないかって、噂が出はじめてる」

聞き慣れない呼び名を聞いたスグルは、小さく尋ねた。
「《竜殺し》…?」

《マスター》は頬杖を突いていた手の指で、自分の横顔をぽつぽつと叩きつつ、答えた。
「うん…スグルはまだ、経験ないよなぁ。20年30年単位で、定期的に出現するんだよ、大物狙いのさ、大大大迷惑な、変わり者がね。知ってのとおり、『業界』には『業界』のバランスがあって、新陳代謝は自然に任せるのが一番だ。だから《ドラゴンスレイヤー》が出たら、『業界』総出で見つけ出して、血祭りにあげることになってる。首を取ったら、敬意が払われる…ただし、対抗馬が消されるまで待つ輩や、《ドラゴンスレイヤー》のせいにして都合の悪い相手を消そうとする輩も出てくる。つまり、チキンレースでもあるし、陣取り合戦でもあるわけ」

《マスター》は二枚のメモ用紙を取り出して、スグルに渡した。一方には《有名人》たちの『芸名』が並んでおり、もう一方には、見慣れない姓名が並んでいた。

「さて…そこでだ、好き勝手してていいよって言ったその口で、悪いんだけどね…? ひとまず、こっちをよろしく頼むよ。調べてみてほしい。何か分かった時に俺が捕まらなかったら、《サーシャ》に連絡してくれな。いつもどおり、俺のお遣いって言えば《ゲートキーパー》までは会いに行けると思うから、そしたらこのメモが、通行証ね」

なくすなよー? と、《マスター》はスグルの肩を、小突いた…。




「で? 何か、分かった?」
倉庫での「臨時休業」準備を終えたらしいリュカが、オフィスの椅子をスグルの隣に転がして来て、どさりと座った。

「喫茶パノラマ」のオフィスに出る時は、リュカと日を合わせている。互いの、情報交換と護身のためだ。といっても、いつも日が合うわけでもない。リュカと直接会うのはひと月ぶりだったし、それぞれの作業が溜まっていた。先に保守を終えていたスグルは、自分の「神経」を収穫もなく半ば惰性で浚っていた、手を止めて、横目でリュカを見た。
「何かって?」

リュカは足首で足を組み、椅子の背に脇を掛けて体を預けた姿勢で、しばらく黙ってから、首を傾げてみせた。
「さあね。例えば、すぐにでも『対処』が必要な敵が見つかった…とか?」

スグルはリュカに冷たい視線を投げてから、また画面へ顔を向け、手を動かし始めた。
「映画の見過ぎだよ。ハッカーは神様じゃないんだ。事件はだいたいネットワークの外で起こってて、もちろん僕には千里眼もなけりゃ、テレパシーも予知能力もない。こうやって、尋常じゃない根気でひたすら地道にやるのが、基本スタイルだ。尋常を超えてやってれば結果として、神様みたいになんでも、見つけられるかもしれないけどね」

「あ、ら、まー…謙遜しちゃって…結局、『結果として、神様みたいに』なって、何か掴んでるんでしょ」
「……」
狩場に見切りをつけて撤退するあいだ、スグルは口を噤んでキーを叩き続けた。リュカも黙ったまま、スグルの手が止まるまで、窓から雨を探して夜空を見つめるような表情で、ディスプレイを眺めていた。

スグルは最後のEnterを打って、改めてリュカのほうへ、顔を向けた。
「君こそ…本物の、色んな分野の色んな『神様』たちと、交流があるだろ。君はこのひと月で、何を見つけた…?」

二人は、しばらく、見つめあった。

そして同時に、口を開いた。

「《ワーニャ》…」

二人は、ため息をついた。イヴァン…《ワーニャ》…は、アレクサンドラ嬢の弟、つまりチェンの叔父にあたる。年来、北陸を拠点に眠るように静かに暮らしていたのだが、どうやら、長い眠りから覚めて、独立を考え始めたらしかった。

二人は《名前》を入れながら、手にした情報をまとめた。「潰れた」のは皆、表向きには小商といっていい「卸問屋」だ。しかしどこも、中立的で義理堅いことで有名な、小老舗ばかりだった。見た目の、「ぱっとしない」取引の小ささが、むしろ繋がりの強さの裏返しだった、ということなら、話は難しくない。実際、スグルは掘りに掘ったすえ、ほとんどの取引先が「シベリア・セキュリティ」用の、それも幹部用のホットラインを持っていることまでは、確認していた。その幹部たちの共通の敵を探して、スグルはイヴァンにたどり着き、リュカは手っ取り早く、情報屋を「シメ」て怪しい動きを追ったというわけだった。

