最遅本命発表~セントライト記念編~
大雨の翌日。
慌ただしく家を飛び出し、通勤路を駆けていた時のこと。
そこにできていた大きな水たまりに気付かずに、すっかり革靴を濡らしてしまった。
新調したばかりの革靴を濡らした水たまりにほんの少しの恨めしさを抱きながらその日は仕事を終え、帰路に就く。
夜、家に着く頃には私の革靴を台無しにした水たまりはもうすっかり渇き無くなっていた。
では、私の革靴を濡らしてしまったあの水たまりはもうこの世界から居なくなってしまったのだろうか。
否。
大地を濡らした水たちは、水蒸気となって天へと昇り。
雲となって、やがては私達の生きる大地を濡らす雨となって降り注ぐのだ。
そう、私の革靴を濡らしたあの水たまりは、未来で再び私の靴を濡らすかもしれない。
極端な話をすれば、今朝私が目覚めのあくびをした時に流れた涙でさえ。
目には見えぬ蒸気となり、いつかはこの記事を読んでくださっているあなたの元に降り注ぐ雨粒の内の一粒になる可能性は事実として存在している。
一見するとそこから消えてなくなってしまったものも、姿かたちを変えただけで本質的にこの世界から失われることはない。
この世界に定められたそんなルールに、誰かは「質量保存の法則」という名を与えた。
決して物理学への造詣が深いとは言えない私だが、何故だかこの法則はすんなりと腑に落ちる。
万物は流転し、質量を伴ったままに巡り巡る。
そうでなければ説明の付かぬことが、この世界にはあまりにも多い。
例えば、人が抱くあらゆる「感情」や「想念」の類もまた、例外ではない。
誰かに「優しさ」をもらえば、心には温もりが宿り、その温もりはまた別の誰かへの優しさを生み出してくれるものだ。
誰かに「怒り」をぶつけられた時には、そのどうしようもない憤りをまた別の誰かにぶつけてしまった経験は誰にだってきっとあるはずだ。
ほら、やっぱりそうだ。
目には見えない感情にさえ、質量保存の法則はちゃんと働いている。
他者に振りまいた感情は、質量を損なうことなくこの世界を巡っている。
「徳を積めば良いことが起きる」
という当たり前の仏教論でさえ、ある意味では質量保存の法則で説明できてしまう。
こう思うと、「物理学」と「スピリチュアル」という本来絶対に交わり合うことのないもの同士が、歩み寄る余地が生まれるのではないかと筆者は考える。
最初にこんなことを考えるようになったのは、初めて「生と死」について真剣に考えた日のことだったかもしれない。
大好きだった祖父が亡くなった時、幼いながらに考えた。
「死んでしまった人はどこへ行くのだろうか」
心臓が鼓動を止めてしまったら、荼毘に付されて白骨だけになってしまったら。
もう、私が愛した祖父という存在は完全に喪失してしまったのだろうか。
死んでしまった命は蘇りはしない。
幼いながらに、それぐらいの常識は理解していた私にできたのは、ただ人目もはばからずに涙を流すことだけだった。
だが、ある時になって私は気付くことになる。
死んでしまった祖父は、居なくなってしまってなどいなかったということに。
幼かった少年時代を過ぎ、成人した私はいつしか家を飛び出し一人暮らしを始めていた。
これは久しぶりに実家に帰省をした時のことだ。
母親が何やら引き出しの奥から、ずいぶんと古びた腕時計を取り出し私に見せてくれた。
曰く、亡き祖父の形見らしい。
幼い頃の私は祖父の話を始めただけで泣きだしたため、中々この時計を見せてあげることができなかったと、母はどこか伏し目がちにそう話していたことをよく覚えている。
長年に渡り祖父が愛用していた腕時計は、「9時20分」を指したまま止まっていた。
その時刻は、祖父が臨終の時を迎えた時刻だそうだ。
この世界に祖父が生きていた最後の時間を忘れないように、祖父が亡くなった時に時計の電池を外したと、母は話していた。
世の中には、理屈では説明できない出来事が度々起こる。
母親の話を聞いて以降、ふと何気なく時計に目をやった時に、時計の針が「9時20分」を指し示していることが度々起こるようになったのだ。
期せずしてこの目に飛び込んでくる「9時20分」という時刻を目にする度に、自然と私は祖父と過ごした時間を昨日の出来事のように思い出した。
