【幸福論】諸悪の根源は「選択肢」では?

「選択肢の多さ」と言った方が正しいかもしれない。

選択肢が多いというのは一見自由があって素晴らしいことのように思える。確かに全く無いよりはマシだろう。

が、選択肢が多すぎるというのも案外厄介なものだ。

まず選択肢というのは往々にして期待の矛先となる。どちらがいいか、あるいはどちらが失敗のリスクが少ないかと、より良い結果を探すことになる。
しかし選択肢に際限がないと、その期待にも際限がなくなってしまう。上には上があるし、下には下がある。
その上下は時期によっても異なる。たとえば投資でいえばナスダックが上がる時もあるし、ビットコインが上がる時もあるし、日経平均が上がる時もある。
全ての選択肢で「正解」を勝ち取るなんて不可能に近い。つまり失敗はまず間違いなく訪れる。
それなのに、選択肢があることによって、「あっちを選んでおけばよかった」という期待の裏切りが発生してしまうことになる。
この場合(極論だが)、はなから選択肢が無ければ、この「失敗した」というショックも無いのではないだろうか。
つまり選択肢がなければ、そもそも「選択ミス」は起こらないわけだ。

また選択疲れというのもある。
選択には意思力が必要になる。そして意思力は無限にあるものではなく、使えば消耗してしまうので、(自分にとって)どうでもいいことには使わない方がいい。スティーブ・ジョブズが余計な意思決定を行わずに済むよう服を制服化していたように。
この点選択肢が多いとたちまち意思力を消耗してしまう。「あれもこれも見ておいた方がいい、投資しておいた方がいい、買っておいた方がいい」というスタンスでは選択するだけで疲れてしまうことだろう。大事なのは選択したその先だというのに。

  *

これらの点においては、選択肢は絞れば絞るだけ良くなる。
選択肢が少なければ他と比べて過剰な期待を抱かずに済み、地に足をつけて自分の道を進むことができる。
幸福感を阻害するのは他者との無意味な比較だ。幸福のものさしは人それぞれ違うのだから、自分のものさしだけに集中できれば日々の充実度は高くなるはずだ。


その分活字を取り込んで吐き出します。