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ショートショート テレビ塔【倫敦塔・夏目漱石】

 4年間の名古屋での大学生活で、ただ一度だけテレビ塔を見物したことがある。その後再び行こうと思ったこともあるがやめにした。人から誘われた事もあるが断った。一回あの塔に登るだけで千円ほども出すのは惜しい。二回登れば二千円。伏見ミリオン座で映画が一本見物できる。

 都会の街は一種の魔法のようだ。大きくなったり、小さくなったりする。通い始めたばかりの頃はまるで広大な迷路のようだった地下鉄も、ポケットの手帳に収まるほどの大きさになり、そこらじゅう眩い光を放っていた商店群は、ひょい、と裏路地を除くだけで、ハリボテみたいな姿を表す。その頃ちょうど、ボリス・ヴィアンの「日々の泡」という小説を読んだ。若い主人公たちが長生していくにつれ、パリの街が色褪せ、縮んでいく風景が描かれている。『幻想的』。解説にはそう書いてあったが、実際これはリアルな現実描写なのではないかと小賢しいことを時折思ったりしていた。

 魔法、といえば大学の4年間もそうで「何者かになってやるぞ」と、特に根拠もなく入学した学生生活はうたかたのうちにすぎる。少なくとも私にとっては、その4年間そのものが一種の幻想だった。金銭的な都合で、随分遠いのに通っていたのも災いして、いつもへとへと。始発電車に乗った寝不足の頭で、まだ夢の続きのようにふわふわと街を彷徨っていた。

 国文科の生徒だったせいもあり、随分な辞書好きだった。「新解さんの謎」という本で新明解国語辞典を知った。同時に、著者の赤瀬川原平も知った。「超芸術トマソン」という本で路上観察を流行らせたり、「老人力」という本でタイトルがそのまま流行語になったりした芸術家だ。名古屋市の美術館が展覧会を開いたりもした。所蔵品をたくさん持っているのだ。千円札裁判という、千円札を模写したものは芸術かどうか争った裁判をしたことがある、ということは著作で知っていたが、その展覧会で本物を見て驚いた。額縁に飾られた、本物よりはるかに大きな千円札。赤瀬川原平は、この裁判に負けた。負けた後に作った「零円札」も同美術館は所蔵している。

 名古屋市美術館がなぜ作品をたくさん持っているかというと、多分、赤瀬川原平が愛知県の人だからだと思う。私はテレビ塔を書いたエッセイでそれを知った。小さい頃、家族で名古屋まで買い物に来たとき、テレビ塔を恐竜の骨のようだと思ったらしい。言われてみれば、そう見えなくもない。何気なく読んでいた本に突然屹立したテレビ塔に驚いて、私は思った。そういえば、あの塔にちゃんと登ってみたことがない、と。

 テレビ塔を見物したければ、地下鉄東山線の栄駅でおりるといい。栄の地下街は無闇やたらと広いが、矢印をたどっていけばなんとかなる。バスセンターの近くに地下街につながった大きな広場があり、「オアシス21」という名前がつけられている。広場から上を見ると、水が煌めいている。天井に、でっかいプールみたいなものがあるのだ。階段、もしくはエレベーターでのぼれる。「水の宇宙船」という名前がついている。水深は極めて浅く、入ることはできない。しかし、ここにくるとテレビ塔が間近に見える。もう、別に登らなくてもいいかもね、と思うほどに近い。
 景色がいいので家族連れやカップルもたくさんいる。みな、楽しそうにしている。水の宇宙船のへりまで歩いて、下を眺める。名古屋の車道は100メーター道路という異称がある。長さが100メートルしかない、という意味ではない。幅が100メートルある、という意味だ。本当に100メートルあるかは知らない。片側4車線ずつ。テレビ塔はその中央分離帯にある公園にそびえ立っている。水の宇宙船から下をのぞくと、大きな道路にお行儀よく走る車がミニカーみたいに見える。
 どん、と背中に何かがぶつかる。振り向くと、痩せた男性がカメラをテレビ塔に向けて構えていた。「恐竜みたいだ」と呟いている。もしもあれが恐竜でも、広い100メーター道路をまっすぐ歩いてさえくれれば街は安泰である。

 水の宇宙船の階段を降りてテレビ塔に向かう。実はここの階段だけでもうくたびれている。降りたら、もう一踏ん張り。100メーター道路は渡るのに骨が折れる。信号が変わったら大急ぎだ。中央分離帯で立ち止まると遠くに「希望の泉」が見える。大きな噴水だ。この頃、古本屋で買った写真集が「怪盗ルパン」という名前だった。ルパンに扮したモデルを名古屋のあちこちで写した、不思議な本だ。名古屋在住のカメラマンが出した本らしい。どうしてルパンにしたのかの説明はなかった。

「あんた、はよ走らんと、信号、変わってまうよ!」
横断歩道の向こう側でおばあちゃんが大声を出している。「おみゃあさん。やっとかめだも」などというような絵に書いたような名古屋弁に、在学中にお目にかかることはなかった。フランス語の先生が持ちネタのように話していた、名古屋弁の「みゃー」の音がフランス語の発音と同じだという話も、確かめるすべがない。聞く限り、そんなにおしゃれには聞こえないんだけど。「はよ、いってまうよ!」おばあちゃんがまた声をあげた。次の瞬間、私の隣を風のように黒い塊が駆けていった。シルクハットにマント。その後ろを、どたどたと、スーツ姿の男が6人ばかり塊になっておいかけていく。私も走る。信号が変わってしまう。

