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推論妄想

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自分の妄想推論をぶちまけるダストボック。  ゴミ漁りじゃあないが有用なものを拾ってくれたら。
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2021年3月の記事一覧

自論「私論」

自論「私論」

 昔、書き溜めてた文を一部書き加えして投稿する。何か考え方の役に立てば幸いではある。

 ある偉人が「とりあえず今考えてる私は存在するよね」的なことを言ってたので、それについて考えてみた自論をここに書く。

 まず、私がいる、と言ったものだが、厳密には、「頭に浮かんだ自らの思考」が存在するのであって、それは「私という人間」の存在証明ではないと考える。「私が考えているんだから私という人間もいるに決ま

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自由と全能を履き違えてはいないか?

犯罪者が罰せられ、聖人が讃えられる
「犯罪者は幸せになれないなんて、同じ人なのに同じ扱いをされていない!
平等じゃ無いじゃ無いか!」
犯罪者と聖人が同じ扱いを受ける
「聖人は他人のために尽くしたのに、それが報われないじゃ無いか!
平等じゃ無いじゃ無いか!」

私にとっての私と、他人にとっての私は別人である。
私から見た私と、他人から見た私は別人である。

何故存在する時間軸も地点も構成する物質も考えていることもしていることも何もかも違う人間を同じ自分だと言い切れるのか。

過去の「私」と今の「私」、未来の「私」は別人では無いのか。

問題を固定すれば答えは一つになる。
ではなぜ対立が起こるのか。
それは問題を明確に一つに決めていないからである。

今から自殺しても今の私は死んでいない。
今から解脱しても今の私は解脱していない。

自問自答

自問自答

 昔に私が、誰に見せるでもなくメモに残して置いた文章。誰かの役に立つかもしれないし立たないかもしれない。

 私がこのような性格価値観になったのは多分、記憶力の無さと外部への関心の無さが原因であろう。それを決定づけたのは己の選択だと言われればそれはそうなのだが、あくまで外的要因の話である。
 興味を持つためにはそのことへの記憶がいる。
 記憶をするためにはそのことへの興味がいる。
 どちらもなけれ

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わたしとは?

わたしとは?

「今、わたしは何故生きているんだろう?」

 痛々しい中高生の頃だとか、人生つらくてどうしようもないときとかに考えがちなことではある。まぁ中高生がその問いを発する理由は、己が誰からしても特別な存在である、と暗に思ってるからだろうし、辛いときにその問いを浮かべるのは、ただ己の生に客観的な指針をつけて今の自分を正当化したいだけだろうけど。自分を何か正当化してくれる素晴らしい不思議パワーが欲しいだけで、

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運命とか偶然とかについて

運命とか偶然とかについて

 言い訳だとかに「こ、これは偶然なんだ!」とか、素晴らしい出会いやらひどい苦痛でもあったときに、「これはきっと運命なんだ。」なんていうことがあるが、じゃあ結局どっちなんだよ、ということについて考えて書く。

 我々は同時には三次元を二次元としてしか観測できないわけで。時間軸という一度に観測したり思い浮かべたりできないものを使うからしっちゃかめっちゃかになるから、次元を一つ減らして考えればばいい。

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