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物語る人々のための修辞法②比喩 1)比喩とその周辺

※筆者勉強中につき、専門事象に昏い可能性があります。「ああ、これも『書き方』のパターンだなぁ」くらいの、やんわりしたお付き合いでどうぞ、お願いします…文例は、練習の意味もあり、全部自前です。皆さまもどうぞ実地訓練ください!
(バックナンバーは、こちらから。第一章は、きっとあなたもその魅力の虜になるはず、「黙説」…♡)

第二章、比喩に入ります。

ひと口に比喩と言ったところで、一周するにも億劫なほど形式があるため駆け足になりますが、書き手にとってどのあたりに楽しみがあるのか、という視点は相変わらず保ちつつ、今回は比喩及びその周辺にどんな手法があるのか、まるっと、ぐるっと、まずは一周しましょう。
※あっ…!後ろの数学記号は、特に独自の理解です。ので、公式のテスト、論文等では、書かないでくださいね!

初めに、例えるもの・例えられるものについて、明確な提示がある表現:

直喩 (A≒B)
「ような」「ごとくに」「にも似て」などの添え言葉により、例えであることが明示されている。(蝙蝠のような老紳士)

隠喩 (A≒B)
直喩と違って例えであることは明示的でないものの、例えられるものと例えるものは直喩同様、明示されている。(我が家の小さな電車博士)

直球〜。この2つはさすがに、大丈夫ですね…文学的価値はともあれ、はっきりと分けて例文を作れるレベルです。無論、後続記事により、とはいえ決して単純なものではないことは、詳かにしたい次第ですが、初回の定義としてはこれくらい分けてあれば、良いでしょう。

ちなみに、コンニチ話法における直喩の例:

聴こえない、あまりにも美しい音楽を、体だけが感じて歓喜に打たれているような、感覚だった。ミナガワの優しさに連れられて、いちばん高いところまで上りつめた鈴香は、離れそうになるミナガワの指先を追いかけるように、切なく小さな嬌声を漏らして…その、自分の声の向こう側に、鈴香はときおり、せせらぎのような水音を聞いた。戸惑う鈴香に、ミナガワは気にしないでいいと言った、…全部、出したらきっと、すごくすっきりするよ。ね、気持ちいいね…? …ああ。…鈴香…。

春を謳う鯨㉘

そして、コンニチ話法における隠喩の例:

啓志郎は啓志郎で、浮き輪なんですよね、溺れた時だけ、あるいは浮かんでいたい時だけ、あればいい。ないと命を落とす危険だってありますが、陸でまで持ち歩く必要は、ないんです。

ないんです。

凪はこんな人(だと思う)

はい。これらの、修辞としての構造的な塩梅については、追い追い。しかしこの調子で、初回は浅く広くを目指し、他も見ていきます…
 
次に、例えられる側の事象が、別の(字義的な)意味がある言葉によって代用される表現:

提喩 a∽A
部分で全体、または全体で部分の代用をする。(お茶の時間だ)

換喩 A≡ A'
隣接、近接、連想される言葉で代用する。(厨二病)

転喩 An = An ± 1
先行もしくは後続する事象で代用する。(首を洗って待っておけ)

諷喩(寓喩)(A≒)A’
例えられるものには触れず、例えるものによって暗示する。
(こんな話を知っているかい?[中略]…結局、妖精は二度と現れなかった)

この辺りは…『砂漠、薔薇、硝子、楽園、 』で多用したものの、長すぎてここでは引用しにくい、諷喩…を除き、自作例を探しましたが、あんまり見つかりません、勉強しながら使い道を考えましょうかね…。

なお、同じ代用系としては、「擬える」というグループもあります:

擬人
人でないものを人になぞらえる。
(木の葉が突風に踊った)

擬物
物でないものを物になぞらえる。
(固い決意)

擬音
音を字句で模倣する。
(みょんみょんみょん…おやおや、何の音でしょう…)

擬態
様子を音声化し、字句でその音声を模倣する。
(ぷんぷん!)