 息をきらせながらテレビ塔の下まできてみると、やはり大きい。組まれた鉄骨にがかっこいい。そういえばエッフェル塔に、似て、いなくもない。バゲットでも小脇にはさんだら、それっぽく見えるかもしれない。

 展望台にはエレベーターで登る。前に並んでいた数人と一緒だ。大人ばかり6人。さっき塊になって走っていた人たちだった。スーツ姿のいかついおじさんに囲まれて、中はぎゅうぎゅう。ガラス張りのエレベーターから、外が見える。緑の公園の、その真ん中に、さっきのマントの男が立っていた。おじさんたちが悲鳴をあげた。マントの男は仰々しくシルクハットを脱いで会釈してみせる。モノクルが光った。ひらり。マントを翻した。芝居じみた仕草で走り去ってしまった。

 「だせ」「追いかけろ」おじさんたちがガラスの壁をたたく。危ないからやめて欲しい。彼らの抗議も虚しくエレベーターは止まらない。直通なのだ。ぽん、と音がして扉が開いた途端に、あわてて非常階段の方に走っていった。ひとり、ふたり…。5人。5人だけ。
「やれやれ」
ひとりだけエレベーターに残ったおじさんが呆れたように言う。
「一体、下まで何段あると思っているんでしょうね」
私に向かって微笑んだ。片目にモノクルをしている。スーツの下からバゲットを一本取り出して、がぶりとかじった。

 テレビ塔の歴史は戦後の名古屋の復興の歴史でもある。1954年に開業したこの塔は日本で一番最初に完成した集約電波塔だ。東京タワーや大阪の通天閣、札幌のテレビ塔と設計者を同じくする兄弟である。1989年にはライトアップ開始され、2016年に一旦TV放送のための電波塔としての役割を終了して、観光面に重点がおかれた塔になった。それまでの間、結婚式が行われたり、ドル紙幣がばらまかれたり、階段登り競争が行われたり、キングギドラに壊されたりした。ちょっとスマホで調べたウイキペディアに書いてある。

 展望台、というからにはやっぱり眺めは良くて、辺りを上から一望できる。ただこじんまり感はいなめない。実は、もっと高いビルが名古屋駅にある。そこの展望スペースの方が広くて高い。ここにあるのは、レトロ感とか懐かしさだ。外の鉄骨部分に出ることもできる。風が強く、少し怖い。昔ドル札をばらまいたという人は怖くなかったんだろうか。
 ふと周りを囲む鉄柵の端を見ると、さっきのスーツの男がバゲットを食べつつ、しゃがんでなにやら鞄をさぐっている。私を見て会釈した。

 これ以上は何もない。見終わればあっけないものだ。エレベーターでまた地上に戻る。ガラスの壁ごし下をみていると、男性がひざまずいて写真を撮っている。水の宇宙船でぶつかった人だ。あそこから、ずっと写真を撮りながら移動してきたんだろうか。カメラから顔をあげてこっちをみた。いや、もっと上を見ている。なんだろう。ひらひら。ガラスの向こうにお札が降ってきた。1枚、2枚。もっとたくさん。数えきれないほど。

 地上についたエレベーターからあわてて飛び降りた。公園は大騒ぎだ。展望台の上からお札が降っている。降っている原因をよく見ようと、後ろ歩きで塔を見ていると、さっきの男性が声をかけてきた。望遠レンズのついたカメラを差し出す。
「ご覧になります?」
 いわれるがままにのぞきこむ。さっきのバゲットの男性が、スーツ姿の5人に抑え込まれながら、カバンの中身を外にぶちまけていた。飛び出したお札が風にあおられて舞っているのだ。

「腹が立ったんでしょうねえ」
カメラを貸してくれた男性がつぶやく。レンズから目をあげて、はっとした。
「あれ、偽札だものね」
いたずらっぽそうに笑う目。こけた頬、まっすぐなおでこ。思い出した。この人、赤瀬川原平だ。
 ひょい、とふってきたお札を一枚手に取って、私にくれた。額面を見る。
「零円札」
そう書いてある。

 くすりと、思わず吹き出してしまう。けれど顔をあげると、もう彼はいなかった。預かったはずのカメラも、降っていたはずのお札も、何もかも消えていた。
「テレビ塔入場券」
 にぎった零円札に書かれた文字はそう変わっていた。変わらずあるのは、ちょとだけエッフェル塔に似た、テレビ塔だけだ。

 あくびが出た。朝4時起きだったのを思い出す。始発じゃないと1時限に間に合わないのだ。家に帰ることにする。白昼夢なんて日常茶飯事だった。それより帰って資料を読まないといけない。明日までに提出のレポートがある。

ショートショート No.410

不定期で青空文庫作品のパスティーシュを書いています。
本作は、夏目漱石の「倫敦塔」のパスティーシュです。

遠くロンドンに渡った夏目漱石。よくわからない交通網におびえたり、
名所で空想にふけったり。文豪でもやることはわたしたちとあんまり変わらないなと思います。
出てくる幽霊?たちを理解するのにちょっとイギリス史の知識がいるのと、言葉がいかめしいのとで難しい印象をもつ本作ですが、慣れてしまえば文豪のかわいい一面が見えると思っています。

「テレビ塔」の方は名古屋に実在するランドマークです。現在は「中部電力MIRAI TOWER」という名前になっています。

私の書いたものがどうの、というより、「倫敦塔」式に自分の街のランドマークや旅行記を書くのはなかなか楽しいものです。
同じ場所にいても、見る空想はきっとみんな違います。これが、学生時代の私の「見ていた」名古屋の街だったんですよ。