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砂漠、薔薇、硝子、楽園、 (16)

feat.松尾友雪 》》》詳細 序文

》》》15.
「想像するのは君の自由だ」

>16.スグル_

「けっこん?!」
リュカは目を皿のようにしてチェンと《マスター》を見比べてみせた。

「…まあ、…見た感じ、たしかに、…ちょーっと早いんじゃないかしらってだけの、普通のカップルに見えなくもないわよね。見た感じだけならね? 中身を知ってると、すごく、すごくすごく、違和感あるけど…」
「そうだね…。二人とも、見た目だけは、《普通》だからね。見た目だけなら、年齢も近いし…」

《マスター》は30手前くらいに見えて38歳だし、チェンは20代半ばは過ぎているように見えて21歳、ふたりとも、CMのエキストラのように、良くも悪くも人目に止まらないほど、目立たない外見だ。しかし事実として、片方は「いかに殺さずに苦しめるか」に研鑽を重ねた名物尋問官、もう片方は、人間兵器といっても過言でない名物戦闘員なのだった。

「『どうやって』なんて訊くもんじゃないわよ。恐ろしくて、一緒に働けなくなっちゃうわ」
以前、スグルがリュカに《マスター》の技術を尋ねた時のこと、リュカは、身震いの仕草で答えた。
「つまり、君は知ってる」
「…アタシが、…」
リュカはスグルに手招きをし、近づいたスグルの耳元で、声を潜めて続けた。
「…《マスター》に納入した『獲物』がね、次の週、壺に詰められてたことがあった。腕と脚が、針金で束ねて横に立てかけてあって、壺から声が聞こえた。何を言ってるか、わからなかった。壺の上に載せられた箱にね、洗われた歯がたくさん、入ってたわ」
「……」
リュカは、スグルの背中を叩いた。
「…なーんてね。訊かれたらそう答えろって、言われてんのよぅ。よくもまあそんなこと、思いつくわよねぇ、おお、怖」

つまり、「シベリアセキュリティの《喫茶店主》」といえば、「生きたまま会わされたら、なるべく早く死ね」という訓話がまことしやかに囁かれるような、「人間をやめた尋問官」なのだが、その具体的なところはなぜか、怪談話のような噂が連綿と転がっているばかりで、明らかでない。

少なくとも、《業界》のそこかしこにいるという雇い主たちが結果に満足しているらしいのは確かだったし、根拠を知る生存者がいないのもまた、確かなことではあった。そして、外で誰が何を言っていても、「喫茶パノラマ」での《マスター》の仕事自体は案件を持ってくること、それから、必要に応じて「シベリア・セキュリティ」社のリソースを調整して拝借すること、だけ、だった。スグルは結局、《マスター》の「本職」について尋ねることは二度となかったし、リュカも決して、話すことはなかった。

いっぽうチェンはチェンで、技術面でも性格面でも素性面でも、業界で知られていないのは顔と普段使いのIDだけ、という、奇跡の「有名人」だった。父系の親戚は皆「芸能一族」で、爆発物処理から闇医者、資金洗浄、隠れ家斡旋まで、「業界」での仕事に欠かせない、何かしらの「プロ」だ。しかも、チェンの場合はこの一族の「大チェン」…今でこそ「福博楼」を含めたいくつかの中華料理店を営む「一般人」として静かに暮らしているが、アーリーリタイアを決め込む前は右に出る者のない殺し屋であり、殺し屋養成家だった…「超大物」の愛娘であるばかりでなく、母が《ヂェードゥシカ》の四女、いまも現役で物流部門を統括している《シベリア・セキュリティのサーシャ》、アレクサンドラ嬢ときていた。

幼少から「英才教育」を受け、早々に「社交界」入りして「業界」を沸かせた、チェンはいわば「才能に恵まれた令嬢」だった。もっとも、本人は「社交界」での権力争いには興味がなく、「夜会」にもドレスの下に暗器を仕込む愉しみと、《サーシャ》と《ヂェードゥシカ》とを守る目的でしか、出ていないようではあったが…。

