最遅本命発表~札幌記念編~
2011年10月8日。
この日俺は、初めて「奇跡」は現実に起こるのだということを知った。
横浜スタジアムで行われた横浜ベイスターズVS阪神タイガース。
1点ビハインドで迎えた9回裏、二死二三塁の場面で立ちはだかるは阪神の最強守護神である藤川球児。打席に立つのは細山田武史。
もはや祈ることさえできず、諦めの心境でテレビ画面を見つめていたことを今でもよく覚えている。
生涯打率.171の細山田に対し、当時の藤川はシーズン防御率1.24のパーフェクトクローザーだ。期待しろと言う方が無理がある。
しかし、結果は細山田の鮮やかなセンター前サヨナラタイムリーヒットにより横浜が逆転勝ちを収めたのだ。
奇跡など信じない冷酷リアリストだった俺も、この時ばかりは奇跡は実在するのだと痛感したことをよく覚えている。
野球に疎い競馬ファンの為に前述の出来事がいかに有り得ない出来事なのかを説明すると、1000m57秒の超ハイペースで逃げたウェスタールンドをモズスーパーフレアが最後方から32秒台の末脚で差しきる展開ぐらい有り得ないと思ってもらえればいいだろう。
冒頭から早速大きく本題から逸れた話をしてしまったが、悔いはない。
DeNAベイスターズしか知らない幸福な横浜ファンには、TBS時代の暗く悲惨な時代を乗り越えての今があるということを知って欲しかったからだ。
事の本題は、いよいよ今週末に迫った札幌記念の本命馬だ。
これより、筆者の少年期の思い出も赤裸々に交えつつ本命馬の発表をしていこうと思っている。
有料部分には、オマケとして札幌記念の渾身の対抗馬を超スーパーフルボリューム見解と共に記してある。
くれぐれも強調してお伝えしておくが、予想の参考にすべき内容ではないため、このnoteに対する「面白かった!」の気持ちを込めて購入して頂ければ、誠に幸いである。
全ての始まりは20年前。筆者が生意気な中学生だった時代まで時を遡る。
高校球児だった父親の影響で始めた野球漬けの日々を過ごしていた俺は、地域ではそこそこ名の知れた野球部のある中学校へと進学した。具体的な目標はないにせよ、この先もずっと野球は続けていくだろうし、中学で活躍して高校では甲子園に出て、ワンチャンプロからのお声がかかれば…といういかにも世間知らずな中坊らしい考えは持っていたように記憶している。
入学後、野球部の新入生挨拶の場で俺はWという男と出会った。
ポジションは同じ投手。俺が左腕でWが右腕。同じポジションのライバルということは置いておくとして、とにかくこの男とは馬が合わなかった。
確か事の始まりは学食で出されたオムライスを見た俺が、「やっぱオムライスはケチャップだよなあ」という発言に対し、Wが「え?オムライスはデミグラス以外有り得ないでしょw」とナメた発言をしてきたことだ。
この時点で俺はいつこの男のケツをシバき散らかしてやろうかと思案していたが、以降もとにかくWとはことごとく正反対の意見でぶつかったことを覚えている。
修学旅行先を決めるクラス投票、北海道に投票した俺を嘲笑うかのようにWは沖縄に投票していた。
サッカーゲームと言えばウイイレが至高と主張する俺に対し、ウイイレはミーハーのやるゲーム、通はFIFA派とWは声を上げた。
キンキで言えば俺は剛派でWは光一派。
ごくせんで言えば俺は赤西派、Wは亀梨派。
プッチモニで言えば俺が辻ちゃん派Wは当然加護ちゃん派。
正に水と油。正に完璧な非乳化。佐野実の志那そばより非乳化。
俺が中学生にしてデカルトの二元論に興味を持ち始めたのは、Wの存在が原因だったことは言うまでもないだろう。
俺のイニシャルが「М」で「W」をひっくり返したイニシャルだったことさえも偶然とは思えない程に、全てが正反対な俺たちだった。
にも関わらず、先発ピッチャーという被りたくないポジションだけが共通点だった俺たちは、互いをライバル視しながら日々の練習に打ち込んでいた。
1年生から2年生の期間に関しては、お互い時々練習試合に先発するぐらいで、俺はWが先発する時にはいつだって「打たれちまえ」という言葉を心の中で般若心経が如く唱え続けていた。
かくして互いが互いに負けじと練習を重ね、迎えた3年生の夏。
俺とWはいつしか左右の先発二枚看板として、ダブルエースとしてチームを牽引する立場になっていた。