祖父の家に泊まっていた時は、これぐらいの時間に二人並んで朝には焼いた餅をよく食べたなあ、だとか。
夏休みには、これぐらいの時間に祖父と共に虫捕りをしていたなあ、だとか。
今までは何の感慨も抱くことのなかった「9時20分」という時刻がやってくる度に、私の記憶の中の片隅でホコリをかぶっていた思い出が、鮮明に蘇ったのだ。
記憶という情報だけでなく、餅の焼ける香りや、あの夏の蝉の鳴き声までもがリアルに感じられることも多々あった。
この時、私はハッキリと確信した。
どこにも居なくなってしまったように思えていた祖父は、少しも変わらずにこの胸の中に生きているのだと。
そう、生命における死とはすなわち完全なる喪失ではない。
路面を濡らした水たまりが、目には見えない水蒸気に変わるのと同じだ。
肉体という形を失う代わりに、祖父は私の心に「想い」という永遠に失われぬものとして今も宿っている。
故に、生命における本当の消失とは死ではなく、「忘却」なのだ。
逆に言えば、片時も忘れずに胸の中に刻み込んでさえいれば、あなたが愛した大切な存在が失われることは決してないのだと、よく覚えていて欲しい。
大切な存在を失う痛みは、時に想像を絶する。
だが、その痛みは同時に愛情の裏返しでもあるのだ。
大切だったからこそ、愛せていたからこそ、痛む。
ならばその痛みを否定せず、時間をかけて受け入れて欲しい。
時の流れは、あらゆる傷を優しく癒してくれる唯一の薬である。
やがてその痛みは、思い出すだけであなたの心に蘇る優しい温もりへと変わってくれるはずなのだから。
私がこのような記事を執筆しようと決めたきっかけは、時を遡ること数週間前。
去りし2021年8月31日。
一つのニュースが、全国の競馬ファンにあまりに大きな悲しみをもたらした。
名馬、ドゥラメンテの死没だ。
TLを見ていても、この日は突然の訃報に悲しみを隠し切れぬ競馬ファンを多く目にした。
恥ずかしながら、競馬歴のまだ浅い私はリアルタイムでこの馬のレースを見たことはなかったのだが、皐月賞で繰り出したあの豪脚は一度目にしただけで私の目に強烈に焼き付いたものだ。
リアルタイムであのレースを目にしていた競馬ファンであれば、一瞬でこの馬に心を鷲掴みにされたであろうことは想像に難くない。
事実、古くからの競馬ファンである私の父はこの報せを受けて本当に辛そうに涙を流していた。
人前で涙を見せることなどまずない、厳しい父が見せた涙は、競馬界におけるこの馬の存在感の大きさを物語るには十分過ぎる光景だった。
種牡馬としての輝かしい未来も約束されていた中での、9歳というあまりにも早い死。
本当に残念な報せであり、悔やまれる悲劇となってしまったことは事実だ。
だが、本記事内にて私が語ったことをどうか思い出して欲しい。
この世界に命が生きた証は、その命を記憶する者がいる限り決して失われはしないということを。
毎年、皐月賞の時期にはあの信じられない末脚をどうか思い出して欲しい。
そして、短い種牡馬生活の中で、彼が残した遺伝子を継ぐ子供たちが好走する度に、どうか心の中で彼の名を思い返して欲しい。
その度に、彼の存在は全国の愛すべき競馬ファン達の心の中に蘇るのだから。
来たる、2021年9月20日。
奇しくも「0920」という私にとっては愛すべき祖父を思い出させる数列を伴い、上記日程にて行われるセントライト記念。
彼の遺伝子を継ぎし、一頭の牡馬が本レースへの出走を予定している。
もしも、この馬が本レースで栄冠を勝ち取った暁には、誰もがドゥラメンテという名馬の存在を思い出すことだろう。
突然の訃報によって多くの競馬ファンの瞳から流れた悲しみの涙は、今度は感動と喜びの涙となって流れる未来を私は信じている。
そして、皆が流した涙は天へと昇り、いつかは雫となって降り注ぎ、枯れ果てた大地に一輪の花を咲かせる恵みの雫となるかもしれない。
そんな願いを現実に変える為に、私はこの馬の勝利を心より願う。
セントライト記念2021、私が選出した本命馬。
その名は、タイトルホルダー。
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