スグルは並んだ二人の後ろに、二人が引きずっている、そしてたぶん、そのせいで二人が惹かれあっている、黒く深い影を探そうとした。しかし、目の前の二人を見えるとおりに見る限り、特殊な趣味も特殊な技能も、血染めの経歴も、思わせるような雰囲気はなく…目の濁りさえない…まあまあ幸せで、少しだけ、つまらなさそうな、これから居酒屋で気心の知れた友人と過ごそうとしている、個性のない若者二人が、映っていた。

「…でさ、あんまり暇だからって俺たち、ふたりでオークションの目玉品、盗んだんだよね。そこで俺ってば、最後の最後でうっかり捕まっちゃって」
卓に並んだ、華やかな祝い料理に箸もつけずに、《マスター》とチェンは話に花を咲かせていた。

マスターの肩に寄りかかって、チェンはVサインをした。
「チェンが助けたの。囚われのお姫様を助ける、王子様みたいに!」
「この際、吊り橋効果でもなんでもいいよ。こんなことあるんだなってくらい、ときめいたんだよなぁ」
「《マスター》はね、もう少しで溶鉱炉に放り込まれるところだったんだよ。チェンはね、チェンはね、こっちの工場か、あっちの工場か、イチかバチかで選ばなきゃいけなくてね。チェンも、ときめいたぁ」
「で? 要するに…そんな状況になるまで、お互いの気持ちに気付いていなかった、と…。あるわよねぇ。背中、預けてるとむしろ、案外そっちに行かないのよね。あるある、あるのよねぇ」
春巻を頬張りながら感慨深げに頷くリュカの隣で、スグルはそれらしい事件を調べてみた…それらしい事件…は、調べるうちに入らないほど、簡単に見つかった。
「わ、…もしかして、これ? 『“錯乱する女”、匿名で返却』…? 盗品オークション狙ったの? 酔狂にもほどがある」

「小品だけど傑作なんだよ。対になる“惑溺する男"が、牢獄みたいな展示室に残されてるのが心底、気の毒でね、ずーっとずーっと、ずーっと、気にして追いかけてたんだ」
「ねー、義賊みたいだったよね。というか、義賊だもんね。悪い人いっぱいいなくなったし」

「そうそう。蓋を開けてみると、問題は絵じゃなくてね、絵とセットになってる額縁に埋め込まれた、謎のリストだったんだよね。古典的名画に仕込み額縁ってのも、芸術ファンとしては痺れたけど、とりあえず『やられる前にやれ』式でなにもかも有耶無耶にしてから、チェンに調べてもらったらさ、そりゃあ本気でヤりに来たって、勘違いされるほどの内容だったわけ」
「チェンの『親戚』に見てもらったんだけどね、どこかの悪い組織の、顧客の偽名口座一覧だったの! 分析料おまけしてもらえたし、お客さんも増えたし、お金もたくさん手に入ったし、《オジーチャン》にも、とっても褒められた。えへへー」

スグルは、北欧の中堅武器カルテルが一夜にして壊滅したという「業界」掲示板を見つけて、画面をそっと、リュカのほうに向けた。リュカは横目でちらりと見て、口笛を吹いた。

リュカとスグルはもう、なにも言わなかった。ただ、ふたりの土産話に耳を傾け、二人を祝福した。これが駆け落ちの相談ではなく、「大チェン」公認の吉報であることは、料理から一目瞭然だった。「福博楼」の親爺は腕によりをかけて、ご馳走を出してくれていた。事情を共有した一同は、親爺のとっておきだという古酒を皆で回し飲んで、乾杯した。

「とはいえ、今日のこれが仕事じゃないなら、アタシたちも当面の自分の仕事、探さないとねぇ」

酒席をふと通過した沈黙を捉えて、リュカが呟いた。スグルも、肘をついて酒杯を持った手で、酒杯ごと《マスター》を指差した。
「というより、一応、契約で体を空けてあるんだから、みんなでする仕事は、探してもらわないと困るよ。我儘を言うと安全第一の、ほどほどに小さな仕事がいいな」

