子育てに可哀想と言ってくる人の気持ちを考えてみた
育児をしていて、たまに人から掛けられて心にしこりが残る言葉がある。
可哀想、だ。
子どもが生まれれば、かわいそうと言われる機会が増えると出産前に見たことがあった。
だけれど、そんなパワーワードを相手に言う人がいるなんて正直信じられず、半分冗談くらいにしか捉えていなかった。
しかし、噂は本当だった。
それも、びっくりするほど身近にあふれている。
「薄着でかわいそう」
「(抱っこひもで抱っこしている状態に)こんな窮屈でかわいそう」
「ミルクは母乳と違って冷めるからかわいそう」
など、想像以上にバリエーション豊富に。
上記は実際に私がかけられた言葉だが、
かわいそうと言うのは、母親、義祖母、見ず知らずのおばあさん…
そう、決まって年上の女性だった。
胸に突き刺さる言葉
親になってより一層実感したが、かわいそうという言葉はナイフのように鋭く刺さる。
「あなたのやり方は間違っている」
「なんでもっと子どもを大切に扱ってあげないの?」
「悪い母親ね」
と自分の育児を全否定されているように聞こえるのだ。
なぜその言葉を使うのか
表情を見る限りそれほど悪気はなさそうな人が多いが、あまりにモヤモヤして、言う側の気持ちを考えてみたことがある。
例えば、薄着でかわいそうの場合、心の声としては、「なんで今の季節に半袖なの?若いお母さんは何もわかっていないのね。もっと着せないと風邪引いちゃう。私が子育てしてた頃はもっと厚着させていたものよ。」というところだろうか。
思ったとしても黙っておけばいいところをあえて口に出すのは、少なくとも相手に気づかせて行動を変えさせたい、批判したい、無知な育児初心者に教えてあげたい、とだいたいこのような思いからだろう。
そして、その根っこにあるのは、多くの場合、「この親は間違っている」という気持ちだと思う。
なぜ間違っていると思うのか?
なぜかわいそうという言葉を使う女性が、育児初心者を見て間違っていると感じるのか。それは、実際に自分が子どもを生み育てた経験があるからだろう。
昔の時代に子どもを育ててきた大先輩だという自負が、自分の時代とは違う育児を見た時などに違和感を感じ、かわいそうと口走るのではないだろうか。
実際、先輩たちの時代は現代のよりも不便で、夫や社会からのサポートも今より少ない中で子育てを行っていた。(今よりもご近所や家族との結束が強かったのかもしれないが。)もちろん学ぶべき部分、尊敬する部分は数多くある。
だが、昔の育児が今の育児にすべて当てはまるかといえば、そうでもないのだ。
たとえば、昔は室内で靴下をはかせていても、今では素足で良いとなっている。薄着問題では、家自体の気密性・断熱性が上がっているので、着る服の薄さも変わってきている。
育児の常識はどんどん更新されていっているため、言う側は正しいと思っていても今の考え方とは異なることが多いのだ。
自分自身が年を取った時に、決して言わないか?
では、いつかは自分も「かわいそう」と若い親たちに言う日が来るのだろうか。
今はもちろん、言うはずがないと思っている。
しかし、たとえば、時代が変わって家の気密性がもっと上がって、家では赤ちゃんをオムツ一枚で過ごさせる日がもし来たとしよう。現実味のない極端な話だが、もしかしたら、わたしはその時、かわいそうと口走ってしまうのかもしれない。自分自身の経験がもとになって「育児とはこんなもの」という捉えができあがって、何十年も年を重ねると、新しいことを受け入れるのは意識していないとそう容易ではないのだろう。
だから、わたしがこの先年齢を重ねて、子や孫の育児を手伝うとき、また今とは違っているであろう育児の常識をちゃんと勉強しよう、わたしと考え方が違ったとして出来る限り尊重しよう、と思っている。
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