このナゾラエグループは、モノ(コト)とモノ(コト)を比較して結びつける、定義に沿った比喩表現ではなく…通常想定される副詞・用言を敢えて使わないことにより、比喩対象の様子を別の角度から表そうと試みるグループ、と言えるでしょう。難しいのは、「かんかんに怒る」と「烈火の如くに怒る」を見比べるとすぐに分かるように、擬える前提になる比喩(火)が存在する場合に、果たしてこれは修辞法としてなんなのか?と言うことですが、修辞上は一応、「かんかんに」は擬態、「烈火の如くに」は直喩となります。

以上。

だいたい、教科書に載っている比喩表現でした。

えっ終わり? さっぱりすぎくね?

まさか。もちろんですとも。教科書にはこれくらいまでしか載ってないからと言って、ここまでで学習したつもりになってはいけません。まあ、書き手さんだったらこれくらいならオチャノコサイサイ、ちょっと意識すれば使いこなせるわけで、こんにちは世界のディープでギークな愛読者様連が、これで満足できるはずがない(ですよね?)ことは、世界だって百も承知です。はい…

最果ての地こそが、本当の冒険の出発点。

ね。コンニチワールドの最果ては、まだまだ先です。比喩なる修辞法とは如何なるものか? を、大人になった今更にですよ、さらに考え抜くためには、辺縁の修辞法も十分に、押さえておきたいものです。

…「かんかんに」のくだりで、ヒヤッとしたかたは?

いますよね、そうです、言語は薄氷、うっかり乱暴に踏み出すと、沈んで出てこれなくなりますよ…つまり、比喩という表現技法の本体として、言語表現として可能にする、心のありようというものがあり、それは形式の奥、認識の領野にある…これは直喩・これは擬態語・といった形式は、あくまで、表出に過ぎないわけです。

それを意識して、常にヒヤヒヤしながら、教科書を片手に辺縁を歩き回り、ヒヤヒヤがやがてゾクゾクになり、ブルブルになり、ついにはキンキンになり、最後にはもはや絶対零度の静謐しかなく…と、その極北的思考成果を以て、ようやく上述のごときスタメン表現に立ち返る、その時こそ、教科書上は形骸化しているように見えなくもないこれらスタメン表現の、真の姿を見られる…はず、と信じ、以下、進みましょう…。

うーん、どこから。うーん…

そもそもから攻めていきましょうか。

そもそも、比喩というのは転義…語が、語として定義する対象以外のものを指示して、その語が使用される、という現象です。それが成り立つのは、類比・近似・隣接関係によることが多い。よって、類比・近似・隣接関係による転義表現を、比喩として括るのは、まあ妥当な話です。

しかしながら皆さん、私たちが書き手としての手を実際に動かしてゆくにあたり、上記以外にも「異なる物事を関連づける」ことで成り立っている修辞法って、次に見る通り、色々あるんですね。

以下は比喩ではないものの、転義ではある、表現の一群です…

象徴
具体的なものに抽象的な意味を込める。反復性、再現性が必要な点に注意します。(各種仮説・理論における《赤の女王》:「同じ場所にとどまるためには、絶えず全力で走っていなければならない」現象の象徴。)

引用符
えっこれも? ええ、転義という意味では、その範疇に入ります。コンニチワールドは引用符が大好きです…「いわゆる…ってやつさ(チョキチョキ"")」というアメリカンドラマ的な(?)差異化の用法はもちろんですが、もう少し手の込んだものも、コンニチ話法ではよく見られます。例えば:

須田寛太郎は1978年に「死んだ」。

これと、

須田菅太郎は1978年に死んだ。

もう、全然意味が違いますよね。しかも上のこれ、文脈がないと解釈できませんよね? 極論、「死んだ」という単語がなにを意味するのかさえ、わからないわけです。挑発的です!し、