チェンが、《マスター》に視線を送った。《マスター》は気まずそうに、顎に手をやった。
「その話なんだけど」
スグルとリュカは《マスター》の表情を見てから、互いを見合わせ、それからまた、《マスター》のほうへ顔を向けた。
「俺たち一瞬、世界周遊してくるから、半年から1年くらいのスパンでなら、他の仕事の専属、しててもいいよ」
「あら」
「…」
リュカとスグルにチェンは、両手で円を形作って、照れ笑いした。
「ハネムーンなのだぁ」
「…今日は、予定にないことばかりだね…」
眉を曇らせたスグルを見たリュカは、スグルの盃に酒を注ぎ、自分は盃をあおって空けてから注ぎ足して、静かに酒瓶を置いた。
「あら、そう? アタシは…結婚て聞いたときから、予想はしてたわよ。けど、…いいの? 戻ってくるのね? 足を洗うわけじゃ、ないのねぇ」

《マスター》はリュカの言葉を、苦笑して受け止めた。
「リュカはすぐ、そういう…わかってんだろ、洗ったくらいじゃもう、何の汚れも落ちないさ。俺らみたいなのはどのみち、天国なんて今度は退屈で死んじまう。せいぜい、一緒に地獄に行きそうな奴らと、仲良くしておかないと」
「んんん、《マスター》、可愛い」
チェンはもたれかかって盃を鳴らして、《マスター》と小さく乾杯をし、《マスター》は盃を飲み干して、上機嫌そうに肩を竦めてみせた。
「恋は盲目、ってね」

スグルもリュカも、しばらくは二人を見つめていた。やがて、沈黙に耐えきれなくなって睨めっこの真似をし始めたチェンを、リュカはしばらく鬼瓦のような顔を作って受けて立っていたが、ふと、真顔に戻って、切なげな声音で言った。
「ね…こんな稼業だもの、ハネムーン中でも困ったことがあれば、すぐ言うのよ」

チェンは、親指を立てた。
「ありがとリュカ。たぶん大丈夫」
「俺ら、プロだから」
「プロだから!」
「…捕まったんだろ」
スグルの一言に、《マスター》は口外禁止の仕草をしてから、不敵な笑みを返した。
「いいんだよ。生き延びたうえ、チェンを捕まえたんだ、なにもかもチャラだよ。『死ぬこと以外はかすり傷』っていうだろ。安い安い」
「《マスター》はチェンが守るから大丈夫だもん。ベー、だ」
「大丈夫だもんベー、で済むなら、こんなに難しい顔してないよ。僕は溶鉱炉に放り込まれるかもしれない恐怖なんて、絶対に味わいたくない」
「そうねぇ。それについては完全に、すっちゃんに同意ね。危機一髪なんて最低の最低の最低。安全第一よ」
「面白くなぁぁい! 興奮しなぁぁぁい! 却下! 却下!」
「ま。お黙りなさい。安全第一よ。絶っ対に、譲らないんだから」

《マスター》はやり取りを続ける皆の杯に、穏やかな表情で、黙って古酒を注いでまわり、瓶底を軽く鳴らして、おもむろに手をあげた。

「まあまあ。まあまあ君たち。って、まず俺なんだけどね、よもやま話も、そこそこにして…」
「…?」
はてな顔をしたのは、リュカとスグルだけだった。チェンは、あからさまに目を逸らし、揚団子をふたつ、口いっぱいに詰め込んで、お多福のようになった自分の顔を、壁の鏡面に映して眺め始めた。

「一応、大人ぶって真面目な話、していい? …実は、《カイシャ》がちょっと、…危ないみたいなんだよね。とくにスグルは縁が深いわりに、後ろ盾が薄いだろ。仕事以外に考えるところが、多いんじゃないかと思ってさ。…や、ま、『ちょっと』っていう程度ではあるし、もちろん、みんなもうちゃんとした大人なんだから、うん、心配してるわけじゃ、ないけどね?」
「…」
チェンが見せつけてくるお多福を無視して黙りこくるスグルの隣で、リュカは、盃をひと撫でしてぼそりと、呟いた。

「あら。今日の本題は、そっち…?」





>次回予告_17.ニキ

「ニキ。君は、夢でしか、泣かないの?」

》》》》op / ed

今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。