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エッセイ ケチャップ麻婆とコーララーメン

 小さい頃、麻婆豆腐にはケチャップが入っていました。
 「入っていたと思っていた」の方が正確なのかもしれません。赤いので、なんとなくそう思っていただけかもしれないし。大人になってレシピを知った段階ではちゃんと「豆板醤」と「甜麺醤」を使う、と知っていました。

 でも。確か入っていた気がするんです。
 母に聞いてみたら「入れてないよ」とけんもほろろ。なんでしょうか。この記憶。麻婆豆腐とエビチリを混同していたのだろうか。

 最近、ラーメンについて調べることがあって、「語られざるラーメンの歴史」という本を読みました。日本のラーメン文化についてアメリカの歴史学者が書いた本です。

 ご存知の方も多いと思いますが、ラーメンは、中国の汁つきの麺が日本で独自の発達をとげた食べ物です。本では単純にラーメンの浸透の歴史(のれんわけで増えた、とかカップヌードルの普及とか)について言及するのではなく、庶民の都会生活の象徴としての支那そば(1936年の小津安二郎の映画「一人息子」に、都会暮らしの息子を訪ねた母親が屋台で生まれて初めて支那そばを食べるシーンがあることがひかれています)や、高級料理に対する、気取らない食文化としてのラーメン(伊丹十三の『タンポポ』など)といった、文化的側面について解説しています。

 日本のポップカルチャーとしての「ラーメン」が、海外で、その土地の食べ物として変容している、という話題が興味深かったです。

 インスタントラーメンの消費は、ここ三十年でアメリカの囚人たちにも広がった。(中略)囚人たちによるインスタントラーメンのレシピも。2000年代後半にネットに現れた。(中略)「甘くてスパイシーなコーク・ラーメン」というレシピの材料は、〈テキサス・ビーフラーメン・ヌードル〉一袋と(ダイエットではない)コカ・コーラ二分の一が四分の三缶、塩ピーナッツ一袋、さらに好みでビーフスティック(つまり〈スリム・ジム〉)だ。このようにインスタントラーメンは、日本から遠く離れた異なる集団に対して、新しい意味と形を持つようになった。メキシコとアメリカの囚人ラーメンで証明されているように、日本とインスタントラーメンとのつながりは時間とともに薄れていった。これは、日本でラーメンと中国とのつながりが消えてしまったことと同じだと言えるだろう。

ジョージ・ソルト著 野下祥子訳「ラーメンの語られざる歴史」

 コーララーメン。そもそも「テキサス・ビーフラーメン・ヌードル」ってなんだ、という疑問がよぎりますが(ちょっとおいしそう)、要するにかなりジャンクな食べ物だのだと思います。昔、外国のレシピ本でスイートパスタというものを目にした時の衝撃を思い出しました。

 食べてみたいかどうかは一旦おいておいて、面白いなと思うのは「日本とインスタントラーメンのつながりは時間とともに薄れていった。」これは「日本でラーメンと中国とのつながりが薄れてしまったことと同じ」という部分です。外国の食べ物が『受け入れられる』というのは自国化する、ということだと思います。カレーなんかもきっと同じでしょう。海外の寿司とかも。

 でも、麻婆豆腐は?
 「豆板醤」やら「甜麺醤」やらなんて昔はなかなか手に入らなかった気がします。今でも、『中華食材コーナー』でしかみかけません。最近みかけたレシピだと、「豆豉」を入れるように指示がありました。豆豉なんてスーパーにおいてないよ。この料理はだんだん本格化、というか中国とのつながりが強化されている気がします。面白いな、と思うんです。

 そして、ラーメンについて調べるうち、私はとうとう次のレシピを発見しました。

 まずはじめに たれをよういしておきます
 みそ 大さじ1
 ケチャップ 大さじ1
 スープ カップ1

寺村輝夫「こまったさんのラーメン」

 これ、麻婆ラーメンのレシピなんです。タレに入ってますね。ケチャップ。

「こまったさんのラーメン」は1988年発行の児童書で、『おはなしりょうりきょうしつ』というシリーズの中の一冊。全巻に料理のレシピがついています。巻末に「ラーメンばんざい!」という寺村輝夫本人の解説があります。

 ドイツのフランクフルトで食べたのも、カナダのバンクーバーで食べたものも、みな味がちがっていました。マレーシアのベナン、シンガポール、タイのバンコック、インドネシアのバソ、ケニアのナイロビ、インドのボンベイ……。私は、よくもまあラーメンを食べあるいたものです。それぞれ中国人のお店や屋台で食べたのでありますが、どれひとつとして同じものはありませんでした。(後略)

寺村輝夫「こまったさんのラーメン」

 作者の寺村輝夫が、海外にけっこう行っていて、しかも食べ物にこだわりのある方だということが伺えます。Wikipediaの作者の解説によると、このシリーズのレシピは料理家への外注ではなく、本人が書いたものであるようです。

 つまり、本物の麻婆豆腐を知らない方が作った適当なレシピではなく、食べたことがある方が当時の日本家庭でも作りやすくしたレシピである可能性が高いと思うのです。

 「みそ」はおそらく豆板醤の代わりだと思います。辛くない、という決定的な違いがありますが。もしかしたら児童書なので辛味をおさえたのかも。(麻婆豆腐=辛いという図式が昔からあったのかも少し興味深いところ)。そしてケチャップ。味噌が豆板醤ならこっちは甜麺醤ですね。甜麺醤とケチャップは確かにちょっと近いかもしれない。

 これは間違いなく麻婆豆腐の自国化ですね。1980年代には一般的だったのかなあ、これ。どうして普及しなかったんだろう。もし一般的だったとしたら、麻婆豆腐はラーメンとは逆に『本格派化』『中国化』の道をたどったことになります。

 和風に進化してたらどうなったのかなあ、と思いながら作るのも楽しいです。
 作ってみようかなあ。味噌とケチャップの麻婆豆腐。

エッセイ No.035

参考図書

「ラーメンの語られざる歴史」
ジョージ・ソルト ジョージソルト(著/文)野下祥子 ノゲショウコ(翻訳)
国書刊行会 2019年

 アメリカ人歴史学者から見た日本のラーメンの歴史です。社会的、文化的側面からとりあげているところに特徴があります。これを読んでも「ラーメンを食べたい!」とは特になりませんが、歴史学者らしい、一歩ひいた目線から日本の大衆食を俯瞰できる本です。


「おはなしりょうりきょうしつ 9 こまったさんのラーメン」
寺村 輝夫(著/文), 岡本 颯子(イラスト)
1988年 あかね書房

ヒヤシンスからラーメンがはえる本です。
小さい頃大好きだったシリーズです。今更気がつきましたが、作者の寺村輝夫さんは「王さまシリーズ」を書いた方です。特に根拠もなく別人だと思っていました。本の挿絵の絵柄で作者を判断していたんですよね。そういえば王さまも目玉焼きや野菜スティックを食べたりしてたなあ、としみじみ思いました。


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