「こいつにだけは負けん」
という想いが、きっと俺たちを突き動かしていたのだと思う。
そして、負ければ引退となる夏の地区大会が始まった。
俺とWは交互に先発しながら、チームは順調に勝ち上がっていった。試合に出れない下級生時代にも腐らず練習に励んだ日々は無駄ではなかったのだろう。
そして準決勝の日が近付いてきた頃に、監督がチームを集めてミーティングが始まり、開口一番に監督はこう言った。
「準決勝はWが先発、決勝はMが先発でいく」
俺は心の中で、先日のクラスターカップでオーロラテソーロの鞍上サメカツが見せたガッツポーズが比にならないレベルの渾身のガッツポーズをした。決勝の大一番にWではなく自分が指名されたことに心底舞い踊った。自分のピッチングでチームの優勝が決まる瞬間を思い浮かべながら、俺はニヤニヤとニヒルな笑みを浮かべながらその日は岐路に就いた。
迎えた準決勝当日、俺は初めて心の底からWを応援した。
憎きあの男がヘマして決勝に行けないなど、あってはならないことだからだ。そして、俺の声援のおかげもあり、Wは見事に準決勝で完封勝ちを収めた。後は自分が一番美味しいところを頂くだけだ、そう信じ俺は心の中で闘志を静かに燃やしていた。
…が、運命は俺には微笑まなかった。
決勝の前日にインフルエンザにかかり、40度を超える熱を出した俺はそのまま入院することになった。
天国から地獄とは正にこのことだと思った。めでたく浮かれてた自分が馬鹿馬鹿しくなってしまう程に、容易く神様は俺を裏切った。
監督から連絡があり、予定を変更して準決勝に続いてWが決勝の先発を務めることになったから心配するなと言われた。
その言葉は慰めとしての機能は持たず、ただ俺の心の中に広がる闇を助長した。
3年間の努力は時としてこんな簡単に水泡に帰すのだということを実感しながら、俺はこんな言葉を呟いたんだ。
『Wが打たれて負けちまえばいいんだ』
どんなに馬が合わずとも、俺はWをチームメイトとして憎んでいた訳ではない。
ただ、あの時ばかりは心の中に溢れ出す黒いモヤモヤとした感情の処理の仕方がどうにも分からなくて、Wにぶつけることしかできなかったんだと思う。
明け方まで悶々と負の感情に包まれ、いつしか明け方になる頃俺は眠りに就いた。
鳴り響く電話のベルで目を覚ます。時計を見ると時刻は既に決勝戦が終わっている頃合いだった。電話の相手は、監督だった。
「Wが故障で降板した。診察の結果、右肘の靭帯断裂だそうだ」
その言葉を聞いた瞬間、今までの生涯で一度も経験したことがない罪悪感が全身を貫いた。Wは元々怪我を抱えながらプレーを続けていた。だからこそ、監督は俺とWを交互に先発させるプランを用い、Wへの負担を減らしていた。
そんなWが、俺がこうして熱なんか出してしまったせいで予定外の連投。しかも準決勝だってWは中継ぎに負担をかけまいとして、自ら志願して9回を投げ切っていたのだ。
俺は自分の感情だけに囚われて、あろうことかチームの為に身を犠牲にして奮起した男に対し「打たれろ」「負けてしまえ」と心の中で叫んでいたのだ。
チームはWの降板後に逆転負けを喫した。
Wは俺が何を思っていたかなど知る由もないだろうが、俺はとてもじゃないがWに合わせる顔が無かった。
しかし、そんな俺の心中など知らぬままにWから俺の元に一通のメールが届いた。
「負けちまった、ごめんな」
Wの言葉は、それだけだった。
俺は携帯を片手に握りしめたまま、ベッドの上でひたすらに泣いた。
この時の感情にどんな名前を付けたらいいのか正解はわからないが、ただひたすらに涙が止まらなかった。
後日、監督から野球部の面々に説明があった。
Wの右肘は完全に断裂しており、最低でも1年は運動することさえ不可能。
おそらく、今後満足にボールを投げることは奇跡でも起きない限りは難しいだろう、とのことだった。
この世界に神様なんてもんが本当にいるのなら、随分とひねくれた性格をしているものだ。
俺はそのまま中学を卒業し、そこで野球を辞めた。
自分のせいで野球選手としての将来が絶たれたWのことを思うと、自分だけがのうのうと野球を続けることは許されない気がしたのかもしれない。
中学の野球部の人間とも疎遠になり、俺の日々から少しずつ野球が姿を消していく。
野球を辞めてからの俺の日々。
それは、何も書かれていない白紙のページを毎日毎日作業のようにめくるだけの空虚な日々だった。