ややこしい。

という…このあたりで、(この筆の進みようでは、いつになるか分かったものではありませんが、)引用符は次節以降に扱うこととし、ここでは紹介に留めます。

引き続いて、構造的にやや複雑な転義も見ていきましょう…

多段転義
段階性のある転義、すなわち、「二段階以上に渡り、比喩等による語義の恣意的転用を行う言語表現」の意になります。

直近のこんにちは世界作品『砂漠、薔薇、硝子、楽園、 』では、多段転義の試みが広範に亘って存在します。例えば犯罪者たちの《業界》に於いて、《大手芸能事務所》の《注目の新人》というと、犯罪者同士の契約を代行する有力シンジケートがとうとう連絡先を掴んだ、若手スナイパーだったりするかもしれません。一回築きあげると、こういうのは自動生成的に世界を形作ってくれます。即席で、この《業界》用語を利用し、《複合商業ビル》(闇ポータル)に入っている《テナント》を考えてみましょう…《修理店》《エステサロン》《セレクトショップ》《フォトスタジオ》《雑貨屋》《金券ショップ》《学習塾》《カフェ》《旅行代理店》《300均》…なんか違って見えてくるでしょう、ね。(妄想万歳!)

見立て
これは、多段転義の一種と思われます…が、どうもそのような記載が見当たらないですね…はい、見立ては、日本では確立されている和歌の修辞法で、アナロジー(類比 A:B=C:D)を、より的を絞って使うものと言えるでしょう。
説明を試みます…見立てでは、よく似た何かにすり替えて、形容したい現象系を、すり替えた何かのほうの現象系の摂理によって説明します(桜吹雪)。

構造体同士の体系的な類比性の提示という意味では、見立ては諷喩と同系なんですが、諷喩に比べ、メタ視点(寓意を示すアクター、すなわち語り手の存在)や語り手の恣意性(わかるかい?君は羊で、僕は狼だ。等々)が薄いのが特徴。また諷喩と違って双方の構造体を抽象化する作用が強く、構造自体が持つ性質を描写する手段として構造体が使われる傾向があります。すなわち、桜吹雪にしても、桜と雪のどちらかについて意識を高めるというよりは、どちらにもあるがどちらにも帰属はしない、抽象的な、しかしある特定の美や情感を描写するための、類比の持ち出しと言える…なるほど、1:3=2:6=3:9=…という比は、どんなに数が違っても、比率が崩れない限りは同じ比を表す式、というわけです。1:3=2:xを解かせるのが諷喩、a:3aは隠しておいて、代入形としての1:3、2:6を連ねて見せるのが見立て、ですかね…自信ないけど、だいたい合ってると願い、ここはそのままにしときます…。

(具体例としては…こちらも『砂漠、薔薇、硝子、楽園、 』…雨咲イヅルは、犯罪者たちの利益または損失を予測する《気象予報士》ですが、これが見立ての蝶番。ここから、数式を書き連ねた屋根裏部屋の《プラネタリウム》、データ収集ディスプレイの《流星群》や、その星降る夜の野宿を思わせる《窖》なる小部屋、考え事をしながら寝転んで見上げる天窓、雨咲会長の表現《得意の占星術》のように、イヅルの行為を「空を見る」「星を読む」文脈に置いて、その性質を補足しています。イヅルはまた、《トゥーランドット》(《姫》)として、犯罪集団の有力者が集う《茶会》や《晩餐会》を主催し、方々の《王国》から来る《王子》を選ぶ存在ですが、これも見立てによる一連の比喩群。規模が詩歌から小説になっているので、モチーフが強い、くらいに薄まって感じられるかもしれませんが、ええ、まさにそうなんですよ。和歌の修辞法の、小説適用形なのでした。

いいですね、だんだんコンニチワールド感が出てきました。ついでですので、ブースター、もとい、比喩に親和性の高い表現様式も見てみましょう。(←比喩を効果的に使いましょう!という話も、『比喩』の章のどこかに入れたいと思っています…)

情景
心情を感じさせる風景、あるいは、心情をとおして見た風景。心を風景に擬えるという意味ではナゾラエグループに入るといえなくもないですが、比喩関係が必ずしも正確に成り立たないため、「常に比喩的」とは言い難いです。中身のほうは「見える」風景に着目して「見えない」心を表すものですので、比喩や象徴の宝庫。だいぶ複雑怪奇なため、詳細は後ほどの記事に譲りたいと思います…。

