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【旅行記】微魔女の微ミョーな旅・17

2.カンボジアー2017年 

 虐殺博物館で戦線離脱

 さて、4日目は疲れを取る間もなく、プノンペンへ移動。すっかりピーと仲良しになった夫は、最終日のランチにドライバー共々招待し、最終日のチップをはずみ、無責任にも再会を約束していた。すぐに忘れると思うが。
 ピーは30代前半で子どものいる家庭を持っている。大学を出て会社員をしていたものの、一念発起して給料の良いツアーガイドに転職したとのことだった。カンボジアのツアーガイドは免許制で、専門のコースに通って試験に合格しないとなれないのだそうだ。今はシェムリアップ限定の免許しかないが、今年からできた全国どこでもガイドができる免許も取る予定だという。全国の免許の方がハードルが高い分、仕事の範囲が広がり収入が増えるからだ。
 「プノンペンへ行ったらバックパックは必ず前に抱えて、カメラや携帯は見えないようにしてくださいね」
 白人の多い観光地で、すっかり観光ボケしていたので、餞別代りのピーの言葉に戦々恐々としながらのプノンペン入りだった。
 3日前に来たじゃん。ターミナル前に吉野家があるんだよね。
 プノンペンのツアーガイドは、ピーとは趣の違う若干のチャラ男系。バンに乗るとジョークを交えながら街の案内を始めた。
 「おお、ここがフロントパックのプノンペン!」
 とはいうものの、私たちはサファリパークでジープに乗っている観光客のようなものなので、身の危険を感じることもない。バイクも車もシェムリアップの3倍くらいの混雑で、やたらと英語塾が目につく。
 「英語ができれば仕事も見つけやすいから、お金持ちは子どもを留学させるんだよね」
 カンボジアは義務教育がまともに受けられない子どもたちがいる反面、都市部の富裕層は子どもに英語教育を受けさせ海外の学校に行かせるのだそうだ。ポル・ポト政権下でたくさんの知識層、特に教師が殺された挙げ句、内戦が終わって教師を失った子どもたちの世代が今の教師の世代になっている。“教育されていないから教育できない”。教育制度が崩壊してしまい、未だ教える側も教えられる側の環境も整備されていないそうなのだ。だから、余裕のある親は、質の良い教育を受けさせるために子どもを海外に留学させてしまう。未だに彷徨うポル・ポトの亡霊。
 そして亡霊の牙城、トゥール・スレン虐殺博物館に到着した。
 大通りの裏、普通の住宅街のなかにある普通の学校だけに尚更気味が悪い。入り口にある“NO ポケモンGO” の貼り紙に複雑な気持ちになりながら、チャラ男について館内ツアーが始まった。
 図解付きの処刑具・拷問具、被害者の顔写真、当時の部屋の写真、収容者の部屋、拷問部屋が並ぶなか、チャラ男の詳細な説明と共に牛歩で進んでいく。「こんなに一か所に時間かけないで欲しい。見なくていいものまで見ちゃうじゃん。血糊とか……」。夫は頷きながら熱心に説明を聞いている。周りにいる、なぜか多い白人観光客もオーディオガイドを借りて、熱心に聞き入っている。
 「僕、疲れたから、外にいるね」
 若干中学1年の息子にはヘビーだったのかもしれない。
 校庭の大きな木の下のベンチにぽつんと座る息子の姿を確認し、私も戦線離脱することにした。ただ、今回のツアーのハイライトでもあったので、取り敢えずは全部見たい。3階建ての校舎を興味のある部分はしっかりと見ながら、展示室になっている部分は一応全部見て歩く。コンクリートがむき出しになった階段の踊り場で一人になると、背筋に悪寒が走るような気がするので、被害者への成仏とお引き取りの願いを込めて、ひたすら般若心経の覚えている部分だけを繰り返していた。
 「お経を唱えながら早足で見てきたよ。日本語わからないと思うけど」 
 息子の隣りに腰かけながら、水を飲んで一息つく。校庭の向こう側に、ほかの白人グループと混ざって夫の姿が見える。
 「ママが見るに堪えなかったのは、要するに、ママもアジア人だからかな」
 そう思うと、夫を含めた白人グループが、妙に冷静に展示を見ていられるのが納得できる。カメラ目線のカンボジア人被害者の恐怖をたたえた目、血だらけで横たわったカンボジア人の死体。同じアジア人だから、彼らの恐怖も絶望もダイレクトに伝わってきてしまうのか。DNAレベルでの嫌悪感とでもいうのだろうか。ならば逆にアウシュビッツへ行ったら、アジア人の私は平然としていられるかもしれない。
 それでも、その後のレンサップ川沿いのレストランでのランチは、さすがの夫も食傷気味のようだった。
 プノンペンではセントラル・マーケットをぶらつき、王宮とプノンペン国立博物館を見た後、午後5時過ぎにホテルにチェックインとなり、カンボジアでのすべての旅程が終わった。
 夜、夕飯に出掛けようということで地図を広げると、川沿いのレストラン街もオールド・マーケットの屋台街も徒歩圏内ということがわかったので、迷わず屋台へ行くことにした。混沌とした商店街を抜けると、屋台が無秩序に並んでいる。目指すは串焼き肉とカボチャのプリン、できればかき氷も。ところが、生肉、いつからそこにあったの? まな板と包丁洗った? そのバケツの水の浮遊物は何……? 私はだてに微魔女ではないので体力に自信はあるが、息子の免疫力はどうだろう。なにしろ明日のフライトは長時間なのだ。夫も同じことを考えていたらしい。屋台は見るだけにしてマーケットでお土産を買い、ホテルへの帰り道で食堂に入り、ご飯物と麺類に春巻きを注文し3人で仲良くシェアをした。出るときは気づかなかったが、この辺りはいわゆる“夜の街”で、肌の露出の多いぴちぴちミニスカートのお嬢さんたちが、出勤前の腹ごしらえをしたり、既に営業態勢に入ったりする姿もちらほら。
 「いくらか聞いてみなよ」
 夫をそそのかしたがガン無視。うちの夫の取り柄はあまりないのだけれど、真面目なことだけは日本人標準であることを、またまた付け加えておく。
 プノンペンの夜は、当たり前のように何事もなく更けていった。

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