何にも打ち込むことができず、将来の目標もなく、ただボンヤリと日々は過ぎた。本気で野球に打ち込んでいた日々は、毎日が光に満ちていて色鮮やかだった。
辛いことや苦しいこともたくさんあった日々だったが、そんな日々よりも辛かったのは「何もない」日々だったのかもしれない。
あっという間に、時は過ぎた。
ろくな思い出もないまま高校生活は過ぎ去り、義務的に大学に進学し、そこでも何の目標も見つけられずに大学生活も終わりを迎える。
俺はいわゆるニートと呼ばれる人間になり、ネットゲームとギャンブルで心の虚無感を誤魔化す日々を過ごしていた。
ある年の夏。
俺はいつものようにダラけた日々を家で過ごしていると、リビングでは元球児の父親がリビングで都市対抗野球の決勝戦を観戦していた。毎年夏に行われる、社会人野球のトーナメント大会だ。
当時の俺にとって野球という存在は、かつての苦い記憶を思い起こさせる存在でしかない。野球を見るなら自分の部屋で見ろと、俺は煙たげに父をリビングから追い出そうとした。
その時のことだった。
“9回2死、ピッチャー振りかぶって投げた!
空振り三振! W投手、見事な完封勝利です!”
俺は、耳を疑った。
そこに映っていたのは、あの日のままのフォームで打者を三振に打ち取るWの姿だったのだから。
これは後から知ったことだが、野球選手として復帰することさえ絶望的と診断されたWはその後も一切折れることなく、医者を驚かせるような熱意でリハビリ生活を続けていたらしい。
そして高校時代をリハビリに費やし、大学野球から選手として復帰したWはやがて社会人野球の強豪でエースとして活躍していた。
俺が自分勝手に野球に絶望し、腐った日々を過ごしている間もあいつはもう一度大好きな野球をする為に頑張っていたのだ。
そして、テレビに映るWはお立ち台に上がり、リポーターのインタビューに答えていた。
アナウンサー
「W投手の野球人生は度重なる怪我との戦いでもありましたが、何が心の支えになっていたのでしょうか」
W
『中学の頃に、同じチームにずっとライバルだったМという投手がいて。
学校を卒業してからは連絡も取れなくなってしまっていたのですが、いつかこうして大きな舞台で活躍している姿を見て欲しくて。
彼の存在がリハビリ生活中の励みになりました』
多分、俺は誰より憎かったWのことを誰より尊敬していたんだと思う。
画面の中で輝くWの姿を見て、そんなことを思いながら俺はひたすらに泣いた。
いつか病室で流した涙とは、全く異なる感情が溢れ出させた涙だった。
あいつはずっと、俺の中のヒーローだったんだ。
そのことに気付けたときに、ようやく俺は去りし日の呪縛から解放されたのだろう。
それからは、ずっと逃げ続けていた仕事を始め、人並みの恋をして、そして休日には草野球をするようになった。
永遠に続くかと思われた空白のページには少しずつ色が付き始め、今に至る。
今回、札幌記念の本命馬を発表するにあたり、筆者の半生をここまで読み進めてくださった皆様には心より感謝する。
このレースの本命馬を予想するにあたり、初めから一頭の馬しか俺の目には見えていなかった。
いつかのWのように、度重なる右肘の怪我に悩まされながらも、その度に奮起して立ち上がってきた一頭の馬がいる。
もう終わった馬だと、誰かがそう言うかもしれない。
今回の強力なメンバーには歯が立たないと、誰もがそう思うかもしれない。
でも、「奇跡」は起こる。
あの細山田が藤川球児からサヨナラタイムリーを打ったように。
絶望的な怪我からWがもう一度立ち上がったように。
三度目の奇跡を、信じて。
2022年8月21日。
札幌競馬場にて行われる、札幌記念。
筆者の本命は、ウインマリリン。
かつては、Wのことがあんなにも憎くて仕方が無かった。
監督にも「WとМは一生交わることのない水と油だな」と苦笑いされたこともあった。
しかし、本当にそうなのだろうか。
ウインマリリン("W"in "M"arilyn)
あんなに交わり合うことはないと思われた、俺達の名前がこの馬の中で交わるのは果たして偶然なのだろうか。
そうは思えない、思いたくない、自分がここにいるのだ。
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