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「抽出されたもの」の無意味さ。
茨城に住んで10年が過ぎた。ナビのない車で走ることもすっかりお手の物で、地元なら大抵のところにはGoogleマップ不要で走っていける。
こういう状態になると生まれるのが「寄り道するゆとり」で、「今日はこっちの道から行こうかな…」なんて気分次第で経路を変えられる。行きと帰りで道を変えるのも僕にとってはよくある日常だ。
そうして気ままに走っていると、時々「あれ?新しい店ができてる」なんて発見に恵まれる。オープン直後に立ち寄ってお気に入りになり、まだ客の少ない段階から店主と顔なじみになっている店が、地域の中に何軒もできた。
ラーメン屋も居酒屋もカフェも、そうしてできた行きつけの多くは数年後には人気店になって、時には予約しないと入れないくらいだが…声だけで誰かわかってもらえる関係性は他に代えがたい。
立ち寄った店が必ずしもよい店とは限らないが、自分のお気に入りが地元の名店になっていくのは、一抹の寂しさをはらみつつ喜びが大きい。古参として鼻が高い。自分の目(舌)にも自信を持てる。
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時々、不正などで炎上するが、世の中では未だにグルメアプリが盛んだ。食べログやぐるなびはもはや日常に溶け込んでいて、人は(よく知らない土地では特に)なんの違和感もなくそれらを使う。
グルメアプリを使う時、求めている情報はその店の点数と口コミであって、その地域の平均点ではない。
「池袋の平均点」や「新宿で一番多い店種」なんて情報に意味はなく、人が求めるのは自分が選んだ候補の具体的な評価だけだ。
現場で行動する(実際に店に行って味わう)となればそれは当たり前のことで、疑問を持つ余地すらない当然の話だろう。
けれど…
教育や心理の話になるとどうやら人はそうじゃなくなるらしい。エビデンスや理論を求め、他人が組み立てた理屈に嬉々として目を輝かせ、感動しモチベーションを上げる。
「10代の平均」がどうだろうと、「1000人の検査結果から導き出された法則」がどうだろうと、目の前の子への具体的な対応は自分で考えなければならないというのに。
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放デイのスタッフをしながら、わが子の非行に悩む保護者からの相談に応じたり、教員等への研修などを行っています。記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。