知恵とお金と足を使おう
「知恵を使いなさい。
知恵がなかったらお金を使いなさい。
お金がなかったら足を使いなさい。
それでも駄目だったら、ああたならどうする?」
ただいま読んでいる、山本文緒の「あなたには帰る家がある」から抜粋したセリフである。
山本文緒の作品をほぼぜんぶ読破しているわたしの中で、さいきんドラマ化されていたこの「あなたには帰る家がある」は唯一読んでいなかったものだった。
だって、もう、こわいじゃないか、タイトル的に。
いや彼女の作品はどれも満遍なくこわい、だけどそれが大好きで沼にハマるのだけれど、こうもタイトルがあまりにこわいと逆に手が出せなくなる。
そんな中で新作の「自転しながら公転する」を読んで、ひさしぶりに山本文緒作品に、というか小説欲に火がついた。
「あなたには帰る家がある」。
1994年という、わたしより早く生まれたこの作品。
2組の夫婦子持ちがからみあっていく。
こわごわと、わくわく。ページをめくる手が止まらないなかで、目を留めたのがこのセリフだった。
「知恵を使いなさい。
知恵がなかったらお金を使いなさい。
お金がなかったら足を使いなさい。
それでも駄目だったら、ああたならどうする?」
保険会社のセールスレディとして働くことにした、1歳の子どもをもつ真弓。
仕事がしたい、と主婦から脱けだし、セールスレディとしてペアを組んだ年上の女の先輩に教えられた一言。
成績のためなら嘘も方便、とばかりに、このあと彼女はささいな嘘で同情をひいて、自力で一件仕事を獲得する。
女の先輩は彼女に、「自分の得意先をいくつか譲ってあげるから、とにかく行ってみなさい」と諭す。
「この仕事は数字あげてなんぼよ。
いくら真面目に努力しても、契約取れない人はお金にならないわよ」
「数字が全て。手段はどうでもいい」
成績をだすには知恵が必要だ。
だけどその知恵がなかったらどうする?
お金がすべてを解決してくれるとは限らない。
だけど、お金によって得られることがあるのは確かだ。
そのお金がなかったらどうする?
ひたすら自分で探して見つけていくしかない。
「自分」を使うしかない。
自分の足で、地道に自力でひらいていくしかないのだ。
わたしは歩くことが好きだ。
がんがん歩き、その道で見つけるさまざまなお店に出会うことが好きだ。
電車賃200円を払って目的地にすぐいけるより、途中でみつけた美味しそうな食べ物に2000円を払って2時間かけてついたほうが、私にとって価値のある時間とお金の使い方なのだ。
自分の足で、知るということ。
いくつになっても、続けていきたいと思う。
そして、仕事への関わりとして大事なことだな、と改めて思う。
知恵があれば早い。すぐ解決だ。
だけど知恵がなかったらお金を使おう。知恵の次に、時間のかからない解決方法なのではないだろうか。
いちばん時間がかかるのは、足だ。
知恵もお金もなかったら、足を使うしかない。
時間をかけるしかないのだ。
自分の足で、歩き回るほかない。
スニーカーを履いて、時には9センチのヒールを履いていこう。