スグルはぼそりと呟いた。
「チェンは…知ってたな」
「勘付いてるのと知ってるのは、ちょっと違うわよ」
「知ってた」
「あのコには、あのコの事情があるんじゃないの」
「《マスター》も知ってた」
「《マスター》にだって、《マスター》の事情があるのよ」

スグルは、キーボードに載せていた手を下ろして、デスクの端に手首を休め、指を組んだ。
「君にも君の、事情がある」

「…。すっちゃんには、すっちゃんの、ね…? やぁね、人間不信?」
リュカはスグルに、思わせぶりな笑みを向けた。
「みんな、悪いようにはしないわよ。やっとたどり着いたって言ってもいいくらい、ここは居心地がいいし、自分に合った、いい仕事ができる」
「…君は? どうするの?」
「どうもしないわ。ここで『仕事』しないだけ。今回は、けど、『ドロン』もありね…帰省しようと思ってるの」
「帰省…? 横浜? それとも、ハンガリー?」
リュカは肩を竦めた。
「さあ。どっちでもいいけど、《マスター》とチェンを見習って、ハンガリーのほうかしらね」

「つまり、自己都合で手を引いて、静観する?」
「そうね。とばっちりは、ごめんだもの。子だくさんの家庭にはよくある話なのよ。息子が五人もいれば、一人くらいはドラ息子やバカ息子が出る。でもね、外から理詰めでああだこうだ言っても、こればっかりは、ダメ。家族愛ってのはどうにも、ややこしいのよねぇ」

リュカは椅子をゆらゆらと回転させて、しばらく考える様子を見せてから、話し出す風情のないスグルに、尋ねた。
「すっちゃんは?」
「まだ、決めてないけど…正直、お家騒動はもう、懲り懲りだな」
「ま、そうでしょうねぇ…」

沈黙が流れた。

「ハンガリーか…帰省中の、仕事は?」
「んー…決めてないわ。ま、仕事なんて、どこにでも転がってるわよ。困ってる人っていうのは、どの土地にもいるものよ」
「そう…」
リュカはスグルの複雑そうな表情を覗いて、話を続けた。
「すっちゃんだって、休みってだけなら、空いたところに他の用事が入っておしまい、でしょ?」
「君には、『休みってだけ』?」
スグルの質問に、リュカは椅子に腕を掛けていた姿勢のまま、足だけ組み替えて、答えた。
「ええ、まあ…アタシだって全然、義理がないわけじゃないけど…ここに来てるのは《マスター》の紹介で、アタシが直接《カイシャ》に繋がってるわけじゃないし…どこでだってそうだけど、アタシは選べない仕事が来るような危なっかしい働きかたは、しないのよ。仕事が嫌なら断るし、職場が嫌なら辞めるし、仕事がなければ、別の仕事先を探す」
「……」
「ね、すっちゃん…見極めは、大事よ。気に入った職場には友好的であるべきだけど、それでもね、関わり過ぎは、よくないわ」

スグルは、わかっている、という顔を作った。
「そうだね」
「そうよ」
「もちろん、そうだ」
「もちろん、そうよ」
二人は曖昧に、目を逸らした。並んだ左下の、検知用のディスプレイが、通知と共にログを吐いて、文字と数字がきらきらと、黒い画面を流れ落ちて行った。

この、ひと月…スグルは、津波のようにディスプレイを駆け抜けて行った大量の情報の、おそらく、ある終端にいた。スグルは意を決し、椅子を回してリュカの方へ体を向けた。

「リュカ。…じゃあ、帰省のついでに、ちょっと調べてみて、もしあれば、持って帰って欲しいものがあるんだけど…」
「あら」
リュカは片眉を上げて、姿勢を立て直し、腕を組んだ。

「ま。しおらしいのね。もちろん、お値段によるわ。高すぎるものも、安すぎるものも、お断りよ」

スグルは首を振った。
「君はふっかけたりしない。言い値でいいよ。経費と、仕事のレベルで決めて欲しい。といっても、たぶん危険はない。危険だったらやめてもいいし、見つからなかったら切り上げてきてもいい」
「ふうん…? 『面白そう』はアタシにはゴーサインにはならないわよ。まあいいわ、詳しいことは《契約》で聞くわ。なに?」

スグルは、浅く、ひと呼吸してから、リュカに向かって言った。

「宝箱、かな。恐竜時代のね。もうなんの価値もないんだけど、僕には、途方もない価値がある」




>次回予告_19.スグル

「ほんとだ。体が冷たい…ねえスグル、風邪を、引いてしまうよ」

》》》》op / ed


今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。