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死にたいが止まらない

私にはずっと昔から死にたいがあった。何をしていても頭の片隅にある。嫌なこと、落ち込むことがあると死にたい気持ちが大きくなって、涙が溢れる。

だけど、人前で死にたいと言葉にしたことはない。死にたいなんて思ってはいけない。死にたいと思うのは頭が変なんだ。死にたいと思っていることは知られてはいけない。しんどいことから逃げて甘えているのだ。そう自分に言い聞かせてきた。

小学生のころは、家のベランダから飛び降りたら死ねるだろうか。家族が大騒ぎして心配するだろうか、少しは私が苦しんでいることに気がつくだろうか。2階のベランダなら怪我するくらいで済んでしまうだろう、、、、とよく想像していた。

中学生になると電車通学になり、次に通過する電車が来たら飛び降りようか、体はぐちゃぐちゃになるだろう。大勢の人にぐちゃぐちゃの死体を見られて、遅延するので迷惑をかけるだろう。親は多額の賠償金を払わされることになる。

飛び降りも電車と同じでぐちゃぐちゃになる。首を絞めて死ぬのが楽だろうか、それとも、誰もいない山に入って疾走しようか。溺死はしんどいと聞くけど本当かな。薬で眠るのが一番良いけど、どこで手に入るのだろうか。

大学生になるとしんどいことも、限界が来たら死ねば良いから大丈夫と言い聞かせながら耐えてきた。何も出来ない自分が大嫌いで、人生うまくいかない。死にたい、消えたい、しんどい、辛い、どうすれば良いかわからない。

最近は、トラウマの症状で体調が悪く、勉強がうまくいかない、進路決定に悩み、死にたいが止まらなくなってきた。周りの人は私の苦しみは知らないし、知られたくはないが、こんなに出来ない自分は怠けではない、しんどい中でも頑張っていると認めて欲しい。しかし、それは叶わないだろう。

生きていても仕方がない、希望がない、楽しいことがない、、、

毎日どうやって体が動いているのだろうか。私の意思は関係ない、ただ朝が来るから学校に行かなければならない。しんどくて体と心が泣き叫びながらも周りの人に知られてはいけない。

親の期待を裏切ってはいけない。出来ない私では生きていけない。こんなところでつまずいている暇はない。こんな状態であることを知られてはいけない。いっそのこと、全て放り出して逃げ出そうかとも思うが、そんな勇気は到底ない。ああ、死にたい。

毎日死にたいと思いながら、やるべきことが山積みでもう限界だ。できるはずが無いと言いたいが言えない。皆んなができていることが出来ない。皆んなが頑張ってできているのに、できないのは甘えではないか。体が壊れるのが先か、心が壊れるのが先か、それとも既に壊れているのか。

死にたいが止まらなくなったら、どうしたら良いのだろうか。本当に自殺したい訳ではない。死にたいほどしんどい状況から逃げたい、抜け出したい、助けて欲しい。しかし、それは出来ないから途方に暮れている。

ただ時間が過ぎるのを待つしかない。


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