心象風景
心のなかに生じる(必ずしも現実的な可能性を踏まえない)風景。これは、うちではよく見かける表現ですね。読むのも書くのも好きです。はい。

茅瀬が見ると、そこには必ず、茅瀬に手を差し伸べた智史がいる。茅瀬が眼差しを向ければ、そこに、茅瀬を愛おしげに見つめる智史がいる。茅瀬が指先を向ければそこには、茅瀬を求める智史の指があって、キスしたければ、茅瀬とキスしたいと思っている智史がいる。

大人の領分①茅瀬(ちせ)

このように、現実に関係なく挟んで、人間関係の説明に使ったりします。

ちなみに、心象風景に親和性が高い表現として…

叙情
感情を述べること。叙情の方法だけで別に本が書けそうな勢いですが、ここでは転義で括られる一連の修辞法との、親和性の高さを指摘するに留めます。

愛おしいなんて、照れくさい言葉、恋愛では一生使わないと思っていた。でも他に、なんと言えばいい? 慈しんで愛おしむ相手がいない、全ての不幸な人間に、この光を浴びさせてやりたいくらいだ。梨恵が、愛おしい。

大人の領分②晴人

このように縁語、比喩、反語、心象風景などなど多種多様な修辞法を一方向にがんがんに入れ込んで叙情するのが、こんにちは世界流です。

叙事
事実や事件を、ありのままに述べ記すこと。もともと、独特の感じが出る表現…

君が笑う。君が困る。君が食べる。君が眠る。君と歩く。それが、僕の毎日。

ではありますが、
これに比喩を持ち出して頑張ってみると…

テーブルが汚れたらすぐに拭く。ゴミが落ちていればすぐに拾う。窓が曇ればすぐに磨く。僕の心はいつもピカピカだよ。

このように、ある一定の効果が出ます。まあ香辛料の類になりますが、修辞法の掛け合わせパターンとして、意識しておくのもよいでしょう。

ふう。ようやく、概ね一周できました、相性の良いカテゴリとして最後に、

アフォリズム(金言警句)
これ自体は、様式やジャンルを指すものですが、様式として端的に言うのが大事ですので、意味密度の濃い、比喩とはめちゃくちゃ親和性が高いジャンルと言えます。私が好きなのは明かり系。

It is better to light a candle than curse the darkness.
暗闇を呪うよりも、ロウソクに火を灯しなさい。

(※これは、エレノア・ローズベルト)

好きすぎて、自分のお話にも混ぜ込んでます:

イヅルは、優しげに微笑んだ。
「暗闇のなかを躊躇いなく歩くのは、難しい。彼の慎重さはすなわち、彼の勇敢さではないかな」

仁綺は、困惑顔でため息をついた。
「暗くて困っているなら、まず灯りをつければいい。スグルは、気難しい」

砂漠、薔薇、硝子、楽園、 (14)

はい、内部で使われているのは諷喩ですが、外部構造としてはこれをパロディといい、日本には「本歌取り」なる修辞法も…いえ、しばらく比喩がお題ですので、それ以外の要素に深入りするのはやめときましょう、いやはや、修辞法、奥深いですね…!

ね、比喩、面白いでしょう。

いかがでしたか、比喩の大体のところ、掴めました?
日本語が、いつもと違って見えてきましたか?
もう一回、国語便覧、欲しくなりました?

知りたくなってきました?


書きたくなってきました?



次回、「直喩の諸相」、

ヒントは…形式差異、と、対象規模の識別。
お楽しみに!





☆番宣☆
ロングテールに親しまれている、イチオシの人気シリーズです。書き手様向けのヒントは過積載。読み手様にも、読みの指南書として。繰り返し読んでもなお毎回何かしらの発見がある、いまどき珍しい読み応え。の、はず。



今日は明日、昨日になります。 パンではなく薔薇をたべます。 血ではなく、蜜をささげます。