許すという事
許すという行為について考えさせられました。
苫米地先生の『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』に、こんなくだりがありました。
少し長いけれど引用します。
理不尽な出来事に遭遇したときに、「なんの責任もないのに自分だけひどい目に遭った」と相手を責めるだけの人は「自分中心な人」、いわゆる「自己チューな人」です。自分中心な人は、同じ出来事を前にしても、自分中心ではない人よりも心の傷が深くなります。そして、その心の傷に長くとらわれてしまうことになります。
例として、職場でいつもお世話になっている先輩が自分に頼み事をしてきたとき、自分もタスクでいっぱいいっぱいで他の人に頼むよう先輩に言ったところ、「俺だっていつも手伝ってやっているのに」とブチギレられトラウマになるほどショックを受けるという場面。
その反応として、1)「こっちの状況考えろ」と相手を責める、2)「先輩もイライラしてるんだな。自分も手伝ってもらう事あるしお互い様だな。」と客観的に状況を見る、の二つが考えられる、と。
前者のように「自分には責任がない」と考える場合、先輩との関係がギクシャクするのは必至です。一方、後者のように「自分にも責任がある」と考える場合、先輩にキレられたショックを引きずる可能性はかなり低くなります
相手のせいにする方が心の傷が深く長く残るのか。そうなの?
だって、自分の過失と認めた方がグサッとくる気がしませんか?
なので、脳科学的に見ると逆なんだと目から鱗が落ちました。
もう十年弱も前に男女関係で、男に騙され散々な目に遭った時に話を聞いて頂いた人生の先輩の言葉が去来しました。
相手が悪い、相手のせいでこんな事に…と思ってるうちは立ち直れないんだよ。
祈って行く中で、自分だな…って素直に思えたら、果てにはそんな相手にすら感謝できるようになったら勝ちです。それまでは苦しいけれど、祈って、自分で乗り越えるしかない。私も他の人も、応援はできるけど、乗り越えるのはひろみちゃんしかいない。
同じだ!と。
当時、本当にくそみたいな男に騙されて死ぬように辛かった中で、相手のせいにして怒りの感情に捕らわれている間は確かに前に進めないんだと思った記憶があります。
許してあげないと、と。
そして、私も悪かったんだと素直に思えた時、また1年後あの経験のお陰で自分は大きく成長できたとふと実感した時、私は過去の出来事から心から解放され新たな一歩、大きな一歩を踏み出せたと思います。
しかし10年ぶりにお姉ちゃんからのメッセージを遡って見て、今でも本当に心に響きます。今現在の自分の状況にもドンピシャ。
本当にすごい大好きだったお姉ちゃん!何てありがたい繋がり。
「許す」は罪を赦免するという意味ではなく、固くこんがらがった糸を「緩める」ということ
source: http://nijinogakko.jugem.jp/?eid=1014
だそうです。
許すことで、自分の心の中にピンと張った糸が緩められるのでしょうか。何となくわかる感覚です。
自分への救済ですね。
でも、すごく難しいと思います。他人のせいにする方がずっと楽だし。
私は悪くないと思っていたい。
しかしそうしていたら、一生成長できないかもしれない。
毎回何か起こる度に、同じところで立ち止まる。同じように人のせいにして、同じように怒り、何も変わらない。
許せん!という場面や、傷ついた場面で、それを自らを省みるタネにする事で人間として成長できるし、前に進めるんだなと。
だから、その渦中では精神的にはより大きな苦しみだけれど、早く傷も癒えるし益々強く大きな自分になっていけるんだろうと思います。
自分を真っ直ぐ見つめられて、自分の悪いところを認められる人は大人だと思います。
そして、言い訳しない人は爽やかでカッコいい。私もそうありたい。
どうせ同じ経験するなら、やっぱり成長したいですわ。傷をずっとずっと残したくもないし・・
腹なんて常に立っているけれど、大人になろう自分。
どんな事だって私にも因はある。100%他の所為なんて事はない。
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