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境界線上を生きる

ヘイヨーさんの生き方って、2つの世界を行ったり来たりする生き方なんですよ。

たとえば、「現実と空想」とか「自分と他者」とか。

的確に2つの世界の境界線を見極めて、半歩とか1歩だけ向こう側の世界に足を踏み出す。でも、決して境界線を越え過ぎない。何かあれば、パッと身をひるがえし自分の世界に帰ってこれるようにしておく。

そういう生き方です。


ドッジボールってあるじゃないですか?

ドッジボールでは、片足が自分の陣地に入っていれば、相手の陣地に入りながらボールを投げてもいい。でも、両足が越えちゃダメなんです。かといって、両方とも自分の陣地に入ってると、敵に近づけないので不利なんです。

そういうようなもんなんです。的確に境界線を見極めて、片足だけ自分の世界に残しておいて攻撃する。攻撃し終わったら、サッと自分の世界に帰ってくる。そういうのが得意なんですよ。


昨日、占いの話をしたんですけど。占いも同じですよ。ある意味で、心の底から信じてるんだけど。同時に「ンなバカな」と思いながら読んでるんです。わかりますかね?この微妙な感覚。

信じてるんだけど、決してハマり過ぎない。そういうポジション。見方によっては「中途半端」とも言えるんですよ。「なんで、もっとこっちに来ないの?」「もっと深みにハマりなよ!」って思ってる人もいるはず。

でも、これがヘイヨーさんの生存戦略なんです。心の底から信じる一方で、どっか冷めてる。必ず「別の視点」からも物事も見ておく。そうすることで、大きな失敗をせずに済むわけです。

だから、怪しい宗教団体とかに遊びに行っても絶対入信しない。そういうセイフティネットというか防御システムみたいなのが働くんですよ。この能力がない人は最初から遊びに行かない方がいいです。怪しい場所には決して近寄っちゃいけません!一瞬で引き込まれちゃうので。


話を占いに戻すと…

占いって人によっては「何その怪しいジャンル?」「なんでそんなもの信じてるの?」って思ってるはずなんです。ヘイヨーさんも、ある意味でそう思ってます。でも、同時に信じてるんですよ。

量子力学みたいなものですかね?「箱の中の猫は死んでるんだけど、同時に生きてる」んです(余計にわからなくなっちゃいました?)

自分では凄くシンプルな考え方だと思うんですけど、人によっては「何?その複雑な生き方は?」って思えるかも。ま、それもしょうがないです。


いずれにしても、占いって信じすぎると危険なんですよ。麻薬みたいなものなので。「もう、占いなしだと生きていけな~い!」ってなっちゃうんです。かといって、全く信じないのもつまらない。人生に張りがなくなっちゃうんですよ。だから、適度に信じるのが一番いいんですよね。ま、その「適度に」がなかなか難しいんですけど…

さらに話を進めておくと。ヘイヨーさん、占いは信じるんだけど、スピリチュアルまで行くと、もうダメなんですよね。なので、遠隔ヒーリングとかもやらないんです(この辺、わかんない人はサッパリわかんないかもしれません。占いとスピリチュアルとどう違うの?って。でも、ヘイヨーさんの中ではハッキリ境界線が見えてます。明らかに違います!)

まあ、スピリチュアルとか遠隔ヒーリングとか、好きでやってる人はいいと思いますよ。noteでもハマってる人が何人もいますし。そういう人とも友達になれます。でも、自分ではやらない。ここが「ドッジボールで片足しか踏み出さない」部分です。


この生き方、世の中を上手く渡っていくとか、自分の身を守るためには非常に便利なんですよ。でも、不利なこともあって…

たとえば、恋愛ですかね?恋愛って「一線を越える行為」でしょ?いつまでも自分の世界を守ってるとダメなんですよ。ある瞬間、完全に相手に心を許さないと。でも、防御システムが働いて、その一線をなかなか越えられないんですよね~

まあ、たまにやらかしちゃいますけどね。でも、大抵はロクなコトにならないですね。「やっぱ境界線越えるべきじゃなかったかな?」って後悔することも多いです。同時にいい思い出にもなったりするんですけど。

難しいものですよ。「世の中、何もかも完璧」とはいかないですからね。得るモノがあれば失うモノもある。嬉しいこともあれば、傷つくこともある。それを怖れてると、何も得られませんよ。

noteの世界で輝いている才能ある人たちや一生懸命努力している人たちに再分配します。