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疑惑のコーヒー

先日、私たち夫婦と私の両親4人で、西武池袋線の石神井公園駅に集い、昼食を食べた後、喫茶店へ向かった。

綺麗で広々とした、自然なレトロの雰囲気が漂う店内。ゆったりと座れる配置でテーブルが置かれ、一見して居心地の良さを感じ、実際にそうではあった。

ちなみにトップ画像は、クリエイターさんの良い写真をただ拝借しただけのものであり、当該の店ではない。

そこは多種のコーヒーを取り揃えていた。
近場に住んでいるのだが会う機会は少なく、また、わざわざこういった場で、外でお茶をすることのない貧乏性の70代後半の両親なので、特にコーヒー好きの父には少し良い値段のエチオピアゲイシャ種を勧め、私も同じくエチオピアの、それよりは少し安いイルガチェフェを注文。

父も私も酸味甘みを感じられるタイプが好きで、これらはそれを基調とした、その最たる品種と言える。

妻と母は普通のブレンドコーヒーとケーキにした。

年配のマスターが一杯ずつ丁寧にドリップして淹れたコーヒーを、奥様であろう女性が一つずつ、種類を確認しながら運んできてくれた。
それぞれ異なるカップとソーサーのセットで、そして洒落ている。
少し小さめというのも、高級感を煽り、期待を高める。

父が最初に口を付けた。
「んっ?」と何処か訝しげな表情。そして「何も感じない」とのこと。
私も試しにそれを貰い、そして自身のも飲んでみる。
どちらも、特有の香りや酸味、甘みが一切ない、引っ掛かりのない、ストンッとしたコーヒー。
その味の何処をどう探しても、その品種の特徴が全く持って見当たらない。
無理矢理に良く言えば、クセや雑味の一切ない、綺麗で極めてマイルドな味。それでは困るのだが。
逆にその道を極めるとこうなるのか?
本当に強い人はそれを表に出さない、みたいな。合気道の達人などの、一見そうは見えない感じや、あるいはスーパーマンのクラーク・ケント、殺し屋のファブルだったり。
でも実際に飲んで何も感じないのだから、そういうことではないだろう。

私はここ何年もの間、自宅用にもエチオピアの品種を中心に、酸味と甘みを基調とする豆を買い、外で飲む際にも、それを選択してきた。
また、父の好みも同様だと知ってからは、エチオピアのゲイシャジャスミンという豆を贈り届けている。
ゆえに、この二人の舌はそこだけは無駄に特化しており、お店側が何らかの間違いを犯している、あるいは落ち度があることは、確かだと言える。

しかし、その日は美味しいコーヒーを飲むことよりも、その場所をお借りして寛ぐのが第一の目的だったため、それに腹を立てるだとか、問い詰めるだとか、そんな気は起きない。

むしろ「何だか妙だね」と、一つの微笑ましい出来事として、いつもよりは少し特別な日常を彩る、その一端を担ったのだと、大げさに言うのなら、きっとそういうことなんだろう。奥田民生

あるいは、マスターと、その奥様であろう女性の気の良さそうな朗らかな人柄が、そんな気を起こさせないというのも、大いにある。

接客に愛想は必要か否かとの議論があり、私はそれはどちらでも良い派なのだが、ただ、今回のような事例においては、その愛想が保険として効くこともあるのだと感じた。

だから逆に、相手が横柄な態度や仏頂面、あるいはクールに決め込んで気取っているようなタイプだったりしたら、それはもちろん、首根っこ掴まざるを得ない(比喩的表現)。

もっとも、私は何事も適当で、失敗前提で動いているようなものだから、せめてにこやかに、愛想という保険を掛けておこう。
と言ってしまうと、途端にインチキ臭くなる。

現在70代後半の母は奥田民生が好きである。
当時、日本武道館で観たほどのビートルズ党であり、基本、ビートルズ的なアプローチをするミュージシャンは気になるようだ。
ちなみにジョージ・ハリスン推しである。
何年か前、THE BAWDIESを勧めようとしたら、とっくに知っていたこともあった。
くるりや藤井風も好み、あるいは細野晴臣、さらには彼の孫のバンド、CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUINも把握しており「良い感じだね」と評していた。

その日、喫茶店でかかっていた音楽の、曲は知らなかったそうだが、声でドナルド・フェイゲンであると気付いたのは流石であり、何だか嬉しくもあった。



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