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僕の教育者としての「成長」の方向性

卒業後5年は教員にならない。

2006年1月,大学3年の僕の決意。教職課程をこなしながら「どんな教師になりたいか」を考えた末に出した結論だった。

それは教育の技術ではなく,教育者としての在り方を考えた末の決断。自分が伝えたいものを,自信と説得力を持って伝えられる人間になるための道。5年間の遠回り。修行のつもりだった。

2007年3月に大学を出て就職。教職を一旦忘れてルート営業に没頭した。3年半が経ち,海外にボランティアに行くことを思い立って少し早めに2010年秋退職。

社会人5年目となる2011年…偶然知った法務教官の採用試験を教採と並行して受験。翌年,学校ではなく少年院で僕は先生になった。5年間の修行を経て,計画通りの社会人6年目のことだった。

遠回りは大成功だった。

新卒で教育に進む人を批判する意図は一切ないが,僕が子どもたちと向き合う上で,遠回りした5年間の経験は強烈な武器になった。

それは知識や考え方の面だけでなく,事務処理能力や対外的な折衝能力の面でも十分すぎるアドバンテージで,遠回りした分以上の価値がまちがいなくあった。

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2018年に公認心理師を取得。

いずれ退職する時に向けた,爆死の可能性を下げるための動きだった。

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2021年3月,法務教官を退職。国や自治体が募集する心理職には一切応募することなく今を生きている。

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講演や講義,そしてまもなく出版を控えながら,思うことが1つある。

今僕は分岐を1つ,通り過ぎた。「臨床家としての道」と「そうではない道」の分岐点だ。僕は後者を選んでいる。

塀の中で日々悪ガキたちと向き合う法務教官や法務技官,児童相談所の職員や心理カウンセラーなどは前者だ。

対人支援の最前線に身を置いて,日々,目の前の一人と向き合う。よりよい支援・指導のために学び,考え…知識と技術を磨き続けている。

永久にゴールのこない,臨床家としての研鑽と練磨の道・職人の道だ。教員もそこに含まれると僕は思う。

彼等はどこまでも謙虚だ。まだまだ上があることを理解し,限界がないことを受け止め,自身の改善点を常に模索している。謙虚で寡黙。苛烈な道。

僕はそうではない道を進みたいと思っている。理想は法務教官時代の給料を,講演や出版で得ること。同等の収入を半分の時間で作り,残りの半分を対人支援の現場に注ぎたい。

臨床家たちが週5で現場に立つ中,僕は週2〜3にしたいと考えている。

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片手間に支援をしたいと思っているわけではない。

「人と向き合うことしか知らない人間」のまま対人支援を行うことが,僕には納得できないだけだ。

大学3年の時決めた「5年は教員にならない」という決意とまったく同じだ。教壇に立ち,社会と人生を伝えるのに,大学からトンネルをくぐるように教壇に直行することが,僕には納得できなかった。だから自分に納得して教壇に立つために,遠回りすることを決めた。

今も同じ。

仮に70まで働くとして,僕はあと33年。

あと33年…人と向き合い続けるだけで,人と向き合う力がつくとは僕には到底思えない。

社会の変化
働き方の変化
テクノロジーの進化

あらゆる変化が高速で起きる時代に,その中で生きる人と向き合い,支援するのに…人間の心理だけを学んで十分な仕事ができるとは僕には到底思えないんだ。少なくとも僕にそれは無理。

だから僕は,自分という人間の幅を広げることを選ぶ。

心理を学び,臨床技術を学ぶ代わりに,
社会で揉まれ,社会で生きる経験を積む。

5年間の遠回りを経て塀の中で先生になった時,当然ながら同い年の人は5年先輩だった。5年現場で揉まれ,法務教官として既に説得力のあるポジションと実力を持っていた。

僕にはその5年分の現場経験はなかったし,その差は最後まで感じていたけれど…代わりになる民間での経験を武器に,僕は僕のスタンスで子どもたちと向き合い,先輩たちと協力して「多様な教育」の一旦を担うことができた。

対人支援の道において,職人はたくさんいる。

アセスメントを取る達人も,発達障害や愛着障害の専門家も,カウンセリングやグループワークの超熟練者もいる。これからも増えていくだろう。

新しい理論や技術は次々生まれ,それを習得する臨床家もたくさん出てくるだろう。

僕はその道には踏み込まない。

そんな心理臨床や教育の一線もののスキルが必要になったら,彼等に頼んで手を借りればいい。

僕はそこではなく,在り方や生き方…僕という人間の厚みで人と向き合いたい。

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中田英寿は29歳で現役を引退し,サッカーをコミュニケーションツールにしながら,世界を見て,日本の文化を重んじながら生きている。サッカーはツールの1つだから,続けてはいるけど頻度は低い。

三浦知良はプレイヤーとしての自分にこだわり,美学を持ってピッチに立ち続けている。毎日サッカーをしている。

僕にとって,公認心理師はツールの1つだ。
「元法務教官」という経歴もツールの1つ。

僕がのんびり本を書き,講演して,発信してる間…臨床家たちは学び,実践して,さらに臨床家としての実力をつける。

現場に立ち続ける職人たちに敬意を評しつつ,僕は職人とは違うスタンスで人と向き合って生きていきたい。

「最新の理論」なんてどうせ5年後にはまた変わっている。だから僕は,iPhoneの新型を追い続けるような勉強は一旦おしまい。

iPhoneを使いこなす人間になるために,一旦スマホを置いて,五感を開き,生身で社会を感じて生きてみる。

遠回りした5年が法務教官9年の基盤を作ったように,公務員を辞めて新しい形を模索している今の経験が,数年後の自分の力になっていることを…ぼんやりと確信している。

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僕はダンサーにはならなかったけど,ダンスは続けている。ダンスを仕事の一部にすることもできた。ダンスはツールの1つだ。

公認心理師も
元法務教官も

まだツールとして使いこなすレベルにはなれていないけれど,近い将来,そこにたどり着くことは信じられる。

今の自分が,未来の自分を生かしている。

その感覚を失わないように生きていこうと思う。

放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。