受付の黒人女性、予想外のシングルルーム

1人の黒人女性が門の向こう側から軽々とロックを外しこっちに向かってきた。僕はその女性が受付係りで僕に用があることは一目見てすぐに分かった。出入りする寮生と思わしき学生は大体が白人で無愛想なのに対し、彼女はこちらを見てニコッと微笑みあちらから話しかける態勢を取っていたからだ。僕は反射的に立ち上がり話す英語を話す準備をした。

「待たせてごめんね。君がさっき電話くれた人だよね?」

そう、と僕は言うと彼女はすぐに門を開け中へ案内してくれた

「これがキーよ。ドアのこの部分に数秒当てると音が鳴ってロックが解除されるの。どのドアにも大抵鍵は付いてて、君が開けるべき場所は3つかな。門と、門から建物に入るドアと、君の部屋。こっちは近道よ。」

彼女は慣れた足取りで階段を登り中庭らしき場所に出た。1人の欧米系の学生がタバコを吸っていた。

「君の部屋はこっちの建物から入って、ここを曲がって、こっち」

「結構複雑だね。覚える自身はないな」

「私でも迷うくらいなんだから」

彼女の英語はわかりやすく耳にすっと入ってきた。このようなマンツーマンの会話で一方的に聞き取れないようでは困ると思っていたが僕の脳はそれなりに適応してきてるみたいだ。外国では一つの会話に最低一つのユーモアを取り入れることが決まりになっているみたいだ。それとも何を話しても僕にとってはそれが映画のセリフのように聞こえてしまうからだろうか。

彼女は僕の部屋をキーを使って開けた。中にはベッドと机しかなく、トイレとシャワーが個室で付いていた。

「僕はここで1人で暮らすの?」

「そうよ。この列には他に四人が住んでるんだけど、共有のキッチン以外はあなた1人で過ごすことになるわ。」

「誰かとシェアするタイプの部屋だと思ってたよ」

僕は正直1人部屋だと聞いて安心した。日本を発ってからここまで実質定住せずに転々としてきたわけだ。しばらくの間ゆっくり誰にも見られることなく1人の時間を過ごしたかった。英語を話す機会は部屋以外でも溢れている。そう自分に言い聞かした。

「あ、そういえば一つ聞いてもいいかな?」

「ええ、なんでも言ってちょうだい」

「EEっていう会社のSIMを買ったんだけど、手続きがよくわからなくてずっとそのままなんだ。電話をかけてみたんだけどイマイチ理解できなくて」

「あなたの携帯を貸してみてくれる?」

僕は携帯を差し出し、彼女はEEのアプリから長ったらしい説明文を飛ばし僕はやったような電話をかけ出した。彼女は英語が母国語なのだ、と僕は思った。僕はそそ説明文を目を凝らしてセンター英語のように読み解いていく。彼女はそれが僕にとっての日本語のように見える。不思議な感触だった。

「あなたはもうやることを終えているわ。ここをみて。ちゃんと5GBで20ポンドって表示されてるでしょ。」

「どうやって残りの容量を確認できるの?」

彼女はわかりやすいように僕に画面を見せながら説明した。どうやらヒースローのあの段階で契約は完了していたみたいだ。

「ありがとう、助かったよ」

「これが私の電話番号だからわからないことがあったらかけてきて」

彼女はそう言って自分の持ち場に帰っていった。イギリスでは初対面の人に電話番号を渡して困ったことがあれば電話して、という振る舞いが生まれつき備わっているらしい。

なかなか悪くない。改めて部屋を見渡してそう思った。6つの引き出しが備わった白い机と、質素で硬い黒の椅子。ドアの正面の赤いカーテンの裏には大きな窓があった。外は二車線の緩やかな斜面で、学生が大学の通学路に使っているらしい。

カーテンの下には大きな青いビニールが最初から置いてあった。中身はありとあらゆるキッチン用品だった。ナイフ、フォーク、スプーン、フライパン大小、数枚の皿。これだけあれば何も困ることはない。退室時に全て返却のことだった。

ユニットバスではあったが、綺麗なバスルームも付いている。これに関しては文句の付け所がなかった。何しろこれまでの二日間で自分だけのトイレやシャワーなんていう概念は消え失せていた。二日間も風呂に入らなかったのは初めてだ。

一息つきたいところだが肝心のベッドにはシーツも布団もない。そして僕がまずしなくてはならないのは食料を口にすることだ。最後に食べたのはアルゼンチンの女性を向かいに食べた豪勢な朝ごはんだった。不思議と腹は減っていなかったがエネルギーは取る必要がある。


僕はここに来るまでに見た大きな歩いて10分もかからないスーパーへ繰り出すことにした。キーを持っていかなくては。また閉め出しにされて彼女をコールすることになる