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読書記録Vol.118『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』喜多川泰・著

みほです。今回は
『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』
(喜多川泰さん・著)

を紹介します!

大好きな喜多川泰さんの本の中でも
かなり好きな1冊。

ウソから始まった旅で
人との出会いを通して
成長していく。

わたし、この本なんで
好きなんだろうって
改めて考えてみたら

登場人物が
みんな
「ふつうの人」

なんですよね。

喜多川泰さんって
「先生」的な立場の人や存在がいて
「弟子」的な立場の人が成長していく
という話が
十八番というか得意なように
勝手に感じているのですが

この本では
「ふつうの人」との
出会いの中で成長していく、
という日常感がいいのかな~
と思います。

「また、必ず会おう」と誰もが言った。(喜多川 泰)

◆心に残ったポイント

あなたにとって居心地のいい場所は、まわりの人があなたに何をしてくれるかによってじゃなくて、あなたがまわりの人のために何をするかによって決まるの。

この言葉に初めて出会ったとき
わたしは転職したばかりで
慣れない職場に文句たらたら
でした。笑

職場だけでなく、
当時参加し始めていた
森林ボランティアでも
「よそ者感」を勝手に感じて
遠慮したりしていました。

いまでこそ、職場でも
森林ボランティアでも
心地よく過ごせているけれど

それはどこかの段階で
わたしがほんの少しでも
「職場にできること」
「森林ボランティアにできること」

に意識を向けたから
かもしれません。

わたしは
仲良くなればたいていの人に
「好きなところ」が1つくらい
見つけられるので
そこに意識を向けることを足掛かりに

「この人に何ができる?」
「この人は何が好き?」
「この人は今何を言いたい?」
「この人は今何をやりたい?」


と、矢印が周り→自分から
自分→周りに向いたとき
「居心地の良さ」を自分で作って
感じていくものなのかもしれません。

おまえは自分の物差しを持って、自分で考える人間になれよ。自分の人生を他の奴のメチャクチャな命令にメチャクチャにされるなよ。(中略)メチャクチャなのは、そんなのおかしいという命令を何の疑いもなく、やれって言われたからって理由だけで従って生きてる奴のほうや。

メチャクチャな命令をする方ではなく、
それを疑わずに従って生きる奴のほうが
メチャクチャ。

一方で、「理由がわからないと動けないのか」
という非難(?)も聞いたりするから
どっちなの!?とも思ってしまう。

自分と向き合うこともそう。

「結局、素直が一番です」
「いいとこどりしようとせずに
 100%受け入れるのが変化への近道です」
「だけどそれは全て自責です」

と聞いたとき、最初わたしは
見捨てられたような
混乱したような
気持ちになったこともありました。笑

素直に100%受け取ることと
自分の物差しを持つことは
両立するのか問題
ですよ。笑

引っ掛からずに
受けとれる人も
いるかもしれないけれど
わたしは、引っ掛かかってしまう。

だからこそ、それを考えることが
「世界を信頼する」ことだったり
「人生を信頼する」ことだったり
「自分を信頼する」ことだったり
につながっていくんじゃないかな、
と思っています。

成功したいと願う若者は「そのために何が必要か?」と問われれば、「もっと努力しなければならない」と自分に目を向けがちです。一方で、世間からすでに成功者と認められている人が「そうなるために何が必要だったか?」と問われれば、例外なくこう答えるでしょう。「私の成功は出会いによってもたらされました。出会った方々のおかげです」 つまり、幸せも、成功も人が運んでくるもの。

目標に向かって頑張っていて
うまくいかないとき

「もっと頑張らなければ」
「もっと努力しなければ」
「能力が足りない」

と思ってしまいがち。
でも、言ってしまえば
そっちの方が
楽なんですよね。

誰かに
弱さやかっこ悪さを
さらけ出して
お願いをしなくてもいい。
迷惑をかけなくてもいい。
責任をとらなくてもいい。

自力の限界を超えて
それでも
目指したい場所があるとき

弱さも
かっこ悪さも
さらけ出して
他力を求めたとき

人は成功に
近づけるのかもしれません。

これは、
「努力するな」とか
「頑張るな」とか
そういうことではなくて

でも
本当に結果が欲しいとき
頑張り方その方法であってますか?
努力の方向そちらで大丈夫ですか?
という視点を持つことの
大事さでしょうかね。

◆こんな人におすすめ

・旅が好き
・喜多川泰さんが好き

みほ

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